1月20日(土)千葉ジェッツふなばしvs横浜ビー・コルセアーズの試合会場である千葉ポートアリーナへ赴くため最寄り駅の千葉みなと駅にて下車。
会場に向かう途中、息子が急に「海が見たい…」とポツリ。そーゆ-のは若い女の子に言われたらキュンとするけど、お前に言われてもなぁ~とぶーたれながら向かったのが近くにある千葉港。
2016年4月15日以前は後述する観光船発着所の所在地であった場所
※写真撮影地
千葉港は千葉県の市川市・船橋市・習志野市・千葉市・市原市・袖ケ浦市にわたる港湾。
今回訪れた千葉港「千葉中央地区」では「千葉港めぐり観光船」というものが運行されているらしい。
※旅客船ターミナル所在地(2016年4月15日より旅客船ターミナル等複合施設は「ケーズハーバー」内に移動)
※航路図(但し発着所は2016年4月15日以前の場所。新発着所は上記地図参照)
で、GW中の5/4…本来の予定ではお台場の日本科学未来館にて開催されている「名探偵コナン」の企画展『名探偵コナン 科学捜査展~真実への推理(アブダクション)~』に行くはずだったが、GWの混雑状況を事前に調べた嫁ちゃんが辟易して、前日にまさかのキャンセル。急遽、1月に行った千葉港へ行くことになった。
千葉ポートパーク内のビーチ
ビーチで遊ぶオレと息子と娘
千葉ポートパーク内にある千葉ポートタワー
千葉ポートタワーをバックに息子と娘と共に
3階(地上109m)にあるカフェレストラン『ラ・プラージュ』より撮影
4階(地上113m)にある展望だより撮影
子どもたちが楽しめたので良かったが…上述した千葉港めぐり観光船が強風のため中止だった…。う~ん、オレ的にはメチャに残念だった!
20年以上前に上京し、学生時代は東京中を遊び回り、更には以前は営業職だったので必然的に街中を駆け回っていた。そのため「君の名は。」で映し出された東京の風景はほとんど既視感があり物語にシンクロしやすかった。しかしラストシーンの須賀神社近辺は未だ目にしたことのない風景。ちょっと悔しかったので今更感は拭えないが、その舞台になった風景をこの目に焼き付けてきた。まぁ、俗にいう聖地巡礼ってやつ。
【円通寺坂】
【東福院坂/須賀神社入口】
2013年の三葉が瀧に会うため上京した際も須賀神社男坂(下記参照)を登る前、須賀神社入口を経由していたはず。
【須賀神社男坂】
余談だが2013年の三葉が瀧に会うため上京した際も須賀神社男坂を登っている
キービジュアルのアングル(ちょっとズレているけど…)
©2016「君の名は。」製作委員会
ホントは作品と同じく、桜舞い散る4月、雨上がりの平日朝方に行きたかったが、そんな都合よく行けるわけもなく…5月10日(木)夕刻時に撮影。でも、平日の雨上がりというのだけは条件を満たしてた(苦笑)。デートの約束をして、待ち合わせ場所に向かうような懐かしい高揚感があった。40超えたオッサンが平日の日中に何言ってるんだよwwww
映画が公開されてからそろそろ2年が経とうとしているが、未だ須賀神社男坂周辺にはカメラを持った多くのファンたちがいた。まぁ、オレもその一人なんだが。
東福院坂にある自販機
※【君の名は。】聖地巡礼〜四ツ谷周辺、須賀神社〜
※映画『君の名は。』舞台探訪(聖地巡礼)@四ツ谷・須賀神社編
※映画「君の名は。」を観て、オヤジ的検討などいろいろ
※(ネタバレあり)地上波放送「君の名は。」見たことのある人向け再チェックポイント
※「君の名は。」のラストシーン聖地巡礼と坂道の歴史
※「君の名は。」聖地巡礼マップ
【円通寺坂】
【東福院坂/須賀神社入口】
2013年の三葉が瀧に会うため上京した際も須賀神社男坂(下記参照)を登る前、須賀神社入口を経由していたはず。
【須賀神社男坂】
余談だが2013年の三葉が瀧に会うため上京した際も須賀神社男坂を登っている
キービジュアルのアングル(ちょっとズレているけど…)
©2016「君の名は。」製作委員会
ホントは作品と同じく、桜舞い散る4月、雨上がりの平日朝方に行きたかったが、そんな都合よく行けるわけもなく…5月10日(木)夕刻時に撮影。でも、平日の雨上がりというのだけは条件を満たしてた(苦笑)。デートの約束をして、待ち合わせ場所に向かうような懐かしい高揚感があった。40超えたオッサンが平日の日中に何言ってるんだよwwww
映画が公開されてからそろそろ2年が経とうとしているが、未だ須賀神社男坂周辺にはカメラを持った多くのファンたちがいた。まぁ、オレもその一人なんだが。
東福院坂にある自販機
※【君の名は。】聖地巡礼〜四ツ谷周辺、須賀神社〜
※映画『君の名は。』舞台探訪(聖地巡礼)@四ツ谷・須賀神社編
※映画「君の名は。」を観て、オヤジ的検討などいろいろ
※(ネタバレあり)地上波放送「君の名は。」見たことのある人向け再チェックポイント
※「君の名は。」のラストシーン聖地巡礼と坂道の歴史
※「君の名は。」聖地巡礼マップ
流鉄・幸谷駅すぐ南の踏切
JR新松戸駅を背にして東から西方面を撮影
流鉄5000形流星 幸谷駅付近踏み切り
私は路面電車が大好き。残念ながら関東近郊で路面電車が運営されているのは都電荒川線のみだが、この自宅からさほど遠くない踏切は、なんとなくその雰囲気があってお気に入りの場所である。(奥は幸谷駅)
流山に引っ越してから身近な存在になった流鉄。昭和にタイムスリップしたような風景も魅力的。
幸谷駅~小金城趾駅間を走行する流鉄。右の歩道は私のジョギングコースでもある。
【流山線】
千葉県松戸市の馬橋駅と同県流山市の流山駅を結ぶ流鉄の鉄道路線。全区間単線。
規模は違えども、流鉄の道路を横断する様子は環七を横断する東急世田谷線の光景になんとなく似ている。
環七通りと平面交差する西太子堂駅~若林駅間の若林踏切(西太子堂5号踏切)では、信号(鉄道信号)が道路と同期している。電車が来たら、環七の交通を止めるのではなく、信号(交通信号)が変わるまで電車の方を待たせる仕様になっており、「信号待ちをする電車」は当路線を代表する光景の一つとなっている。
東急世田谷線 環状7号線 若林踏切 その1
