日々是好日

無能年金ジジイの戯言です、老い先短くなってからキャンプ擬きを始めました。

懐古主義ではありませんが~何となく小学生の頃。生活があった場所シリーズ①

2020-06-15 | 生活があった場所

歳を重ね、嫁との会話で「就活における断捨離」など話題にのるようになると

子供の頃が懐かしく思うときがあります。

不思議な事に、小学校時代の思い出が一番強く残ってる。

中学・高校・大学の思い出は薄い~

社会人の浅い時は薄く、40代は記憶になく50・60代は残ってる。

不思議なものだ、人により高校・大学の思い出が強い人もあるだろうが~

また距離感も面白い、子供の頃は大きく・遠く感じたものでも実際は大きくなく近くであったり~。

今日は小学生の頃住んでた所です。

場所は大阪京阪沿線土居駅です。時は50年以上前の昭和30年代です。

親父は国鉄職員でした、当時の国鉄等3公社5現業の給料は安く民間企業よりかなりレベルは低かったです。

今はJR・警察官含めかなりの高い給料になっていますが。

※三公社五現業

〈専売公社たばこ産業、電電公社(現:NTTグループ)、国鉄(現: JRグループ・日本国有鉄道清算事業団)、日本郵政公社(現:日本郵政JP)、国有林野事業(国有林野事業)、国立印刷局、造幣事業、アルコール専売事業〉

では案内します。

 現在の京阪土居駅です(50年ぶりです)

 50年前。

 駅前通り商店街です。当時は人だらけでした。

 住んで居た長屋通りですが面影は全くなし。子供の頃裸で走っていました。

 唯一当時の三軒長屋が一個ありました。このような所に住んでいました。

 当時のお米屋さんが残っていました。米穀通帳という銀行通帳みないなもの。

米は配給制で通帳とお金で米屋は売ってくれました。通帳記載いがいの量の米は「闇米」といい非常に高く安公務員には無理でした。

 ここにお好み焼屋さんがありました。

1枚10円で卵入りが15円でした、最高級の肉入りは40円。おでんは5円。

 子供の社交場土居公園。昔は緑はなくたんなる広場でした。

 公園には街頭テレビ。 紙芝居屋

 サーカスも来ましたし、夏は映画・花火もありました。

 家に風呂がない時代でしたので銭湯は最高の遊び場。

そうそう学校も 小学校ですが 

とうじの学校は廃校になり、同じ場所に小学校・中学校一貫校が建ってます。少子化でしょうね。

今回歩いてみると、家・公園・学校・商店街が半径600㍍以内で全て完結しており、全部遊び場でした。

殆どは建替・新築ですが偶に古いものを見つけると一気に55年前に戻れます。

最後に この場所にあったお金持ちの家の話を。

ここに住んでいたのは、市場でお菓子屋さんをやっていた家ですが、ある日学校の帰りに誘われて家に上がりました。

家の人が「紅茶」と「ケーキ」を出してくれました。

最貧層の住民としては紅茶もケーキも食べた事ありません。

紅茶に角砂糖とミルクを入れて飲むのも初めてなら、ケーキをフォークで食べるのも初めてでした。

このときの興奮は今でも覚えています。(味は忘れました、ケーキにイチゴが入っているのも晴天の霹靂でした、イチゴはそのままたべるのが普通)

紅茶カップに皿が付いているのも不思議でした。

そのとき以来あのオモチャ屋の家は魔法の家に感じました。

もう一軒、55年前に家にピアノがある家にも驚きでした。

学校の音楽室かと呆れたのを覚えています、冷蔵庫が氷の時代・洗濯機は手回し絞りが最先端の時代にピアノ。

今日は最貧層でも楽しかった時代のお話でした。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