ヒルネボウ

笑ってもいいかなあ? 笑うしかないとも。
本ブログは、一部の人にとって、愉快な表現が含まれています。

夏目漱石を読むという虚栄  4440

2021-08-22 17:15:20 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

4000 『吾輩は猫である』から『三四郎』の前まで

4400 『二百十日』など

4440 寛容と横暴

4441 「思想とか意見とかいうもの」

 

青年Pにとって「不得要領」だったSの言葉の数々は、Sの「過去」つまり〈「遺書」の物語〉を文脈に用いることによって明瞭になった。そのように誤読できる。

 

<「あなたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏(まと)め上げた考(ママ)を無暗に人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉(ことごと)くあなたの前に(ママ)物語らなければならないとなると、それは又別問題になります」

(夏目漱石『こころ』「上 先生と私」三十一)>

 

「私の思想とか意見とかいうもの」は〈「あなた」が勝手に「私の思想とか意見とかいうもの」と思っているもの〉などの不適当な略。「私の過去」は〈「私」が勝手に「自分の過去」の何かと思っている「もの」〉などの不適当な略。Sの「思想とか意見とかいうもの」の中身は不明。「過去」も「ごちゃごちゃ」も意味不明。「ごちゃごちゃに考えて」は意味不明。、「考えているんじゃありませんか」に対するPの返事は、あるようで、ない。当然だろう。Sは質問をしているのではなく、その真意は〈考えるな〉だから。厭味ったらしい。

「けれども」は変。沈思黙考する人は怪しい。「赤ん坊沈思黙考うんちだぞ」という句がある。頭の中の「思想とか意見とかいうもの」と腹の中の「うんち」の区別は可能か。

「隠す必要がない」のは、「思想とか意見とかいうもの」がないからだろう。

「悉(ことごと)く」でなくてもよかろう。Pにとって必要な程度だ。「あなたの前に」の「の前」は不要。「物語らなければ」の「物」は不要。「なければ」はきつい。Pは、〈語れ〉と迫っていない。「はっきり云ってくれないのは困ります」(下三十一)と訴えただけだ。「又」は不要。「別問題」というが、本来の「問題」が私にはわからない。

Sは「思想とか意見」と「過去」を切り離すことに成功しているつもりだろうか。

 

<「意見」という言葉の意味を、いいかえれば或る問題がいろんな風に論じられうるということを、主人に納得させるのにどれほど困難を味わったか、私は今でも忘れることができない。というのは、「理性」はわれわれが確実に知っている事柄についてのみ、肯定するか否定するすべを教えるものであり、もし(ママ)こちらがなんらの知識をももち合わせていない事柄については、肯定も否定もできないはずだ、というのが主人の考えであったからである。そんなわけで、間違った乃至(ないし)は疑わしい、命題について、論争したり喧嘩したり討論したり主張したりすること自体、明らかに悪であり、フウイヌムにとっては理解に苦しむ体(てい)のものなのだ。

(ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』「第四篇 フウイヌム国渡航記」)>

 

何に関してであれ、私に独自の「意見」はない。他人の「意見」に対する疑問が浮ぶことはあって、その疑問を異見として提出することなら、ある。議論を面白くするために、自分の趣味とは反対の「意見」を急造することさえ、ある。「意見」なんて、その程度のものだ。

 

 

 

 

4000 『吾輩は猫である』から『三四郎』の前まで

4400 『二百十日』など

4440 寛容と横暴

4442 「意見」について

 

互いの「意見」を変えるために、できれば第三案を求めて、人は話し合うはずだ。

 

<私は意見の相違はいかに親しい間柄でも、どうする事も出来ないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、決して遣った事がないのです。私は他(ひと)の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、決して助力は頼めないのです。そこが個人主義の淋しさです。

(夏目漱石『私の個人主義』)>

 

『福翁自伝』参照。

「重大な理由」かどうか、誰が決めるのか。「限り」を設定すれば、「決して」は無効。

〈「存在を」~「認めて」〉は意味不明。「それ」の指す言葉がない。「すなわち」は機能していない。Nには他人に「自由を与えて」やる資格があるらしい。「自由」は、生まれながら各自に備わったものではないらしい。

