歳を重ね、嫁との会話で「就活における断捨離」など話題にのるようになると
子供の頃が懐かしく思うときがあります。
不思議な事に、小学校時代の思い出が一番強く残ってる。
中学・高校・大学の思い出は薄い~
社会人の浅い時は薄く、40代は記憶になく50・60代は残ってる。
不思議なものだ、人により高校・大学の思い出が強い人もあるだろうが~
また距離感も面白い、子供の頃は大きく・遠く感じたものでも実際は大きくなく近くであったり~。
今日は小学生の頃住んでた所です。
場所は大阪京阪沿線土居駅です。時は50年以上前の昭和30年代です。
親父は国鉄職員でした、当時の国鉄等3公社5現業の給料は安く民間企業よりかなりレベルは低かったです。
今はJR・警察官含めかなりの高い給料になっていますが。
※三公社五現業
〈専売公社たばこ産業、電電公社(現:NTTグループ)、国鉄(現: JRグループ・日本国有鉄道清算事業団)、日本郵政公社(現:日本郵政JP)、国有林野事業(国有林野事業)、国立印刷局、造幣事業、アルコール専売事業〉
では案内します。
現在の京阪土居駅です(50年ぶりです)
50年前。
駅前通り商店街です。当時は人だらけでした。
住んで居た長屋通りですが面影は全くなし。子供の頃裸で走っていました。
唯一当時の三軒長屋が一個ありました。このような所に住んでいました。
当時のお米屋さんが残っていました。米穀通帳という銀行通帳みないなもの。
米は配給制で通帳とお金で米屋は売ってくれました。通帳記載いがいの量の米は「闇米」といい非常に高く安公務員には無理でした。
ここにお好み焼屋さんがありました。
1枚10円で卵入りが15円でした、最高級の肉入りは40円。おでんは5円。
子供の社交場土居公園。昔は緑はなくたんなる広場でした。
公園には街頭テレビ。 紙芝居屋
サーカスも来ましたし、夏は映画・花火もありました。
家に風呂がない時代でしたので銭湯は最高の遊び場。
とうじの学校は廃校になり、同じ場所に小学校・中学校一貫校が建ってます。少子化でしょうね。
今回歩いてみると、家・公園・学校・商店街が半径600㍍以内で全て完結しており、全部遊び場でした。
殆どは建替・新築ですが偶に古いものを見つけると一気に55年前に戻れます。
最後に この場所にあったお金持ちの家の話を。
ここに住んでいたのは、市場でお菓子屋さんをやっていた家ですが、ある日学校の帰りに誘われて家に上がりました。
家の人が「紅茶」と「ケーキ」を出してくれました。
最貧層の住民としては紅茶もケーキも食べた事ありません。
紅茶に角砂糖とミルクを入れて飲むのも初めてなら、ケーキをフォークで食べるのも初めてでした。
このときの興奮は今でも覚えています。(味は忘れました、ケーキにイチゴが入っているのも晴天の霹靂でした、イチゴはそのままたべるのが普通)
紅茶カップに皿が付いているのも不思議でした。
そのとき以来あのオモチャ屋の家は魔法の家に感じました。
もう一軒、55年前に家にピアノがある家にも驚きでした。
学校の音楽室かと呆れたのを覚えています、冷蔵庫が氷の時代・洗濯機は手回し絞りが最先端の時代にピアノ。
今日は最貧層でも楽しかった時代のお話でした。
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