蛇足だが私が通っていた大学は世田谷線沿線だった。当時は木の床など昔ながらの路面電車の構造をした車両(東急デハ80形電車)も運行されていたため、東京でもこんなレトロな雰囲気の電車があるんだと驚いたもんだった。(2001年にデハ150形と共にすべて300系に置き換えら営業運転を終了)
【世田谷線】
東京都世田谷区の三軒茶屋駅と下高井戸駅を結ぶ東京急行電鉄(東急)の軌道線。世田谷線は路面電車形式の軌道線であるが、全線が新設軌道となっており併用軌道はなく法律上は路面電車ではない。全区間複線。
そして、子供の夏休み期間中、海水浴のために江ノ島まで行く予定。その際に腰越~江ノ島間の路上を走行する江ノ電の勇姿を撮影するのが今から楽しみ♪
江ノ電 併用軌道(江ノ島~腰越)走行シーン集 2016.9.17
【江ノ島電鉄線】
江ノ島電鉄線(江ノ電)は、神奈川県藤沢市南藤沢の藤沢駅から同市片瀬海岸一丁目の江ノ島駅を経て鎌倉市御成町の鎌倉駅に至る、江ノ島電鉄の鉄道路線。腰越駅~江ノ島駅間は路面電車同様に一般道を走行するが、軌道法ではなく鉄道事業法に基づいて運転されており、法律上は路面電車ではない。全区間単線。
東京都心からさほど離れていないにもかかわらず単線でローカル線の雰囲気を満喫できる流鉄、江ノ電。そして、複線ではあるが同様にレトロな雰囲気が色濃く残る東急世田谷線と都電荒川線。オレはそのノルタルジックな雰囲気に魅了されて続けている。
JR新松戸駅を背にして東から西方面を撮影
流鉄5000形流星 幸谷駅付近踏み切り
私は路面電車が大好き。残念ながら関東近郊で路面電車が運営されているのは都電荒川線のみだが、この自宅からさほど遠くない踏切は、なんとなくその雰囲気があってお気に入りの場所である。(奥は幸谷駅)
流山に引っ越してから身近な存在になった流鉄。昭和にタイムスリップしたような風景も魅力的。
幸谷駅~小金城趾駅間を走行する流鉄。右の歩道は私のジョギングコースでもある。
【流山線】
千葉県松戸市の馬橋駅と同県流山市の流山駅を結ぶ流鉄の鉄道路線。全区間単線。
規模は違えども、流鉄の道路を横断する様子は環七を横断する東急世田谷線の光景になんとなく似ている。
環七通りと平面交差する西太子堂駅~若林駅間の若林踏切(西太子堂5号踏切)では、信号(鉄道信号)が道路と同期している。電車が来たら、環七の交通を止めるのではなく、信号(交通信号)が変わるまで電車の方を待たせる仕様になっており、「信号待ちをする電車」は当路線を代表する光景の一つとなっている。
東急世田谷線 環状7号線 若林踏切 その1
蛇足だが私が通っていた大学は世田谷線沿線だった。当時は木の床など昔ながらの路面電車の構造をした車両(東急デハ80形電車)も運行されていたため、東京でもこんなレトロな雰囲気の電車があるんだと驚いたもんだった。(2001年にデハ150形と共にすべて300系に置き換えら営業運転を終了)
【世田谷線】
東京都世田谷区の三軒茶屋駅と下高井戸駅を結ぶ東京急行電鉄(東急)の軌道線。世田谷線は路面電車形式の軌道線であるが、全線が新設軌道となっており併用軌道はなく法律上は路面電車ではない。全区間複線。
そして、子供の夏休み期間中、海水浴のために江ノ島まで行く予定。その際に腰越~江ノ島間の路上を走行する江ノ電の勇姿を撮影するのが今から楽しみ♪
江ノ電 併用軌道(江ノ島~腰越)走行シーン集 2016.9.17
【江ノ島電鉄線】
江ノ島電鉄線(江ノ電)は、神奈川県藤沢市南藤沢の藤沢駅から同市片瀬海岸一丁目の江ノ島駅を経て鎌倉市御成町の鎌倉駅に至る、江ノ島電鉄の鉄道路線。腰越駅~江ノ島駅間は路面電車同様に一般道を走行するが、軌道法ではなく鉄道事業法に基づいて運転されており、法律上は路面電車ではない。全区間単線。
東京都心からさほど離れていないにもかかわらず単線でローカル線の雰囲気を満喫できる流鉄、江ノ電。そして、複線ではあるが同様にレトロな雰囲気が色濃く残る東急世田谷線と都電荒川線。オレはそのノルタルジックな雰囲気に魅了されて続けている。
2月のとある会社帰り、いつものように東京メトロ湯島駅から地下鉄に乗り込む直前、ふと頭上の路線図を見てみると「町屋駅」の乗換電車に見慣れない「東京さくらトラム」の文字が目に入る。(写真では見にくいな…)
あれ、町屋駅で乗換できるのは「都電荒川線」じゃなかったっけ?ホームに降りて改めて路線図を見ると…
しっかりと見慣れた「都電荒川線」の文字が表示されている。じゃ、「東京さくらトラム」ってなんだ?
地下鉄に乗り込んでネットで調べてみたら、どうも「東京さくらトラム」とは2017年4月から導入された「都電荒川線」の新しい愛称 らしい。
路線図にも「東京さくらトラム」が記載されていたが気付かなかった!
以前の路線図
しかし、導入されてから、そろそろ1年が経とうとしているのに全く知らなかったわ!早々と昨年5月 にはこの新愛称の定着を危惧する記事もあった。
乗換案内でも、「東京さくらトラム」の名称使用がそこまで徹底されていないようなので確認のため、乗換駅である東京メトロ町屋駅で途中下車してみる。ちなみに車内での乗換案内のアナウンスは「都電荒川線」だった。
ホームの路線図では「東京さくらトラム」と書き換えられていた
が、同じくホームの乗換案内版は「都電荒川線」のまま
通路の乗換案内も「都電荒川線」のまま
乗換駅でも「東京さくらトラム」の使用はそこまで徹底されていなかった。
【注:情報は全て2018年2月27日時点/現在は3月17日のダイヤ改正に向けて徐々に案内板や車内アナウンスは「東京さくらトラム」に変更になってきている】
昨年、駅ナンバリング導入の際は「東京さくらトラム」から派生した「SA○○」を採用。「都電荒川線」へのリスペクトなど微塵もなく、浸透していない愛称をゴリ押しする姿勢が前面に出た暴挙には、賛同する意見よりも疑問視する意見が殺到。このような事態に地元民が大困惑しているという報道もあった。(ちなみにゴリ押し理由は小池百合子都知事によると「外国人を含む観光客の方にも親しみやすい」だそうな。沿線住民より観光客のため?荒川線って沿線住民を中心とする利用客の存続要望が強かったため存在した地元密着型の路線じゃなかったっけ?)
「東武伊勢崎線」が『スカイツリーライン』の愛称を採用した時はある程度納得した。伊勢崎線と名乗りながら都心から伊勢崎駅までの直通列車もないし、東京の新名所スカイツリーを全面に出したほうがブランディング的には正解だと思えたので(個人的には私の故郷「伊勢崎」の露出が減るのは寂しかったが…)。しかし、「東武野田線」の愛称『アーバンパークライン』はただのキラキラネームにしか思えず、その呼称を使用するメディアとそうでないメディアに分かれ、そこまで定着した感はない 。都電荒川線の愛称になった『東京さくらトラム』も上記『アーバンパークライン』同様キラキラネームの類のように思え、同愛称は上記『アーバンパークライン』より更にメディアでは使用されている気配はない。失敗だと断言する記事 もある。う~ん、同じく都営の大江戸線・幻の愛称「ゆめもぐら」 や、荒川線同様実際に採用されたJR東日本の「E電」 のように黒歴史になりそう。
ちなみに私は大の路面電車好き!関東近郊には「都電荒川線」しか路面電車がないため、他の路面電車に乗車、撮影のために10年ぐらい前まで日本全国を駆けめぐっていたぐらいだ。バックパッカー時代も路面電車(トラム)があるだけで訪れた都市は多々あった。先日、久しぶりに訪れた長崎 でも乗車はできなかったが、路上から恍惚として見入っていた。
都電荒川線(う~ん、やっぱオレは荒川線の名称に愛着があるから「東京さくらトラム」は浸透してこないな…)
9000形 町屋駅前停留場にて
9000形 明治通りとの併用軌道(王子駅前~飛鳥山間)にて
7000形 明治通りとの併用軌道(王子駅前~飛鳥山間)を疾走する荒川線はサイコーにクール!
あれ、町屋駅で乗換できるのは「都電荒川線」じゃなかったっけ?ホームに降りて改めて路線図を見ると…
しっかりと見慣れた「都電荒川線」の文字が表示されている。じゃ、「東京さくらトラム」ってなんだ?
地下鉄に乗り込んでネットで調べてみたら、どうも「東京さくらトラム」とは2017年4月から導入された「都電荒川線」の新しい愛称 らしい。
路線図にも「東京さくらトラム」が記載されていたが気付かなかった!
以前の路線図
しかし、導入されてから、そろそろ1年が経とうとしているのに全く知らなかったわ!早々と昨年5月 にはこの新愛称の定着を危惧する記事もあった。
乗換案内でも、「東京さくらトラム」の名称使用がそこまで徹底されていないようなので確認のため、乗換駅である東京メトロ町屋駅で途中下車してみる。ちなみに車内での乗換案内のアナウンスは「都電荒川線」だった。
ホームの路線図では「東京さくらトラム」と書き換えられていた
が、同じくホームの乗換案内版は「都電荒川線」のまま
通路の乗換案内も「都電荒川線」のまま
乗換駅でも「東京さくらトラム」の使用はそこまで徹底されていなかった。
【注:情報は全て2018年2月27日時点/現在は3月17日のダイヤ改正に向けて徐々に案内板や車内アナウンスは「東京さくらトラム」に変更になってきている】
昨年、駅ナンバリング導入の際は「東京さくらトラム」から派生した「SA○○」を採用。「都電荒川線」へのリスペクトなど微塵もなく、浸透していない愛称をゴリ押しする姿勢が前面に出た暴挙には、賛同する意見よりも疑問視する意見が殺到。このような事態に地元民が大困惑しているという報道もあった。(ちなみにゴリ押し理由は小池百合子都知事によると「外国人を含む観光客の方にも親しみやすい」だそうな。沿線住民より観光客のため?荒川線って沿線住民を中心とする利用客の存続要望が強かったため存在した地元密着型の路線じゃなかったっけ?)
「東武伊勢崎線」が『スカイツリーライン』の愛称を採用した時はある程度納得した。伊勢崎線と名乗りながら都心から伊勢崎駅までの直通列車もないし、東京の新名所スカイツリーを全面に出したほうがブランディング的には正解だと思えたので(個人的には私の故郷「伊勢崎」の露出が減るのは寂しかったが…)。しかし、「東武野田線」の愛称『アーバンパークライン』はただのキラキラネームにしか思えず、その呼称を使用するメディアとそうでないメディアに分かれ、そこまで定着した感はない 。都電荒川線の愛称になった『東京さくらトラム』も上記『アーバンパークライン』同様キラキラネームの類のように思え、同愛称は上記『アーバンパークライン』より更にメディアでは使用されている気配はない。失敗だと断言する記事 もある。う~ん、同じく都営の大江戸線・幻の愛称「ゆめもぐら」 や、荒川線同様実際に採用されたJR東日本の「E電」 のように黒歴史になりそう。
ちなみに私は大の路面電車好き!関東近郊には「都電荒川線」しか路面電車がないため、他の路面電車に乗車、撮影のために10年ぐらい前まで日本全国を駆けめぐっていたぐらいだ。バックパッカー時代も路面電車(トラム)があるだけで訪れた都市は多々あった。先日、久しぶりに訪れた長崎 でも乗車はできなかったが、路上から恍惚として見入っていた。
都電荒川線(う~ん、やっぱオレは荒川線の名称に愛着があるから「東京さくらトラム」は浸透してこないな…)
9000形 町屋駅前停留場にて
9000形 明治通りとの併用軌道(王子駅前~飛鳥山間)にて
7000形 明治通りとの併用軌道(王子駅前~飛鳥山間)を疾走する荒川線はサイコーにクール!
社会人になる前はバックパッカーで世界中をブラブラしていた私。大概の国には行ったつもりだったが、皆がよく行く観光地は訪れる機会があまりなかった。その訪問する機会がなかった観光地の一つに「ハワイ」があった…。
しかし、バックパッカーを卒業してから約15年…遂に遂に皆に大人気の「ハワイ」を訪れる機会がやってきた!
2月24日(土)
やってきたぜ!スパリゾートハワイアンズ!!!(福島県いわき市)
しかも、町内会主催でバスで!いやぁ~バスでハワイに行けるとは知らんかったwww
人生初の町内会旅行参加だったが、意外と楽しかった。毎年町内会費払ってるんだし、これからは参加しないともったいないかも~
しかし、バックパッカーを卒業してから約15年…遂に遂に皆に大人気の「ハワイ」を訪れる機会がやってきた!
2月24日(土)
やってきたぜ!スパリゾートハワイアンズ!!!(福島県いわき市)
しかも、町内会主催でバスで!いやぁ~バスでハワイに行けるとは知らんかったwww
人生初の町内会旅行参加だったが、意外と楽しかった。毎年町内会費払ってるんだし、これからは参加しないともったいないかも~
2017年12月19日(火)仕事で横浜に赴く
出先のMARINE & WALK YOKOHAMA (マリン アンド ウォーク ヨコハマ)のデッキから
アニヴェルセル みなとみらい横浜、よこはまコスモワールド、桜木町のビル群(横浜ワールドポーターズ出口付近にて)
アニヴェルセル みなとみらい横浜、よこはまコスモワールド、桜木町のビル群(汽車道にて)
普段は横浜に行っても訪れるのはほとんど横浜スタジアム、中華街ばっかなので、なんとなく新鮮だった。素直にキレイな夜景だなぁ~と立ち止まってしまった。今度は家族みんなでこの夜景を見てみたい。みんなで横浜行こう。娘が大好きなアンパンマンのミュージアムもあるし。
出先のMARINE & WALK YOKOHAMA (マリン アンド ウォーク ヨコハマ)のデッキから
アニヴェルセル みなとみらい横浜、よこはまコスモワールド、桜木町のビル群(横浜ワールドポーターズ出口付近にて)
アニヴェルセル みなとみらい横浜、よこはまコスモワールド、桜木町のビル群(汽車道にて)
普段は横浜に行っても訪れるのはほとんど横浜スタジアム、中華街ばっかなので、なんとなく新鮮だった。素直にキレイな夜景だなぁ~と立ち止まってしまった。今度は家族みんなでこの夜景を見てみたい。みんなで横浜行こう。娘が大好きなアンパンマンのミュージアムもあるし。
日本ではずっと関東在住なのだが、不思議な縁があり長崎には知人が多い。一時期は、彼等に会いに行くため何度も何度も長崎へ行っていた。しかし、最近は私生活も多忙になり行く機会がなくなっていたが…先日、諸事情があり約10年ぶりに長崎へ。
2月9日(金)
午前中は幕張メッセで仕事。その後、海浜幕張駅から直行バスにて羽田空港に移動。バックパッカーの頃は空港が日常生活の一部だったからか、ここに来るとワクワクするというよりは落ち着く。子供が生まれてから疎遠になったが。
JAL611(HND-NGS 14:00~16:05)に乗機して、久しぶりの長崎へ。昨年の12月、義理の父母が長崎旅行に行き、土産話を聞きながら「僕も久しぶりに行きたいですねぇ~」とは話していたが、まさか2ヶ月後にその長崎にいるとは夢にも思わなかった…。今回は特殊な事情のため嫁ちゃん、息子、娘は自宅に残して単身長崎訪問。
長崎空港にて名古屋から来た友達たちと合流。地元の友達の車にて佐世保市内に向かう。
佐世保の知人が運営する洋風居酒屋キッチンはーとらんどにて…
●特製トルコライス!
●佐世保名物「レモンステーキ」!
わざわざ長崎市や西海市から来てくれた友達もいて久しぶりの再会を楽しむ。その後、この版、泊めていただく友達宅にて2次会開始。久しぶりに夜遅くまで飲み明かし、語り明かした。
2月10日(土)
朝9時頃、友人宅を出て、道の駅で食事をして船越展望所へ向かい九十九島を一望する。
この九十九島は、先日自宅に泊めてくれた友達の故郷!10年前に佐世保に来た時も違う展望所から眺めた。10年前も今回も彼女の郷土愛がヒシヒシと伝わってくるひとときだった。
その後佐世保市から西海市へ移動。
知人宅でもある「民宿やまべ」へ。宿のご主人は前の晩も佐世保に来てくれてたので11時間ぶりの再会(笑)
民宿やまべの名物「ネコバス」!←ライダース限定だが、ここに宿泊可能!今度、家族でハウステンボス来る時は娘が喜びそうなので、交渉してここに泊まりたいもんだ!
民宿やまべを後にし、近所の「村上釣具店」へ。ここのご主人とは10年ぶりに再会!後述するが、ここのご主人が私と長崎を結びつけてくれた人!この人がいなかったら私は何度も何度も長崎に来ることもなかっただろうし、長崎の人々と長年交流することもできなかった。ホントにご主人には感謝している。
「民宿やまべ」「村上釣具店」の2代西海観光名所(?)をめぐり、一行は長崎市の新地中華街へ。新地中華街は10年ぶりかも。
左端、中央は名古屋からの友達、左端が私
翌週2月16日の春節を控え「ランタンフェスティバル」の雰囲気に包まれた新地中華街
その後、女性陣は長崎の偉人「坂本龍馬」「岩崎弥太郎」「シーボルト」「グラバー」のラテアートが楽しめるカフェ「アティック/Attic」(出島ワーフ)へ移動。友達の旦那さんと私は特にそこまで興味が無いので出島周辺を探索。
前回訪問時にはなかった「出島表門橋」。2017年2月27日、130年前にあった橋と同じ位置に出島と対岸に橋が再現された。出島の対岸も整備されて広場になっていた。
出島近くを走行する路面電車。(地元では「電車」と呼称される。ちなみにJRは「汽車」と呼称)路面電車好きな私にはたまらない光景。今回の旅では友達が車を出してくれたので乗車する機会はなし。
長崎港に浮かぶ観光丸
その後、思いつきで長崎半島を南下して端島(軍艦島)を海岸線から見ようということになり、旧三和町、旧野母崎町地域へ向かう。
野母崎地区の入口に佇む「夫婦岩」から眺めた端島(軍艦島)
拡大
「野母崎炭酸温泉 Alega軍艦島」周辺から眺めた端島(軍艦島)
今ではすっかり観光名所として有名になり2009年から一部上陸も可能となった端島(軍艦島)。11年前はまだ合法的に端島に上陸が不可能だったが、この島に魅了された私がブログでせめて遊覧船で近くまで行きたいといった旨の記事を書いたところ、前述した「村上釣具店」のご主人が「オレはこの島で生まれ育った。ぜひ話をしてあげたいから長崎に来たらオレの家まで来いよ!」と声をかけてくれた。2007年、初めて長崎空港に降り立つやいなや、すぐに西海市の村上釣具店へ向った。それから釣具屋のご主人の知人を紹介してもらうことになり何度も何度も長崎に赴くことになった。端島(軍艦島)の存在と村上釣具店のご主人がいたからこそ、オレは長崎と縁ができたと言っても過言でもない。
端島(軍艦島)俯瞰
この小さな島に約5,000人が生活していた。当時の最先端をいった未来都市でもあった。
端島(軍艦島)平面図
赤で記されている箇所が現在上陸・見学可能場所。前回は遊覧船から島周辺を眺めるだけだったが、いつか上陸してみたい。
長崎市内に戻った頃には日も沈み、夕食の場へ。10年ぶりに訪れたのは旧Yahoo!ブロガーの聖地「五つぼ」!長崎の友人(下の写真中央)の行きつけの焼き鳥屋である。
彼もパパになったんだよなぁ~。彼は時々東京に来る機会もあるので長崎の友人の中では比較的会う機会が多いが、パパをしている姿を見るのは初めて。ちょっと新鮮だった。そーいえば、11年前、長崎に初めて来た時、初めて立ち寄った場所が前述の「村上釣具店」で、長崎で初めて食事した場所が、ここ「五つぼ」だった。「長崎関係ないじゃん(笑)」と悪態ついてたあの頃が鮮明に思い浮かんだ。
「五つぼ」での宴も終わり、深夜の街へ。一人旅だしホテルなんてもったいないので浜町の漫画喫茶で一夜を明かす。
2月11日(日)
SNA034(NGS-HND 9:25~11:00)にて帰京→千葉の自宅へ。
思い返せば約10年前、彼も含め長崎の友人達は初対面のオレにも何年来の友人のように親切にしてくれ歓迎してくれた。比較的ドライな人間関係が主流である関東に在住しているオレにとってはいい意味で文化の違いを感じた。ホントに九州の人たちの情は心地よい。楽しかった。ホントに楽しかった。また、みんなに会いにいくよ。今度は家族全員で行くさ!またね、オレの大好きな長崎!
しかし、長崎滞在中はタガが緩んでよう食った…。週末からまたジョギングがんばらなくちゃな。
2月9日(金)
午前中は幕張メッセで仕事。その後、海浜幕張駅から直行バスにて羽田空港に移動。バックパッカーの頃は空港が日常生活の一部だったからか、ここに来るとワクワクするというよりは落ち着く。子供が生まれてから疎遠になったが。
JAL611(HND-NGS 14:00~16:05)に乗機して、久しぶりの長崎へ。昨年の12月、義理の父母が長崎旅行に行き、土産話を聞きながら「僕も久しぶりに行きたいですねぇ~」とは話していたが、まさか2ヶ月後にその長崎にいるとは夢にも思わなかった…。今回は特殊な事情のため嫁ちゃん、息子、娘は自宅に残して単身長崎訪問。
長崎空港にて名古屋から来た友達たちと合流。地元の友達の車にて佐世保市内に向かう。
佐世保の知人が運営する洋風居酒屋キッチンはーとらんどにて…
●特製トルコライス!
●佐世保名物「レモンステーキ」!
わざわざ長崎市や西海市から来てくれた友達もいて久しぶりの再会を楽しむ。その後、この版、泊めていただく友達宅にて2次会開始。久しぶりに夜遅くまで飲み明かし、語り明かした。
2月10日(土)
朝9時頃、友人宅を出て、道の駅で食事をして船越展望所へ向かい九十九島を一望する。
この九十九島は、先日自宅に泊めてくれた友達の故郷!10年前に佐世保に来た時も違う展望所から眺めた。10年前も今回も彼女の郷土愛がヒシヒシと伝わってくるひとときだった。
その後佐世保市から西海市へ移動。
知人宅でもある「民宿やまべ」へ。宿のご主人は前の晩も佐世保に来てくれてたので11時間ぶりの再会(笑)
民宿やまべの名物「ネコバス」!←ライダース限定だが、ここに宿泊可能!今度、家族でハウステンボス来る時は娘が喜びそうなので、交渉してここに泊まりたいもんだ!
民宿やまべを後にし、近所の「村上釣具店」へ。ここのご主人とは10年ぶりに再会!後述するが、ここのご主人が私と長崎を結びつけてくれた人!この人がいなかったら私は何度も何度も長崎に来ることもなかっただろうし、長崎の人々と長年交流することもできなかった。ホントにご主人には感謝している。
「民宿やまべ」「村上釣具店」の2代西海観光名所(?)をめぐり、一行は長崎市の新地中華街へ。新地中華街は10年ぶりかも。
左端、中央は名古屋からの友達、左端が私
翌週2月16日の春節を控え「ランタンフェスティバル」の雰囲気に包まれた新地中華街
その後、女性陣は長崎の偉人「坂本龍馬」「岩崎弥太郎」「シーボルト」「グラバー」のラテアートが楽しめるカフェ「アティック/Attic」(出島ワーフ)へ移動。友達の旦那さんと私は特にそこまで興味が無いので出島周辺を探索。
前回訪問時にはなかった「出島表門橋」。2017年2月27日、130年前にあった橋と同じ位置に出島と対岸に橋が再現された。出島の対岸も整備されて広場になっていた。
出島近くを走行する路面電車。(地元では「電車」と呼称される。ちなみにJRは「汽車」と呼称)路面電車好きな私にはたまらない光景。今回の旅では友達が車を出してくれたので乗車する機会はなし。
長崎港に浮かぶ観光丸
その後、思いつきで長崎半島を南下して端島(軍艦島)を海岸線から見ようということになり、旧三和町、旧野母崎町地域へ向かう。
野母崎地区の入口に佇む「夫婦岩」から眺めた端島(軍艦島)
拡大
「野母崎炭酸温泉 Alega軍艦島」周辺から眺めた端島(軍艦島)
今ではすっかり観光名所として有名になり2009年から一部上陸も可能となった端島(軍艦島)。11年前はまだ合法的に端島に上陸が不可能だったが、この島に魅了された私がブログでせめて遊覧船で近くまで行きたいといった旨の記事を書いたところ、前述した「村上釣具店」のご主人が「オレはこの島で生まれ育った。ぜひ話をしてあげたいから長崎に来たらオレの家まで来いよ!」と声をかけてくれた。2007年、初めて長崎空港に降り立つやいなや、すぐに西海市の村上釣具店へ向った。それから釣具屋のご主人の知人を紹介してもらうことになり何度も何度も長崎に赴くことになった。端島(軍艦島)の存在と村上釣具店のご主人がいたからこそ、オレは長崎と縁ができたと言っても過言でもない。
端島(軍艦島)俯瞰
この小さな島に約5,000人が生活していた。当時の最先端をいった未来都市でもあった。
端島(軍艦島)平面図
赤で記されている箇所が現在上陸・見学可能場所。前回は遊覧船から島周辺を眺めるだけだったが、いつか上陸してみたい。
長崎市内に戻った頃には日も沈み、夕食の場へ。10年ぶりに訪れたのは旧Yahoo!ブロガーの聖地「五つぼ」!長崎の友人(下の写真中央)の行きつけの焼き鳥屋である。
彼もパパになったんだよなぁ~。彼は時々東京に来る機会もあるので長崎の友人の中では比較的会う機会が多いが、パパをしている姿を見るのは初めて。ちょっと新鮮だった。そーいえば、11年前、長崎に初めて来た時、初めて立ち寄った場所が前述の「村上釣具店」で、長崎で初めて食事した場所が、ここ「五つぼ」だった。「長崎関係ないじゃん(笑)」と悪態ついてたあの頃が鮮明に思い浮かんだ。
「五つぼ」での宴も終わり、深夜の街へ。一人旅だしホテルなんてもったいないので浜町の漫画喫茶で一夜を明かす。
2月11日(日)
SNA034(NGS-HND 9:25~11:00)にて帰京→千葉の自宅へ。
思い返せば約10年前、彼も含め長崎の友人達は初対面のオレにも何年来の友人のように親切にしてくれ歓迎してくれた。比較的ドライな人間関係が主流である関東に在住しているオレにとってはいい意味で文化の違いを感じた。ホントに九州の人たちの情は心地よい。楽しかった。ホントに楽しかった。また、みんなに会いにいくよ。今度は家族全員で行くさ!またね、オレの大好きな長崎!
しかし、長崎滞在中はタガが緩んでよう食った…。週末からまたジョギングがんばらなくちゃな。
関東平野において1月22日(月)は午後から4年ぶりの大雪
この日は早めに退社。会社近くのワテラスにて
ダイエー新松戸店出口にて
翌1月23日(火)朝…
自宅の庭
雪かきする長男
近所のかえる公園も…
雪だるまと談笑する少女
慣れない大雪で歩くのも大変だけど…普段見慣れている街並みが、いつもと違う表情を見せてくれるこの凛とした風景は結構好き。
休みだったら子供たちと雪合戦したかったなぁ~
この日は早めに退社。会社近くのワテラスにて
ダイエー新松戸店出口にて
翌1月23日(火)朝…
自宅の庭
雪かきする長男
近所のかえる公園も…
雪だるまと談笑する少女
慣れない大雪で歩くのも大変だけど…普段見慣れている街並みが、いつもと違う表情を見せてくれるこの凛とした風景は結構好き。
休みだったら子供たちと雪合戦したかったなぁ~
11月8日(水)@下北沢
仕事で夕方から向ヶ丘遊園駅周辺に赴き、そこから途中下車して久々に下北沢に寄った。
大学入学を機に上京してから、ずっと小田急線沿線に住んでいたので、20代前半、もっとも濃密な時間を過ごした思い出深い地である。時間さえあれば下北沢でデートして、紫煙をくゆらす中で飯を喰い、酒を飲み、この地で失恋し…。
失恋してから避けるようになり、そのうちに引越しをし小田急沿線から離れ疎遠になった。よって、下北沢に降り立ったのは約15年振り。小田急の駅が地下化されていたことは時々乗車する小田急線の車中から眺めて知っていたが、街は随分と変わっていた。
北東から南西に街を分断していた小田急線の線路が地上から地下に潜ったことで悪名高い踏切は一掃され、15年前は下北沢駅南口のランドマークだったTSUTAYA&ドトールコーヒーの建物は消え駅舎となり、よく通っていたミリタリーショップもなくなっていた。僕が青春を謳歌していた頃と比べ半数以上の店は消え、20代の頃見た風景とは大きく変わっていた。15年ぶりだから推測に過ぎないが、きっと以前より開店~閉店のサイクルが短くなっているのだろう。逆にまさかあの大手がここに?という店舗もあった。
北口にあったノスタルジックな「下北沢駅前食品市場」は、すっかり消えた。
殆どの建物は撤去され、1件だけぽつんと残っていた飲食店…。
在りし日の「下北沢駅前食品市場」
いくつかあった入口の一つ
上から見るとトタン屋根が不規則にひしめいていた
中は日中でも薄暗かった
戦後の闇市の名残りであった「下北沢北口駅前食品市場」。僕が上京した当時にはこの「闇市的」な場所の規模は小さくなっていたが、1980年代頃まではかなり大きかったらしい。アジアのカオスな雰囲気が漂う、お気入りの場所は、都市開発のため建物は立退き対象となる。
下北沢北口駅前食品市場跡地は駅前ロータリーとなるらしい
駅前にロータリーがなくバス・タクシーなど他の公共交通との結節機能が脆弱だったから必要な整備だったんだろうけど…なんか無機質な街並みになってシモキタ独特の風情が失われ寂しい。
でも、街をぶらつくと変わらない風景も残っていて郷愁にかられた。
・古着屋の「CHICAGO」
下北沢に来たら必ず寄っていた店。この日も安価でいいキャップがあり、散々悩んだが最近散財気味なので泣く泣く断念(苦笑)。原宿にある店舗は、今でも仕事で近くに行けば頻繁に通っている。
・インド・パキスタン料理「ににんがよん(2×2=8)」
下北では珍しい食べ放題の店。若い頃はお金もなかったし、よくここで限界までカレーを食べていた。まだ、あったんだなぁ~とすごくホッとした。この日も寄りたかったが、そこまで空腹ではなかったので断念。税抜価格は以前と変わってなかった。
・「ヴィレッジヴァンガード」
本多劇場内にある「ヴィレッジヴァンガード」。サブカルチャーをもっとも手軽に体感できる場所だった。「楽しさ」を感じさせる売場空間の創造が当時も今も心地いい。もはや観光地レベル、史上最も狂ってる下北沢店。
最後にせっかくだから新しい下北沢の味を堪能しようと、以前はなかったラーメン屋に寄る。
「俺流熟成塩らーめん」 お店の名前は…渋谷生まれの塩らーめん「俺流塩らーめん」…んっ、下北発祥のお店ぢゃないじゃん!(苦笑)
楽しかった。物事が今よりクリアに見えなかった分、勢いだけで突っ走れた20代前半の思い出が走馬灯の様にフラッシュバックした。この地での失恋のトラウマは流石に払拭できていたみたいだし(笑)、また時間があったらぶらり途中下車してみよう。
僕の愛した下北沢の特徴は、ある社会層に偏らず多様な社会層が密集していること。若者の街として本格的に発展したのはせいぜい 30年前。先述の「下北沢北口駅前食品市場」のように顧客のターゲットを若者のみに絞ることもなかった。下北沢はこの地域に居住する人々が日常生活用品を求める街であり、ショッピングの街でもあり、アメ横的魅力を追う人々の街なんだ。
だから、下北沢に集う人間の種類は多種に渡る。金持ちや商店主、子犬を連れた奥様、学生、フツーのサラリーマン、バンドマン等、ありとあらゆる人種が下北沢には密集している。改めてそう思った。
仕事で夕方から向ヶ丘遊園駅周辺に赴き、そこから途中下車して久々に下北沢に寄った。
大学入学を機に上京してから、ずっと小田急線沿線に住んでいたので、20代前半、もっとも濃密な時間を過ごした思い出深い地である。時間さえあれば下北沢でデートして、紫煙をくゆらす中で飯を喰い、酒を飲み、この地で失恋し…。
失恋してから避けるようになり、そのうちに引越しをし小田急沿線から離れ疎遠になった。よって、下北沢に降り立ったのは約15年振り。小田急の駅が地下化されていたことは時々乗車する小田急線の車中から眺めて知っていたが、街は随分と変わっていた。
北東から南西に街を分断していた小田急線の線路が地上から地下に潜ったことで悪名高い踏切は一掃され、15年前は下北沢駅南口のランドマークだったTSUTAYA&ドトールコーヒーの建物は消え駅舎となり、よく通っていたミリタリーショップもなくなっていた。僕が青春を謳歌していた頃と比べ半数以上の店は消え、20代の頃見た風景とは大きく変わっていた。15年ぶりだから推測に過ぎないが、きっと以前より開店~閉店のサイクルが短くなっているのだろう。逆にまさかあの大手がここに?という店舗もあった。
北口にあったノスタルジックな「下北沢駅前食品市場」は、すっかり消えた。
殆どの建物は撤去され、1件だけぽつんと残っていた飲食店…。
在りし日の「下北沢駅前食品市場」
いくつかあった入口の一つ
上から見るとトタン屋根が不規則にひしめいていた
中は日中でも薄暗かった
戦後の闇市の名残りであった「下北沢北口駅前食品市場」。僕が上京した当時にはこの「闇市的」な場所の規模は小さくなっていたが、1980年代頃まではかなり大きかったらしい。アジアのカオスな雰囲気が漂う、お気入りの場所は、都市開発のため建物は立退き対象となる。
下北沢北口駅前食品市場跡地は駅前ロータリーとなるらしい
駅前にロータリーがなくバス・タクシーなど他の公共交通との結節機能が脆弱だったから必要な整備だったんだろうけど…なんか無機質な街並みになってシモキタ独特の風情が失われ寂しい。
でも、街をぶらつくと変わらない風景も残っていて郷愁にかられた。
・古着屋の「CHICAGO」
下北沢に来たら必ず寄っていた店。この日も安価でいいキャップがあり、散々悩んだが最近散財気味なので泣く泣く断念(苦笑)。原宿にある店舗は、今でも仕事で近くに行けば頻繁に通っている。
・インド・パキスタン料理「ににんがよん(2×2=8)」
下北では珍しい食べ放題の店。若い頃はお金もなかったし、よくここで限界までカレーを食べていた。まだ、あったんだなぁ~とすごくホッとした。この日も寄りたかったが、そこまで空腹ではなかったので断念。税抜価格は以前と変わってなかった。
・「ヴィレッジヴァンガード」
本多劇場内にある「ヴィレッジヴァンガード」。サブカルチャーをもっとも手軽に体感できる場所だった。「楽しさ」を感じさせる売場空間の創造が当時も今も心地いい。もはや観光地レベル、史上最も狂ってる下北沢店。
最後にせっかくだから新しい下北沢の味を堪能しようと、以前はなかったラーメン屋に寄る。
「俺流熟成塩らーめん」 お店の名前は…渋谷生まれの塩らーめん「俺流塩らーめん」…んっ、下北発祥のお店ぢゃないじゃん!(苦笑)
楽しかった。物事が今よりクリアに見えなかった分、勢いだけで突っ走れた20代前半の思い出が走馬灯の様にフラッシュバックした。この地での失恋のトラウマは流石に払拭できていたみたいだし(笑)、また時間があったらぶらり途中下車してみよう。
僕の愛した下北沢の特徴は、ある社会層に偏らず多様な社会層が密集していること。若者の街として本格的に発展したのはせいぜい 30年前。先述の「下北沢北口駅前食品市場」のように顧客のターゲットを若者のみに絞ることもなかった。下北沢はこの地域に居住する人々が日常生活用品を求める街であり、ショッピングの街でもあり、アメ横的魅力を追う人々の街なんだ。
だから、下北沢に集う人間の種類は多種に渡る。金持ちや商店主、子犬を連れた奥様、学生、フツーのサラリーマン、バンドマン等、ありとあらゆる人種が下北沢には密集している。改めてそう思った。
2012年4月設置から長きに渡りお台場ダイバーシティ東京 プラザ フェスティバル広場に立像していた「実代物ガンダム」が惜しまれつつも去る2017年3月5日のクロージングセレモニーを経て、その姿を消した。
しかし、その後継として「実代物ユニコーンガンダム」が設置されることが上記のクロージングセレモニーで発表。2017年9月24日(日)の一般展示を前にオープニングセレモニー兼プレス発表会があり、私も仕事の関係で出席させてもらった。
デフォルトはユニコーンモード
デストロイモードへ変身
世代的に極端なファーストガンダム信奉者のワタシ的には初代ガンダム像の撤去はヒジョーに残念だったが、こーしてユニコーンガンダム像を見てみたら、初代ガンダム像にはなかった、光のギミック、パーツの稼働など、非常に質の高い演出で圧倒されてしまった。うん、これはこれでいい!
せっかく、ダイバーシティまで来たので、今年の夏にオープンした国内初のガンプラを主体とした複合施設「THE GUNDAM BASE TOKYO(ガンダムベース東京)」にも寄ってみた。
今はもうガンプラを購入して作ることもなくなってしまったが、高校生の頃にこの施設が身近にあったら通いつめていたかも(苦笑)
ファーストガンダムの原点である「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の第5弾『激突 ルウム会戦』も現在公開中!
今月は、ガンダム好きおじさん、ワクワクの1ヶ月でした(笑)
しかし、その後継として「実代物ユニコーンガンダム」が設置されることが上記のクロージングセレモニーで発表。2017年9月24日(日)の一般展示を前にオープニングセレモニー兼プレス発表会があり、私も仕事の関係で出席させてもらった。
デフォルトはユニコーンモード
デストロイモードへ変身
世代的に極端なファーストガンダム信奉者のワタシ的には初代ガンダム像の撤去はヒジョーに残念だったが、こーしてユニコーンガンダム像を見てみたら、初代ガンダム像にはなかった、光のギミック、パーツの稼働など、非常に質の高い演出で圧倒されてしまった。うん、これはこれでいい!
せっかく、ダイバーシティまで来たので、今年の夏にオープンした国内初のガンプラを主体とした複合施設「THE GUNDAM BASE TOKYO(ガンダムベース東京)」にも寄ってみた。
今はもうガンプラを購入して作ることもなくなってしまったが、高校生の頃にこの施設が身近にあったら通いつめていたかも(苦笑)
ファーストガンダムの原点である「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の第5弾『激突 ルウム会戦』も現在公開中!
今月は、ガンダム好きおじさん、ワクワクの1ヶ月でした(笑)
8月23日(水) 新宿・大久保
今やっている仕事がとりあえず一段落したので、この日は午後、代休をもらい新宿・大久保をぶらぶら
MLBにプロ野球・国内最大級の野球グッズ専門店「セレクション新宿店 ベースボール館」へ!(2月にはセレクションさんのブログにて息子とともに掲載して頂けました♪)
3ヶ月ぶりに来店したが、NPBグッズがすんごい増えてた!売り場面積の4割以上がNPBグッズで占められ、12球団各々のラックまで設けられていた
しかし、昨年から広島東洋カープグッズの取り扱いが増えたねぇ~。
キャップの品揃えは他球団の倍以上!
今はどうだか知らないが以前は東京ヤクルトグッズの販売代理店だったので、東京ヤクルトグッズは群を抜いて充実していたが、今は広島東洋カープグッズが一番充実しているように感じた。「赤」だらけ!
去年の快進撃から、東京でもカープグッズを身にまとった人を多く見るようになったから、今一番需要があるのはカープなんだろうねぇ~。
大学時代の友人(広島出身)はミーハーが増えて不快だと嘆いていたが、今まで野球に興味なかった人が野球に関心を持つようになっていいことじゃないか!ウチの嫁ちゃんなんて、旦那(私)も息子も日々、野球、野球って大騒ぎしているのに、一向に無関心なんだもん
でも、嫁ちゃんはカワイイから許す!
娘は野球好きになるといいなぁ~
その後は新大久保のコリアンタウン。ここは日本にいながら、韓国を含めアジアの雰囲気を感じることのできるステキで大好きな場所。(あ~バックパッカーだった頃が懐かしい…)
久しぶりに来たけど結構お店が入れ替わっているなぁ~。よ~く見ると韓国系のお店が減ってきて、そのスキマに他の国のお店が出店してて、多国籍化してきているかも。
2002年日韓ワールドカップ時には赤いユニフォームをまとった多くの韓国代表サポーターたちが街にあふれていた場所だけあって、新大久保のコリアンタウンのイメージは「赤」で覆われた街であった。
食欲旺盛になってきた息子も、まだ赤くて辛い韓国料理は食べられないだろうけど、もう少し大きくなったら、父ちゃんと一緒に行こうぜ!
まだ娘が小さいから、海外には連れてってあげれないけど、大久保のコリアンタウンならなんとか家族全員でもこれるし、ここで異国情緒に浸るのもいいかもねぇ~♪で、いつかアジア諸国に行こうぜぁ~
あっ、嫁ちゃんはヨーロッパ行きたいって言ってたっけ…オレ、アジアに行きたいんだけどなぁ~
でも、嫁ちゃんはカワイイから許す!
今やっている仕事がとりあえず一段落したので、この日は午後、代休をもらい新宿・大久保をぶらぶら
MLBにプロ野球・国内最大級の野球グッズ専門店「セレクション新宿店 ベースボール館」へ!(2月にはセレクションさんのブログにて息子とともに掲載して頂けました♪)
3ヶ月ぶりに来店したが、NPBグッズがすんごい増えてた!売り場面積の4割以上がNPBグッズで占められ、12球団各々のラックまで設けられていた
しかし、昨年から広島東洋カープグッズの取り扱いが増えたねぇ~。
キャップの品揃えは他球団の倍以上!
今はどうだか知らないが以前は東京ヤクルトグッズの販売代理店だったので、東京ヤクルトグッズは群を抜いて充実していたが、今は広島東洋カープグッズが一番充実しているように感じた。「赤」だらけ!
去年の快進撃から、東京でもカープグッズを身にまとった人を多く見るようになったから、今一番需要があるのはカープなんだろうねぇ~。
大学時代の友人(広島出身)はミーハーが増えて不快だと嘆いていたが、今まで野球に興味なかった人が野球に関心を持つようになっていいことじゃないか!ウチの嫁ちゃんなんて、旦那(私)も息子も日々、野球、野球って大騒ぎしているのに、一向に無関心なんだもん
でも、嫁ちゃんはカワイイから許す!
娘は野球好きになるといいなぁ~
その後は新大久保のコリアンタウン。ここは日本にいながら、韓国を含めアジアの雰囲気を感じることのできるステキで大好きな場所。(あ~バックパッカーだった頃が懐かしい…)
久しぶりに来たけど結構お店が入れ替わっているなぁ~。よ~く見ると韓国系のお店が減ってきて、そのスキマに他の国のお店が出店してて、多国籍化してきているかも。
2002年日韓ワールドカップ時には赤いユニフォームをまとった多くの韓国代表サポーターたちが街にあふれていた場所だけあって、新大久保のコリアンタウンのイメージは「赤」で覆われた街であった。
食欲旺盛になってきた息子も、まだ赤くて辛い韓国料理は食べられないだろうけど、もう少し大きくなったら、父ちゃんと一緒に行こうぜ!
まだ娘が小さいから、海外には連れてってあげれないけど、大久保のコリアンタウンならなんとか家族全員でもこれるし、ここで異国情緒に浸るのもいいかもねぇ~♪で、いつかアジア諸国に行こうぜぁ~
あっ、嫁ちゃんはヨーロッパ行きたいって言ってたっけ…オレ、アジアに行きたいんだけどなぁ~
でも、嫁ちゃんはカワイイから許す!