自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

埼玉西武ライオンズ プラクティスジャージ風

2017-09-30 00:05:00 | 自作Tシャツ
埼玉西武ライオンズ プラクティスジャージ風自作Tシャツ


2009年、埼玉西武ライオンズのチームカラーがそれまでのライトブルーから「レジェンド・ブルー」と称する紺色に変更。基本デザインは西鉄ライオンズ時代のユニフォームを踏襲しており、ホーム用は白地に紺のラケットライン。左胸に「L」のイニシャルが付き、(このデザインは2014年まで採用)デトロイト・タイガースに似たデザインとなる。

#1 栗山巧


#3 中島裕之


#26 星野智樹


右胸の醜悪な企業ロゴ(スウォッシュ)はかなり気に入らないが、そこに目をつぶれば…

ぶっちゃげ、カッコイイ!

正直、レプリカジャージを購入しようか物凄く悩んだが、小学生時代から「西武は嫌いじゃ!」と公言し、自分の信念を曲げるのも癪だったから購入を控えていた。でも、カッコイイものはカッコイイので…自作のTシャツぐらいならいっかと作成することに(要は自分の信念を曲げただけ 苦笑)

ユニフォームのように白地に紺字の「L」のイニシャルを付けることも検討したが、白地のTシャツは娘の世話をしていると汚されてしまうので、色を反転、紺地に白字の「L」のイニシャルを付けることにした。前述のデトロイト・タイガースニューヨーク・ヤンキースのプラクティスジャージのような雰囲気で、これはこれでカッコイイわぁ~♪前身の西鉄ライオンズ自作Tシャツと共に会心の一作である。

しかし、ニューヨーク・ヤンキース同様、昔から好きじゃないと公言していた(埼玉)西武ライオンズのグッズを着用するのは、ものすごい背徳感があるなぁ~。でも、カッコイイものはカッコイイから仕方ない(苦笑)


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埼玉西武ライオンズ キャップ

2017-09-29 00:05:00 | ベースボールキャップ
埼玉西武ライオンズ キャップ

2009年~現在まで使用されているモデル。ただし、サプライヤーはナイキから2016年マジェスティックになる。所有しているレプリカキャップはマジェスティック製。しかし左サイドパネルに配されたマジェスティックのロゴが目立ち醜くいのでナイキ制を購入すべきだったと、ちょい後悔してる。


#17 菊池雄星


私の世代では、緑の楕円の中に手塚治虫テザイン「レオ」のカリカチュアが描かれ、下に白文字でLionsのロゴが刺繍されたライトブルーのキャップこそが西武ライオンズのイメージそのものだった。

1979~2003年まで採用されたキャップ

#12(後に#18) 郭泰源

ライトブルーのキャップはクラウンライターから西武になった1979~2003年まで着用(2004~2008年はマイナーチェンジされLionsのロゴが廃止となりクリーブランド・インディアンスのようにカリカチュアのみとなる ※1)、1980年代後半から90年代中盤まで続いた黄金時代の象徴のようなキャップだった。それ故に、このネイビー一色に「L」のロゴのキャップに変更になった時は少々驚きもあったが、シンプル故に美しい仕上がりとなっている。個人的には前身の西鉄、太平洋クラブ、クラウンライター含む歴代ライオンズキャップで最も洗練されたキャップの一つだと思っている。

※1 2004~2008年に採用されたキャップ

#3 中島裕之

私が小学生の時は、地元の群馬テレビではよく西武戦の中継が行われ、またその当時は西武の黄金時代だったこともあり、巨人のキャップと並び、上記言及したライトブルーの西武キャップを着用している生徒が多かった。が、私は当時から相当のひねくれ者で、人気があるチーム、強いチームっていうのは大嫌いだったから、巨人のキャップも西武のキャップもお断り!ということで、特に好きでも嫌いでもない近鉄バファローズのキャップを着用して登校していたもんだったwww

あれから、約30年…あれほど嫌っていたライオンズのキャップを所有することになり…着用時はなんとなく背徳感がある(苦笑)


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HONDA Marlboro McLaren MP4/4 壁掛け写真

2017-09-28 00:05:00 | その他グッズ等諸々
HONDA Marlboro McLaren MP4/4 壁掛け写真

10年ぐらい前、同時の職場の同僚からいただいた。

マクラーレン・MP4/4は1998年に16戦15勝を挙げ勝率93.7%「無敵」の強さを誇った歴代マクラーレン最強マシン。ターボ時代を象徴するような低いフォルムが輝きを放っていた。カラーリングはマクラーレンの代名詞であるタイトルスポンサーのマールボロ。

#11 アラン・プロスト


#12 アイルトン・セナ




ブラバムから移籍してきたゴードン・マーレーが最後に手がけたF1マシンであり、先代MP4/3に比べてより低重心の扁平なものとなり、彼がデザインしたブラバムBT55を彷彿させるフォルムである。マーレー曰く「88年のマクラーレン (MP4/4) はマールボロの皮を被ったBT55だ」と表現している。

ブラバムBT55(1986年) #7 リカルド・パトレーゼ ※平たい特異なフォルムは「フラットフィッシュ(ヒラメ)」とも揶揄された

話をマクラーレン・MP4/4に戻すと、エンジンはTAGポルシェからウィリアムズで成功を収めていた第2期ホンダを採用し、かなり突貫で製作されたマシン。ブラバムBT55のコンセプトを引き継ぎ低重心化を狙い、先代からのフロントサスペンションのプッシュロッドをプルロッドに改良。以後MP4/5Bまで採用される。シャシーは従前通りオス型成型のカーボンモノコックにアッパーカウルを被せる手法で、こちらはMP4/6まで継続して採用される。

最強を世に知らしめたこのマシンも「ターボエンジン禁止」間際で、1.5ℓターボから翌年1989年は3.5ℓNAに切り替わりる。まさにいい時期のホンダエンジンとアイルトン・セナとアラン・プロストの融合により、F1史上最強マシンになった。当時のF1はずんぐりしたフロントノーズが主流だったが、MP4/4は細く洗練されたシャープなノーズに仕上がっており、ひときわ目立ち美しかった。


我々世代の人間にとっては「マクラーレン・ホンダ」は特別な響を奏でる固有名詞だったが、それから約30年後の2017年9月4日、「マクラーレン、ホンダと別離へ」のニュースが飛び込む…。

かって、憎たらしいほど強かったマクラーレンとホンダの2度目のジョイントは…ホンダがマクラーレンに見捨てられる形で終焉を迎える。(前回はホンダが惜しまれつつ撤退したのとは大違い)今と昔のホンダは違う…。分かっているけど、そんなこと想像したくなかった…寂しい限りである。

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井口監督就任?に伴う監督の背番号について考えてみた

2017-09-27 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
先日、引退を表明し、9月24日に引退試合に出場した千葉ロッテの井口資仁内野手が来季の千葉ロッテ監督就任が濃厚であるらしい。

球団が23日までに監督就任を正式要請し、選手としてNPBで日本一、MLBでもワールドチャンピオンを経験した井口選手も受諾する方向。MLBを経験した日本選手が監督に就任するのは初になる模様。

率直な意見としては、今回の件も含め、NPBはフロントの素人的運営が丸出し。巨人・高橋監督就任の経緯もそうだが、監督としての能力を全く無視し「選手達の間でリーダーシップがある」などという理由をこじつけて、チームの管理能力よりも現役時代の論功行賞的ニュアンスが未だ強いんだなぁ~と感じてしまった。

他にも監督候補として挙げられていた千葉ロッテOBでもあるフリオ・フランコ氏は現在KBOロッテ・ジャイアンツのコーチを勤めている。フランコ氏は現役指導者であり監督就任については井口選手よりも適任であるのは明白である。フランコ監督のもとで帝王学を学んでから井口監督就任の流れの方が理にかなっていると思うのだが…商業的な要素で井口氏選手引退→即監督就任に持ち込んだ感が強い。

しかし、井口資仁内野手が監督に就任した場合、引き続き背番号「6」を使用するという報道には少々心躍った。


NPBに限って言えば監督の背番号と言えば70番代、80番代が一般的である。しかし、もともと監督の背番号に決まったルールはなく、MLBでは監督が一桁の番号や現役時代に背負っていた番号など、NPBでは「プレイヤーズナンバー」と思える番号を監督が背負っているということが多々ある。NPBでも2015年に就任した阪神・金本監督の「6」や巨人・高橋監督の「24」のように現役時代に背負った番号を着用する監督も見受けられるようになった。

これは、監督の背番号が自由化されたと言うよりは、現役時代の背番号のままのほうがグッズの売り上げはいいという商業的戦略もあるだろう。

さらに偉大なる貢献をし引退した選手の背番号を引き継ぐには荷が重いということで、その背番号がしばし空番になる可能性が高い(今で言うと三浦大輔投手が背負った横浜の「18」、東京ヤクルトの名捕手だった古田敦也元監督の「27」等々)。しかし、現在、選手に付与すべき一桁及び二桁背番号は飽和状態であまり空番が多くはない。それなら、監督には現役時代の背番号をそのまま着用してもらい、付与できないような空番が発生することを避けるたいとする球団の事情も垣間見れる。


上記のような理由で球団主導になるだろうが、ありきたりの70番代、80番代の背番号だけでなく、若い背番号を着用する監督が増えてくるのは一桁背番号の投手のように視覚的に楽しくていいかもしれない。

【過去にNPB監督が背負ったいわゆる「若い背番号」】
【1】
鶴岡一人(グレートリング/1946)
吉田義男(阪神/1975~1977)
王貞治(巨人/1984~1988)
テリー・コリンズ(オリックス/2007~2008)

【2】
山下実(阪急/1938~1939途、1940~1940途)
小玉明利(近鉄/1967)
ボビー・バレンタイン(千葉ロッテ/2004~2009)
レオ・ドローチャー(太平洋クラブ/1976)※病気のため実際に指揮はとれず

【3】
長嶋茂雄(巨人/2000~2001)

【6】
中西太(西鉄/1962~1969途)
金本知憲(阪神/2016~)
井口資仁?(千葉ロッテ/2018~)

【8】
山本浩二(広島/2001~2005)

【9】
松木謙治郎(大阪・阪神軍/1936~1941、1950)

【10】
藤村富美男(大阪・阪神軍/1946、1955途~1956)●1955年は監督代行
宇野光雄(大毎/1962)

【11】
村山実(阪神/1969~1972、1988~1989)

【12】
広瀬叔功(南海/1978~1979)
江藤愼一(太平洋クラブ/1975)

【14】
西村正夫(阪急/1943)

【15】
苅田久徳(セネタース・翼軍/1938~1940)

【16】
川上哲治(巨人/1959~1964)

【18】
若林忠志(大阪・阪神軍/1942~1943、1947~1946)

【19】
野村克也(南海/1968~1977、東北楽天/2006~2009)

【20】
杉下茂(中日/1959~1960)

【21】
伊藤勝三(大東京/1936)●NPB選手兼任監督第1号

【23】
藤本英雄(巨人/1946~1946途)

【24】
稲尾和久(西鉄、太平洋クラブ/1966~1972)
高橋由伸(巨人/2016~)

【25】
井野川利春(阪急/1940)
別当薫(毎日/1952途~終了、1954~1956)

【27】
古田敦也(東京ヤクルト/2006~2007)
谷繁元信(中日/2014~2016)

【30】
上田利治(阪急、オリックス/1971~1978, 1981~1990)

【33】
若林忠志(毎日/1953)
長嶋茂雄(巨人/1993~1999)

【34】
金田正一(ロッテ/1973~1978、1990~1991)

【35】
湯浅禎夫(毎日/1950)

※1950年代までは「30」は一般的に監督の背番号だったため、その当時の監督は除外
※1944年は背番号の使用禁止、1945年は活動中止
※まだまだ確認できていない監督もあるため、今後も加筆予定

逆に主力選手なのに大きい番号をマイナンバーにしていく選手もカッコいいと思う。
「41」の渡辺久信さん【西武】、「44」のランディ・バース【阪神】、「46」の本多雄一内野手【福岡ソフトバンク】、「47」の工藤公康さん【西武、福岡ダイエー、巨人、横浜】、「49」のウォーレン・クロマティ【巨人】、「50」の攝津正投手【福岡ソフトバンク】、「51」のイチローさん【オリックス】、「52」の川崎宗則内野手【福岡ダイエー・福岡ソフトバンク】、「53」の赤星憲広さん【阪神】、「55」の大豊泰昭さん【中日、阪神】、「55」の松井秀喜さん【巨人】、「55」の秋山翔吾外野手【埼玉西武】、「59」のバルビーノ・ガルベス【巨人】、「60」の門田博光さん【南海】、「60」の中村剛也内野手【埼玉西武】、「64」の田之上慶三郎さん【福岡ダイエー・福岡ソフトバンク】、「66」の斉藤和巳さん【福岡ダイエー・福岡ソフトバンク】、「70」の田上秀則さん【福岡ソフトバンク】、「77」のトニー・バティスタ【福岡ソフトバンク】、「85」のラスティングス・ミレッジ【東京ヤクルト】、「90」の田口麗斗投手【巨人】、「94」の原口文仁捕手【阪神】、「99」の井上一樹さん【中日】、「99」の張誌家さん【西武】 等々

※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

クライマックスシリーズ制度考察

2017-09-26 00:05:00 | 野球、その他スポーツの話
今年のペナントレースは9月中旬に早々と福岡ソフトバンク、広島のリーグ優勝が決定した。


優勝決定後と言えば、以前は残り試合を黙々と消化するだけだったが、現在はクライマックスシリーズ(以下CS)制度が導入された結果、ペナントレースは優勝決定後も活況を呈している。

ただ、このCS、毎度のことではあるが、その存在意義を問う声が上がっているのも事実である。

今年は優勝した両チームは2位以下に10ゲーム以上の大差をつけている(9月26日現在)。しかし、CSファイナルステージではリーグ優勝チームに1勝のアドバンテージが与えられるのみ。これほどの大差をつけ圧倒的な強さを見せた各リーグの優勝チームではあるが、CSの結果次第では優勝チームが参加できない日本シリーズが開催される可能性もある。もうしそうなった場合、年間チャンピオンを決める頂上決戦としては大いに違和感が湧くのは自然であろう。しかし、興行的なメリットを考えると現在は有益なコンテンツと化しているのも事実である。CSは必要なのか?不要なのか?CS制度のメリット、デメリットを考えてみた。

【CSのない場合】
◆メリット:リーグ優勝したチームはそのまま日本シリーズへ進出できる。
◆デメリット:消化試合が多くなる。消化試合はメディアが取り上げない。
今シーズンは前述通り両リーグとも9月中旬にリーグ優勝が決定。それ以降、CS報道にメディアの注目が移った。これがCSなしならペナントの4分の1ほどが消化試合になってもおかしくない。また、Bクラスがほぼ決まってしまえば、本音の部分で、選手はチームが勝つために試合をしない。進塁打など打率が下がる打撃はしない。自分の成績を上げるためにプレーをする。そんな目を覆いたくなる出来事が過去にあった。
●1984年:本塁打王争いをしていた中日・宇野内野手と阪神・掛布内野手が最終2試合で対戦したが、お互いに10連続敬遠でタイトルを分け合った。最終戦を前に、セ・リーグ会長から敬遠をしないよう警告文が出ていたにもかかわらず無視され、リーグは2人を表彰した。会長の警告、無視かよ!
●1982年:首位中日と横浜大洋の最終戦では、横浜大洋・長崎外野手と首位打者を争っていた中日・田尾外野手は5打席全て敬遠された。この試合は、中日が勝つか引き分ければ優勝、もし横浜大洋が勝てば2位巨人が逆転優勝という大一番だった。田尾外野手を無意味に出塁させた横浜大洋は当然のように0対8で完敗し、中日が優勝した。巨人からは抗議もなかったが、これはもはや野球協約で禁じる敗退行為、すなわち八百長だと断ずる声もある。
●1998年:千葉ロッテ・小坂内野手と西武・松井稼内野手が盗塁王を争った最中の消化試合。小坂内野手はわざわざスタメンを外れて代走で出場。西武投手は牽制を悪送球した。この悪送球も故意の可能性が高いが、小坂内野手は進塁しない。すると投手は故意にボークを犯して、小坂内野手を2塁に進ませる。ベース上にはショート松井内野手が張り付いたまま。小坂内野手は無理に3盗を試み、アウトになった。
●2001年:大阪近鉄・ローズ外野手が王貞治・福岡ダイエー監督(記録更新時は巨人の選手として)の持つシーズン55本塁打の更新に挑戦し、その王監督の率いる福岡ダイエーから四球攻めにあった。王監督が指示したわけではなかったとされるが、シーズン後に実際に敬遠を指示した若菜バッテリーコーチが辞任した。
●2002年:逆に西武・カブレラ内野手は、本塁打王争いを有利に運ぶ意図もあり少しでも多く打席に立つために1番で出場した。


【CSのある場合】
◆メリット:消化試合が少なくなる。メディアの露出が増える。今季のセ・リーグで言えば、横浜と巨人の3位争いは現状で最も注目されている動向だ。プレーオフ制度はともかくCSのシステムには否定的な私でも逐一チェックしているほどだ。
◆デメリット:リーグ優勝したチームが日本シリーズに出場できないケースがある。

消化試合の弊害は、メディアの露出が減るなど球団にとってはいいことはない。スポンサー収入が下がる→放映権料が下がる→球場に足を運ぶファンも減る→チケット収入、グッズ収入もダウン、といったデフレスパイラルに陥る。昨年の横浜は好例だった。CS3位争いでカウントダウン企画Tシャツを発売、その後、2位争いから三浦大輔投手の引退グッズまで。最後の最後まで商魂もたくましかった。こういった取り組みは、オーナー企業としても球団保有のメリットが出てくるのではないかと思う。CSがなければ、消化試合の経費がかさむばかりだった。消化試合が増えて球団経営に悪影響が出ると2004年に起きた球界再編の呼び水ともなりうる。


現行のCS制度にて最も批判が多いのは、「レギュラーシーズンの勝率が5割以下のチームでも3位までに入れば日本一になる可能性がある。」ことだろう。ただ、「球団数が圧倒的に多いメジャーリーグのプレーオフ制度はいいんだけど日本のCSはねぇ~」と通ぶって、MLBはなんでも正しいと心酔ている奴の会話を耳にすると異様にイラつく(苦笑)。MLBのプレーオフだって、所詮プレーオフ。日本のCS同様、問題点はある。


●借金チームがプレーオフに進出する事態はMLBでも起こりうる
現行CS制度は、MLBのプレーオフを参考に導入されたものである(システムはステップラダートーナメント方式なのでKBOスタイル)。MLBでは1リーグを3地区に分け、それぞれの地区優勝チームとワイルドカード1チーム(2011年までは各地区の2位チームのうちもっとも勝率の高いチーム。2012年からは地区優勝チーム3チームを除いた各リーグ12チームの中で勝利数の上位2チームが1試合限りのワイルドカードゲームを行い、その勝者がディビジョンシリーズに進出)がプレーオフに進出する。CSに反対する意見の代表的なものは、「メジャーのプレーオフ進出チームはあくまで地区優勝チーム。ワイルドカードは、他地区の優勝チームより勝率に勝る場合がある。だからプレーオフに進出する権利がある。CSの3位チームは、プレーオフ進出にふさわしい成績とは言えない」というものだ。
だが、これは1つ見落としている。MLBの各地区は、1リーグを3つに分けただけだ。したがって、いずれかの地区に強いチームあるいは弱いチームが固まってしまった場合、制度上借金チームが地区優勝してしまうことがあり得る。また。極端に少ない勝利数で地区優勝したチームがあった場合、リーグ上位4位でもプレーオフには進出できない。2000年以降両リーグの上位4チームだけでプレーオフを行ったのは、2002年、2004年、2010年及び2014年の4回のみ。これって、日本のCSよりひどくない?

甚だしいのは2008年ナ・リーグ西地区優勝のドジャースで、「ワイルドカードより下」どころかリーグ全体の8位の成績に過ぎない。

「東」=東地区優勝 「中」=中地区優勝 「西」=西地区優勝 「W」=ワイルドカード ◎=ワールドチャンピオン

さすがにまだ借金チームが地区優勝したことは現実にはないが、2005年のナショナルリーグ西地区優勝のパドレスの成績は、82勝80敗、勝率.504に過ぎなかった。リーグでは7位。ちなみにこの年、東地区ナショナルズは、81勝81敗の5割でも最下位だった。

「東」=東地区優勝 「中」=中地区優勝 「西」=西地区優勝 「W」=ワイルドカード ◎=ワールドチャンピオン

(さらに1994年には、テキサス・レンジャースが52勝62敗で首位に立っていたことがある。この年はストライキでシーズンが中断したため、公式には地区優勝はなしとなっている。)

現実問題として、これらのチームがポストシーズンを勝ち上がりワールドシリーズに駒を進めるのは、困難なのではないだろうか。上記のドジャースもパドレスも、地区シリーズであっさりとスイープされて早々に姿を消している。「借金チームが日本一なんて」と、まだ起きてもいないことをあまり心配する必要はないと思う。




●ペナントレースでの最高勝率チームを優勝とするのは単なる制度に過ぎない
そもそも、ペナントレースで最高勝率を上げたチームを優勝とするのは、「ルールでそう定めているから」に過ぎない。2001年のセ・リーグでは、勝率でなく勝ち星が一番多いチームを優勝とする方式が採用された。引き分け数の関係で、勝率と勝ち星が逆転してしまい、最多勝利を挙げたチームが優勝できない事態が生じたからである。試合消化の差から「隠れ首位」という現象が起き、わかりにくいと不評で1年で改められてしまったのは記憶に新しい。パ・リーグ3位の千葉ロッテが「下克上」にて日本一に輝いた2010年、よくよく考えてみるとパ・リーグで勝ち星が一番多かったのは1位の福岡ソフトバンクではなく、リーグ2位の埼玉西武ライオンズ。先の2001年セ・リーグ方式がこの年のパ・リーグに採用されていれば、優勝は埼玉西武だった。結局NPBのリーグ優勝はその年の制度によっていくらでも変わってしまうものなのである。
【2010年パ・リーグ順位表】


もちろん、長いペナントレースで最高の勝率を記録したチームがもっとも強いから優勝にふさわしいという意見には、高い蓋然性がある。だがそれなら、日本シリーズはどうだろう。長いペナントレースでリーグ優勝チームを決めたのに、たった7試合で日本一を決定するこの制度に、蓋然性はあるだろうか?現実には、日本シリーズを制したチームを日本一とすることは広く受け入れられている。これまた、そういう制度になっているからだ。




純粋に年間の優劣を付けるのであればプレーオフなんて制度は邪道かもしれない。しかし、興業的な要素を考慮すればプレーオフは必要悪なのかもしれない。2004年のセ・リーグのように、オールスター前にマジックがつくようなペナントは興業的にはよろしくない。特に昨年からセ・リーグは、1強3弱2問題外という勢力図が定着してしまい、優勝争いの興を削ぐこと甚だしい。優勝の可能性がなくなってモチベーションを欠いたプレーを見ても、誰も興奮しやしない。これを解消するには、各チームの戦力均衡を図る必要があるのだが、そう容易ではない。完全ウェーバー性やぜいたく税を導入して経済格差の是正に努めているMLBでさえ、現実には各リーグにお荷物チームが存在する。球団の戦力造成とはかくも難しいのだ。そこでその有力な解決策になるのが、CSなのかもしれない。3位にまで入れば、日本一の可能性がある。そんな違った見方をすれば、その存在意義も変わってくるのかもしれない。

実代物ユニコーンガンダム お台場に現る!

2017-09-25 00:05:00 | 街の風景
2012年4月設置から長きに渡りお台場ダイバーシティ東京 プラザ フェスティバル広場に立像していた「実代物ガンダム」が惜しまれつつも去る2017年3月5日のクロージングセレモニーを経て、その姿を消した。



しかし、その後継として「実代物ユニコーンガンダム」が設置されることが上記のクロージングセレモニーで発表。2017年9月24日(日)の一般展示を前にオープニングセレモニー兼プレス発表会があり、私も仕事の関係で出席させてもらった。

デフォルトはユニコーンモード


デストロイモードへ変身




世代的に極端なファーストガンダム信奉者のワタシ的には初代ガンダム像の撤去はヒジョーに残念だったが、こーしてユニコーンガンダム像を見てみたら、初代ガンダム像にはなかった、光のギミック、パーツの稼働など、非常に質の高い演出で圧倒されてしまった。うん、これはこれでいい!

せっかく、ダイバーシティまで来たので、今年の夏にオープンした国内初のガンプラを主体とした複合施設「THE GUNDAM BASE TOKYO(ガンダムベース東京)」にも寄ってみた。

今はもうガンプラを購入して作ることもなくなってしまったが、高校生の頃にこの施設が身近にあったら通いつめていたかも(苦笑)

ファーストガンダムの原点である「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」の第5弾『激突 ルウム会戦』も現在公開中!

今月は、ガンダム好きおじさん、ワクワクの1ヶ月でした(笑)


中日ドラゴンズ・ドアラぬいぐるみ

2017-09-24 00:05:00 | 模型・フィギュア等
中日ドラゴンズ・ドアラぬいぐるみ

2015年8月、友達の出産祝いにて赴いた名古屋の名駅地下街「エスカ」にて購入。よく見るとスパイクの柄はドアラの「ド」になってる

「キモかわいい」で2007年一躍大ブレイクを果たした、中日ドラゴンズのマスコット


巨人ファンになってしまいそうだった息子の関心を他球団に向かせようとして購入したが、目論見は失敗。残念ながら息子は立派な巨人ファンになってしまった…。よって、息子には見向きもされず、娘にもあまり遊んでもらえず、ちょっとかわいそうな我が家のドアラ。


つば九郎「あ~あ、息子さん、巨人ファンになっちゃったね…」
ドアラ「無念…」


ちなみに初代ドアラ…

今とだいぶ風貌が違いますなぁ~。マスコットも時代とともに変わっていくんですなぁ~


※その他グッズはこちら

南葛FC 岬太郎Tモデル

2017-09-23 00:05:00 | 既製品Tシャツ他
南葛FC 岬太郎Tシャツ

10年以上前にアキバのドンキで購入

背番号「11」はご存知、岬くん!






本作では、この水色バージョンのユニフォームって登場したのだろうか?

って言うか、何故、これを購入したのだろうか?(苦笑)

※その他グッズはこちら

ザスパ草津 サポーターズユニフォーム

2017-09-22 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
ザスパ草津 サポーターズユニフォーム

購入時期不明だが、多分2005~2006年頃、地元・群馬に帰省した時、ベイシアにて購入。

2013年より「ザスパクサツ群馬」にクラブ名称を変更。


オーセンティックレプリカユニフォームではないので、何年の使用モデルと言うわけではないが、ぱっと見、J2に昇格した2005年モデルに近いデザインである。






今でこそ、野球「BCリーグ」の群馬ダイヤモンドペガサス、バスケットボール「Bリーグ」の群馬クレインサンダーズなど、複数のプロスポーツチームが存在する、我が愛する地元の・群馬県であるが、私が高校生まで群馬県に住んでいた時はプロスポーツチームなど皆無だった。そんな群馬県に初めて誕生したプロスポーツチームが「ザスパ草津」だった!

群馬県に戻って観戦する機会は皆無だが、東京や横浜でこのジャージを着用して観戦した地元クラブには自然と愛おしさがわいてきたものだった。



※その他グッズはこちら

気品漂うピースナイター2015ユニフォーム

2017-09-21 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
広島東洋カープ2年連続優勝を祝してカープの話題を。

MLB、NPB、KBOでは近年復刻ユニフォームを含め、企画ユニフォームの採用が活発である。

復刻ユニフォームに関しては各々球団の歴史に対し敬意が垣間見れ、今後も是非とも継続して欲しい。

問題は柔軟すぎる発送で乱発される企画ユニフォームだ。先日、MLBでも「プレイヤーズ・ウィークエンド」と称して奇抜な企画ユニフォームが登場、MiLBの企画ユニフォームに至っては、もう収集がつかないレベルまで陥っている…。

NPBでも、そのほとんどが奇抜すぎて個人的には幻滅している。薄っぺらいコンセプトで内容もテキトーだし、ユニフォームのデザインに関してもふざけすぎだろというのがあまりにも多くて…

しかし、2015年8月6日 広島対阪神(広島市民球場[マツダスタジアム])にて開催された「ピースナイター2015」で着用された企画ユニフォームは、『反戦』というコンセプトを完璧にユニフォームと言うキャンパスで体現し、そのデザインも気品溢れ格調高いものに仕上がっていた。


「ピースナイター」試合限定で、監督、コーチ、選手全員が8月6日にちなんだ背番号「86」のユニホームを着用。(セ・リーグ公式戦でチーム全員が統一した背番号のユニホームで戦うのは初めて)デザインは、胸に「Carp」ではなく「PEACE」(平和)、背中に個々の名前ではなく「HIROSHIMA」のロゴが入り、背番号・胸番号は監督、コーチ、選手全員が「86」。左袖のワッペンには原爆で犠牲になった29万2325人(2014年8月6日時点)の数字を、キャップの右側頭部には平和を象徴する「白いハト」のデザインをあしらった。








#23 薮田和樹


左:#90 玉木朋孝コーチ/右:#51 鈴木誠也


この高尚なる企画のために作成されたユニフォームを論じるなど、言語道断であることは重々承知しているが、「Carp」に代わって胸に描かれた「PEACE」のフォントは広島カープ伝統の花文字。2001年まで採用されていた花文字の「CARP」のレタリングを彷彿させる。原爆の日である8月6日を意味する背番号「86」を全員が着用し、背ネーム記載箇所にも全員共通で「HIROSHIMA」。

平和を願うすべての人々の統一感が見事に可視化され、野球という枠を超えて企画ユニフォーム史上最も高潔で、凛々しく、品格が漂うユニフォームであった。

※他にもユニフォームのこと、ゴチャゴチャ言ってます。

ハンファ・イーグルス(한화 이글스)ホーム

2017-09-20 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
ハンファ・イーグルス(한화 이글스)ホーム


2010年、大田市「大田ハンバッ運動場野球場(대전한밭운동장야구장)」にてレプリカキャップと共に購入。2007~2014年に使用されたモデル。(ただしユニフォームサプライヤーはスケリドから、多分2010年ミズノに変更)また、2009年のみKBOでは初めて背ネームにアルファベットを採用。以後は従前通りハングルに戻る。

2009年「HYUN JIN」とアルファベットで表記されたユニフォームを着用している#99 류현진(柳 賢振/リュ・ヒョンジン)


グループCI変更により、従来の赤から黒&オレンジ色に回帰した。チームロゴも同時に変更。今までのユニフォームがひどかったせいか(苦笑)デザインは歴代のユニフォームの中で最も無難である…と言うのが韓国の評価だが…個人的には、正直…ダサい!と思う

ハンファ・イーグルス暗黒時代のユニフォームであり、黒歴史ユニフォームと揶揄されているこのユニフォーム…チームロゴはいいが…とにかく肩のラインが野暮ったい。キャップがオレンジなのもよくなかった(2014年にキャップが黒に変更になったら、ユニフォームが変わらなくても随分と見栄えが良くなったような錯覚もしたし)。じゃ、なぜ購入した?なんとなく、ノリでwww イーグルス繋がりということで、ジャイアンツ球場や浦和球場に東北楽天ゴールデンイーグルスが遠征に来た時、着用するぐらいで、とにかくこれは着用機会が殆ど無い。

低迷期間が続いているハンファ・イーグルスではあるが、優秀なタレントが揃い、魅力的なチームでもある。2005~2009年まで指揮を採った金寅植(김인식/キム・インシク)監督は2009、2016年開催のWBC韓国代表監督としても有名で、NPBでも活躍した정민철(鄭 珉哲/チョン・ミンチョル)、이범호(李 杋浩/イ・ボモ【日本での登録名はイ・ボムホ】)、김태균(金 泰均/キム・テギュン)、구대성(具 臺晟/ク・デソン)、現在はMLBのLADに在籍している류현진(柳 賢振/リュ・ヒョンジン)といったそうそうたるメンバーがハンファに在籍していた(金 泰均/キム・テギュンは2012年千葉ロッテから復帰、現在も在籍中)。

#52 김태균(金 泰均/キム・テギュン)


#15 구대성(具 臺晟/ク・デソン)


#99 류현진(柳 賢振/リュ・ヒョンジン)


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ハンファ・イーグルス(한화 이글스)キャップ

2017-09-19 00:05:00 | ベースボールキャップ
ハンファ・イーグルス(한화 이글스)キャップ

2010年、大田市「大田ハンバッ運動場野球場(대전한밭운동장야구장)」にてレプリカジャージと共に購入。2007~2013年に使用されたモデル。

前日、釜山入りして当日昼にKTXにて大田駅へ移動。タクシーで大田ハンバッ運動場野球場まで赴く。何故かこの日は異様なほどハイテンションで、大してカッコイイとも思わなかったが、ハンファ・イーグルスのキャップ・レプリカジャージをノリで購入(苦笑)まぁ、ここまでは良かったが、試合が始まってからもハイテンションで、とある団体さんから「ヘイ、ジャパニーズ!オレたちと一緒に飲まないか?」と誘われ、飲んで騒いで…結局試合は殆ど見てなかった。一緒に行った友達をほったらかして、ホント申し訳ないことしたと反省している。

オレンジのキャップと言ったら…後楽園時代のの日本ハム・ファイターズ

#5 古屋英夫

後楽園ファイターズのキャップはニューエラから復刻されたが、こんな派手なキャップ、被る機会ないし…と購入をためらっていたが(未だ未購入)、負けず劣らずド派手なこのハンファ・イーグルスのキャップはノリだけで購入。案の定、派手すぎて日常生活では被る機会は殆どなし…(笑)イーグル繋がりということで、ジャイアンツ球場や浦和球場に東北楽天ゴールデンイーグルスが遠征に来た時、着用するぐらいかなぁ~

#15 구대성(具 臺晟/ク・デソン)


#7 이범호(李 杋浩/イ・ボモ【日本での登録名はイ・ボムホ】)


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王貞治監督退任記念サイン色紙

2017-09-18 00:05:00 | その他グッズ等諸々
王貞治監督退任記念サイン色紙

2008年9月27日、千葉マリンスタジアムにて購入。

当日は福岡ソフトバンクホークス王監督 関東最終戦。野球を始める切っ掛けは、当時ブラウン管の向こうから輝くほどの大活躍を目の当たりにした原辰徳選手(巨人)や掛布雅之選手(阪神)の影響からだったが、野球を愛するきっかけを与えてくれたのは王貞治監督だった。

まだ、私が小学生の頃、後楽園球場のスタンドにて畏れ多くも王監督に「僕、大きくなったら巨人に入るから待ってねぇ~」と話しかけてしまうという非礼を犯したにもかかわらず、王監督は笑顔で「おぅ、待ってるぞ~」を微笑み返してくれた。偉大な選手であり、偉大な監督であった王監督は人間性も偉大な方であった。

それから、王監督の現役時代に関する本をむさぼるように読み返し、その野球に対する真摯な姿勢に感銘を受けた。

2008年9月27日、千葉ロッテは偉大なる王監督のために千葉マリンスタジアムでサヨナラセレモニーを実施。その偉大なる配慮にも感銘を受けた。

千葉ロッテ ボビー・バレンタイン監督から花束を受け取る王監督



私は、大声で王監督に感謝のエールを送った。試合は大粒の涙でほとんど見れなかった。憧れの人がグランドから去ることがここまで私を感傷的にするのかと、自分でも驚いた。

そんな王監督の記念品が欲しく購入したのが王監督の写真入りサイン色紙。もちろんサインは直筆というわけではないが、監督として最後の勇姿を常に自宅で拝見できることは大きな喜びである。

巨人監督時代(1984~1988)


福岡ダイエー監督時代(1995~2004)




福岡ソフトバンク監督時代(2005~2008)


WBC日本代表監督時(2006)

イチロー選手とともに。監督としても世界一の栄光に輝く


王監督が宙に舞う姿は誰よりも美しかった。


ありがとうございました、王監督!

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FC東京 2005/2006ホーム用

2017-09-17 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
FC東京 2005/2006ホーム用

東京スタジアム(ネーミングライツの関係で「味の素スタジアム」の呼称の方が一般的か)にて購入。たしか、2003/2004モデルももっていたはずだったが…誰かにあげちゃったようなきがする。

参考までに歴代FC東京ユニフォーム

大学3年から2年間、狛江に住んで、その後、海外に移住したが、帰国後も地元・群馬ではなく狛江に戻った。その狛江の家からFC東京の本拠地である「東京スタジアム」は自転車で約40~50分ぐらいの立地だったので、地元のクラブという意識が強く、よくFC東京の試合を観戦しに行ったもんだった。



今は千葉県の東葛地域在住なので、東京スタジアムに足を運ぶ機会も殆どなくなってしまったが、私にとって地元・群馬のザスパ同様、愛着のあるクラブである。

#9 ルーカス・セベリーノ


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Team Lotus エンブレム Tシャツ

2017-09-16 00:05:00 | 自作Tシャツ
Team Lotus エンブレム 自作Tシャツ

大学生のときに購入したTeam Lotusのキャップとともに


創業者Anthony Colin Bruce Chapman(アンソニー・コーリン・ブルース・チャップマン)のイニシャル「A・C・B・C」を組み合わせた美しいロゴが配置され、美しい色彩のロータスのエンブレムを左胸に配置。

元来、ロータス車体の塗装はモータースポーツのナショナルカラーに基づいて緑と黄色のカラーリング。その歴史的なカラーをTシャツで表現してみた。

ロータス歴史的伝統色である緑と黄色のカラーリングをまとうロータス49(#5 ジム・クラーク/1967年)




その後、スポンサー・カラー(ゴールドリーフ、JPS、キャメル)の採用から、久しくロータスの車体から緑と黄色のカラーリングは消えたが…

1991年、メインスポンサーである「CAMEL」を喪失したことにより、メインはスポットスポンサー確保の為、白にはなっているが、ノーズ先端、サイドポンツーン上部等は伝統の緑と黄色のカラーリングで彩られた。

伝統の緑と黄色のカラーリングを再びまとったロータス102B(1991年)

#11 ミカ・ハッキネン


#12 ジョニー・ハーバート


#11 ミカ・ハッキネン


#12 ミハイル・バルテルス

今まで、黒単色のJPSロータス・黄単色のCAMELロータスに見慣れていた自分には開幕戦であるアメリカGPでこの配色を見たときは少々違和感を憶えたが、その歴史的背景を考慮すれば、復活・再生を期すロータスには最適のカラーリングにも思える。


そして、1992年、遂に遂に、ロータス歴史的伝統色である緑と黄色のカラーリングが完全復活!!!

伝統色である緑と黄色のカラーリングに包まれたロータス102D(1992年)

#11 ミカ・ハッキネン


#12 ジョニー・ハーバート


#11 ミカ・ハッキネン


そして、2年ぶりのニューマシン「ロータス107」デビュー!(1992年)

#12 ジョニー・ハーバート


#11 ミカ・ハッキネン

成績向上に合わせるように「カストロール」が待望のメインスポンサーに!

#11 ミカ・ハッキネン


#11 ミカ・ハッキネン


#12 ジョニー・ハーバート


#12 ジョニー・ハーバート


#11 ミカ・ハッキネン&#12 ジョニー・ハーバート with ロータス107

この年はナイジェル・マンセル(ウィルアムズ)の独走でチャンピオン争いは退屈極まりなかったが、愛するチーム・ロータスは一時的に成績が向上し、遂に…というか、ようやく名門復活か!と胸踊らせた1年であった。更にシーズン中盤の第9戦イギリスGPからはカストロールがメインスポンサーとなり一時的に運営資金不足は解消!のはずだったが…運営資金の長期貸し付けを受けていたランドハースト・リーシングが倒産し、債権者から返済を迫られると再び資金不足へと陥って…1993年はメインスポンサーであるカストロール色の強いカラーリングに変更…そのカストロールも1993年をもって撤退、そして1994年を最後にチーム・ロータスは遂にF1からその姿を消した…。

晩年の1992年、歴史的伝統色である緑と黄色のカラーリングは何故瞬間的に復活したのだろう…?そう遠くないうちに消滅することを予見して、最後の最後にその歴史と伝統と誇りを可視化できるよう我々に示してくれたのだろうか?そんな107に思いを馳せて、このTシャツを作成してみた。





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