「だから」は機能していない。「気が進まない」か、進むか、どうやって知るのだろう。「汚辱」は唐突。「汚辱」と「助力」の関係は不明。「頼めない」には〈頼みたいのに〉という含意がある。この含意を「若い人達」が忖度したら、頼んだのと同じだろう。〈「頼めない」から忖度しろ〉と明言したくないだけだろう。〈頼みたくないし、忖度してもほしくない〉などと明言しなければ無責任だ。

「そこ」がどこだか知らないが、「そこ」がN式個人主義のさもしさだろうね。

Nは寛容の演技をしている。「寛容には限界がある」(『ブリタニカ』「寛容」)のであり、その「限界」つまり「重大な理由」などを明示しないのなら、実際には横暴と同じことだ。

 

<もっと解り易く云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。

(夏目漱石『私の個人主義』)>

 

さらに「解り易く云えば」そんな「主義」は、〈事なかれ主義〉あるいは〈日和見主義〉だ。あるいは、〈特殊な「理非」について暗黙の了解「がある主義」〉だ。

 

<だが彼等は超党派的であるが故に、却ってセクト的なのである。なぜなら、彼等相互の間を連ねるものは主観的な、内部的(彼等に言わせれば)なもの以外にはあってならないのだから。

(戸坂潤『日本イデオロギー論』15「文学的自由主義」の特質)>

 

「彼等」とは、「個人主義者である今日の文学的自由主義者」(『日本イデオロギー論』)だ。

 

 

4000 『吾輩は猫である』から『三四郎』の前まで

4400 『二百十日』など

4440 寛容と横暴

4443 「同じ孤独の境遇」

 

青年Sは、Kを密かに操ろうとする。語り手Sは、語られるSの邪気を反省できない。作者にも反省できないのだろう。だったら、読者も。

 

<よし私が彼を説き伏せたところで、彼は必ず激するに違いないのです。私は彼と喧嘩(けんか)をする事は恐れてはいませんでしたけれども、私が孤独の感に堪えなかった自分の境遇を顧みると、親友の彼を、同じ孤独の境遇に置くのは、私に取(ママ)って忍びない事でした。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」二十四)>

 

「彼」はKだ。「説き伏せた」は〈「説き伏せ」ようとし「た」〉の不当な略か。〈説き伏せる〉は、「喧嘩(けんか)をする」と同じ意味らしい。皮肉か。もう、無茶苦茶。

Sは、〈Kの間違いをSが指摘すると、KはSと絶交する〉という物語を前提にして語っている。だが、この物語は怪しい。Kの間違いの実態が不明だからだ。したがって、Sの指摘の仕方を想像することもできない。Kの「激する」理由や様子なども想像できない。

〈Sの「境遇」とKの「境遇」は同種だ〉と、Sは思いこんでいる。思いこみから発した〈お・も・て・な・し〉は、裏ばかり。結局、SはKを「孤独の感」よりも苦しい「境遇」に追い詰めることになった。「私に取って」は、すごい。謙遜のつもりらしいが、すでに「利己心の発現」(下四十一)が起きている。そのことに作者は気づいていないようだ。

 

<特攻隊というと、批評家はたいへん観念的に批評しますね、悪い政治の犠牲者という公式を使って。特攻隊で飛び立つときの青年の心持になってみるという想像力は省略するのです。その人の身になってみるというのが、実は批評の極意ですがね。

(小林秀雄・岡潔『人間の建設』における小林発言)>

 

「その人の身になってみる」のは普通の人の「想像力」の働きであり、批評以前の気配りだ。気配りは、自分の先入観に基づくものである公算が高い。有難迷惑。

 

<一歩進んで、より孤独な境遇に彼を突き落すのは猶厭でした。それで私は彼が宅へ(ママ)引き移ってからも、当分の間は批評がましい批評を彼の上に加えずにいました。

(夏目漱石『こころ』「下 先生と遺書」二十四)>

 

「批評がましい」は〈差し出「がましい」〉という言葉を暗示している。

〈「当分の間は」~「加えずにいました」〉は意味不明。

 

Ⅰ 語られるSの立場 〈「当分の間」~「加えずにいました」〉

Ⅱ 語り手Sの立場 〈「当分の間は」~「加えずにい」ようと思ってい「ました」〉

 

語られるSと語り手Sの立場の混同は、随所に見られる。すごく読みにくい。

(4440終)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする