自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

モントリオール・エクスポズ キャップ

2017-05-31 00:05:00 | ベースボールキャップ
モントリオール・エクスポズ キャップ

1992年からワシントンに移転するまでの2004年に使用されたタイプ

球団創立の1969年から1991年までは、まるで「怪物くん」が被っているかのような3色帽…

よく、これが20年以上も採用されたものだ(苦笑)

参考:怪物くんキャップ(笑)



1989年頃からMLBに興味を持ち初めたが、当時はインターネットもなく、TV中継もなく、ほぼ唯一の情報源が「週刊ベースボール」だけ。あまり成績が芳しくなかったモントリオール・エクスポズの情報も殆ど皆無に近く、3色帽は存在だけは知っているぐらいのレベル。故に私の中ではモントリオール・エクスポズのキャップと言えば1992年から使用されたクラウン・ブリム共にブルーのキャップである。


ロゴは丸みをおび、カワイイ雰囲気でお世辞にもカッコいいとは思えない。おまけにクラウンのフロントパネルがブルーに変わったことで「M」にホワイトのアウトラインが追加されくどいかも。

丸みをおびて可愛いデザインで好感は持てなかった「M」のロゴだが…よーく見ると赤字は「e」、青字は「b」、全体で「M」となる。「e」はexpos、「b」はbaseball、「M」はMontrealを意味し、更にフランスのトリコロールカラーである赤青白で構成されているという話を聞いた途端、考え抜かれてデザインされたこのロゴに対し、急に愛着がわいてきた。

という訳で1996年、短期留学で滞在していたカナダで購入。20年以上も前も購入したものなので現在のニューエラキャップと比べると細部に違いが少々ある。

最近購入したニューヨーク・ヤンキースのキャップと比べて見ると…

左右ともに上が1996年購入のエキスポズ。下が2017年購入のヤンキース(2016年製)
左の「ニューエラ」のロゴ。上のエキスポズのニューエラロゴは1996年まで使用されていた赤字の旧ロゴになっている。
右のMLBバットマンロゴ。下のヤンキースのバットマンロゴは立体的になっているのがわかる。
素材も昔はウール100%だったのが、現行品はポリエステル100%。

フロントパネルに刺繍されているチームロゴも現行品は立体的になっている等、時代の流れとともにキャップも変化しているのがわかる。

左:#17 フェリペ・アルー監督(MTL)/右:#11 ジム・フレゴシ監督(TOR)

カナダの球団が相見まえるインターリーグでの風景。

MLBはアメリカだけじゃないんだ!いつの日か再びカナダの球団がモントリオールに復活し、バンクーバー等の都市にも新球団が発足し、カナダの球団同士が対戦し、上記のような風景が戻ってくることを節に願う。

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モントリオール・エクスポズ ビジター用②

2017-05-30 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
モントリオール・エクスポズ ビジター用

1980~1988年まで使用されたモデル。(1989~1991年もほぼ同デザインのユニフォームは使用されていたが赤字で記載されている左胸の「expos」、右腹部の番号、背ネーム及び背番号に青のアウトラインが追加されたので別物として扱う。ホーム用は変更なし)

1980年代のMLBレプリカジャージによく見られるラバープリント処理。多分、20年ぐらい前、原宿の古着屋「CHICAGO」で購入。(付随しているキャップは1992~2004年使用のものなので、本来はこの組み合わせではない。)

当時のキャップ(1969~1991年使用)

(ニューエラの復刻版)

さて、デザインについて…言うまでもなくダサい(笑)いかにも弱いチームが着用していそうな丸みを帯びたデザインであるが、基本的なスタイルは1969年から一貫して変わらなかったのだから、その歴史には敬意を表したい。

このユニフォームを着用してNPBの球場に行くと、よくカナダ人から「いいの持ってるねぇ~」と声をかけられる。カナダの、特にモントリオールの方々にとっては馴染み深いユニフォームなのかもしれない。

当時はMLBの情報自体少なく、しかも日本では知名度の低いモントリオールだったこともあり、このユニフォームに関してはリアルタイムでちゃんと見た記憶がほとんどないが、有名なプレーヤーの着用時写真を羅列。


#49 ウォーレン・クロマティ

日本では巨人のクロマティとしての知名度バツグン!


#30 ティム・レインズ

モントリオールの韋駄天!「30」はエクスポズの永久欠番に


#51 ランディ・ジョンソン

NYYでは「41」を背負ったが、元祖51!長身から投げ下ろすファストボールは圧巻!まさに「Big Unit」!


#32 デニス・マルティネス

モントリオールの伝説!まるで日本人のような馴染みやすい顔が印象的(笑)


#34 ビル・ガリクソン

MTL→CIN→NYY→巨人→HOU→DET 
一流MLBプレーヤーながら、NPBでも実績を残し、さらに帰国後数年に渡って再びMLBでも活躍した稀有な選手の一人

改めて振り返ってみると、ホントにモントリオール・エクスポズって魅力的なチームだったなぁ~


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モントリオール・エクスポズ ビジター用①

2017-05-29 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
球団創立以来、理解不能なほど圧倒的なダサいデザインで我が道を突き進んでいた、我らのモントリオール・エクスポズ(笑)

そのモントリオール・エクスポズが1992年にキャップ・ユニフォームを一新。キャップは…まぁ、従来の3色帽よりはマシかなぁ…ぐらいだったが、ユニフォームはホーム用・ビジター用共にいい感じになった。

特にビジター用は美しい筆記体の「Montreal」のロゴに、ケベック州のシンボルでもあるフルール・ド・リスのワンポイントが組み込まれたデザインで、フランス的な要素が組み込まれ他のMLB球団とは一線を画しているような雰囲気であった。(チームカラーの青・赤・白もフランスのトリコロールカラー)


モントリオール・エクスポズ ビジター用

レプリカだけでに「Montreal」の「n」あたりの処理が雑なのは愛嬌ということで


前回も言及したが、チームとしての成績は芳しくなかったが、個性あふれるプレーヤーが数多く在籍していてホントに魅力的なチームだった。



#41 ウーゲット・ウービナ

オレの中ではちょびヒゲがダンディーな名クローザー!

#33 ラリー・ウォーカー

COLのイメージが強いがデビューは母国カナダのモントリオール。2004年7月1日にはカナダ出身者初の2000本安打を達成。

#9 マーキス・グリッソム

1991年は76盗塁、1992年は78盗塁で盗塁王を獲得!

アルー監督はじめ、魅力的な選手で溢れていたエクスポズ。また、いつの日か復活する日が来るのを待っている。

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モントリオール・エクスポズ ホーム用

2017-05-28 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
2004年、野球ファンには悪い意味で忘れられない1年となった。

NPBではプロ野球再編問題 が発生し、「大阪近鉄バファローズ」がオリックスとの合併により消滅…。MLBでもカナダ初の球団「モントリオール・エクスポズ」がワシントンに移転…。

大阪近鉄ファンが合併球団であるオリックス・バファローズに親近感がわかなかったように、カナダの球団であるがゆえにモントリオール・エクスポズに親近感を抱いていた自分もワシントンに去ってしまうことになった新生ナショナルズには肩入れする気分にはなれなかった…。大阪近鉄もモントリオール・エクスポズも財政的問題があり、消えるべくして消滅した…そんなことは頭のなかでは理解できているけど、感情は理論でコントロールできないんだよねぇ~

現在、カナダにはMLB球団がトロント・ブルージェイズのみとなってしまったが、カナダ国内ではモントリオール、バンクーバーにMLB球団を招致する活動が大規模でないにしろ起こっている。是非、モントリオールにはエクスポズを復活させ、バンクーバーにも新球団を設立して欲しい!!!


そんな…
モントリオール・エクスポズ ホーム用

バンクーバーに住んでいる時、ガスタウンのスーベニアショップで購入。

今となっては懐かしいラッセル・アスレチック製レプリカジャージ。レプリカだけあって「Expos」の「p」の処理が雑(苦笑)デザイン的なことを言うと、今まで野暮ったいというか、ダサいユニフォームが1992年にこのデザインに変更。相変わらず垢抜けてはいないけど、今までがひどかったので、まぁまぁかなぁ~。でも、これが最後のユニフォームだと思うと…やっぱ寂しいねぇ…。

キャップのデザインも相変わらずダサいけど…あのデザインはあのデザインできちんとしたコンセプトがあるから、追々キャップの紹介記事で言及予定。

これを着用して、観戦したオリンピックスタジアムはフランス語であふれ不思議な空間だった。日本語、英語、韓国語、北京語は球場において違和感ない言語だったが、野球とフランス語って…上手く言えないけど何か違うスポーツを観戦しているようだった。

#27 ブラディミール・ゲレーロ

モントリオール時代はモントリオールの公用語であるフランス語はもちろん、英語も全く話せず、アナハイム移籍時の記者会見でもエンゼルスオーナーのアルトゥーロ・モレノが臨時で通訳を行ったことは有名。素手で打席に立つ彼はパワフルで俊足で強肩で、モントリオール時代は優れた5ツールプレイヤーだった!

#41 ウーゲット・ウービナ

ウーゲットはなんとなくちょびヒゲのイメージなのでヒゲがないと違和感が(笑)
私生活は色々あったが、モントリオールの絶対的守護神としてホントにカッコよかったなぁ~

#45 ペドロ・マルティネス

打高投低のMLBにおいて、シーズン防御率1点台を記録した伝説的名投手!BOS移籍は正直ショックだったなぁ~

チームとしての成績は振るわなかったモントリオール・エクスポズではあったが、ブラディミール・ゲレーロはじめ、個性的な選手が多数在籍していて、非常に魅力的なチームだった。

Bring back our Expos for Montreal!!!

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ケベック・ノルディクス Tシャツ

2017-05-27 00:05:00 | 既製品Tシャツ他
前回のウィニペグ・ジェッツに続き、NHLクラシックTシャツ。

ケベック・ノルディクス Tシャツ

ウィニペグ・ジェッツのTシャツと一緒にバンクーバー島に行った道中の寂れたショップで買ったような気がする。


Tシャツに記載されているロゴはWHA時代の1972/73~1978/79年、及びNHL時代の1979/80~1984/85に使用されたもの。WHAグッズかNHLグッズか悩むところではあるが、Tシャツのタグに「NHL HERITAGE」とあったのでNHLグッズとして分類した。


ケベック・ノルディクス(Nordiques de Québec)はカナダ・ケベックシティーに本拠を置いていたNHLチーム。1972年にWHAチームとして加盟。1976-7シーズンにWHA決勝でジェッツを破り初優勝。1979年のWHA解散後はNHLウェールズ・カンファレンスに加入。しかし1990年代に入ってからは財政難に苦しめられ、オーナーのマルセル・アバドはケベック州政府に財政的支援を求めたが応じず、デンバーの投資家グループに売却。チーム名も1995年からコロラド・アバランチとなった。

このチームも最終的にはアメリカに転移してしまったんだよねぇ~(と言っても、まだその時はNHLは観戦していなかったが。)NHLはホッケーが国技のカナダ発祥のリーグにもかかわらず、現在加盟している30チーム中アメリカ23・カナダ7となっており、カナダのチームは全体の約23%を占めるに過ぎない。

カナダに比べアメリカはマーケットの規模が大きい都市が多く、通貨もカナダドルに比べ米ドルのほうが強い。端的に言ってしまえば経済的に有利だからアメリカのチームが多い…分かりきっていることだけど、カナダびいきの自分としては、この現状は歯がゆい。

前述通り、NHLを観戦し始めた時は既にケベック・ノルディクスはなくなってしまったが、この美しいデザインのチーム、もう少しグッズが欲しかったなぁ~



Joe Sakic/ジョー・サキック(カナダ)

ジャージにはフルール・ド・リスがあしらわれている。フランス語圏であるケベックシティーらしいデザインであった。

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ウィニペグ・ジェッツ Tシャツ

2017-05-26 00:05:00 | 既製品Tシャツ他
1999年夏の終わり頃から数年間カナダに在住した。

カナダに住居を移しても相変わらず野球観戦三昧だったが、主な居住地だったバンクーバーに本拠地を構える地元・バンクーバー・カナックス(NHL)とバンクーバー・グリズリーズ(NBA)の試合も観戦することになる。

2001年にグリズリーズはメンフィスに移転してしまったため、NBAは殆ど見なくなったが、NHLは変わらずカナックスをメインに観戦していた。そのNHLはカナダとアメリカと2カ国にまたがってチームが在籍していて、私はアメリカへの対抗心で徐々に他のカナダのチームも(カナックスがナンバーワンであることには変わらないが)愛着が湧いてきた。

↓そんな、カナダのチームのTシャツ

ウィニペグ・ジェッツ Tシャツ

はっきり覚えていないが、バンクーバー島に行った道中の寂れたショップで買ったような気がする。

ウィニペグ・ジェッツは元々1972年にWHA(World Hockey Association)のチームとして結成。1979年のNHLとWHAの合併でNHLキャンベル・カンファレンスの所属となる。過去にWHAで3度優勝した。しかしNHLの所属になると不振が続き、1996年にアリゾナ州フェニックスに本拠を移転してフェニックス・コヨーテズに生まれ変わった。

【補足】
2011年6月、かつてのアトランタ・スラッシャーズがホームタウンをウィニペグに移動。チーム名もウィニペグ・ジェッツと改め、母体は異なるが同名のチームがNHL2011-2012のシーズンより参加している。

Tシャツに記載されているロゴは1972/73~1973/74年に使用されたものでWHA時代。NHLグッズとして分類するのは無理があるかもしれないが、Tシャツのタグに「NHL HERITAGE」とあったのでNHLグッズとして分類した。


初代ウィニペグ・ジェッツは1996年にフェニックスに移転してしまったため、リアルタイムでは見たことないのだが、カナダのチームということで迷わず購入したクラシックTシャツである。

余談だが、当時はカナダ国内でもNHLチームが徐々にアメリカに流出していると嘆いている人が多数いた。それが2011年にスラッシャーズがアトランタからウィニペグに、つまりアメリカからカナダに移転してきた!しかも、そのチームが、かって存在した「ウィニペグ・ジェッツ」を名乗った。複雑な心境の人もいるだろうが、ジェッツが復活したことを喜んだ人もいたんじゃないかなぁ~?


Dale Hawerchuk/デール・ハワーチャック(カナダ)


Teemu Selänne/ティーム・セラニ(フィンランド)

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メモリアル・ピンク

2017-05-25 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
疎遠になって久しいが本日は我が母の誕生日。おめでとう!

もう10日以上も前の話になるが、今年は5月14日が母の日だった。

MLB30球団全体の取り組みとして、2016年から選手たちはピンク色があしらわれた母の日(マザーズデー)仕様のユニフォームを身にまとっている。(2015年まではピンクのリストバンドやバット、スパイクに限られていた)


#19 田中将大(NYY)


左:#19 田中将大(NYY)
中:#2 アレックス・ブレグマン(HOU)
中奥:#48 リッチ・ダウアー一塁コーチ(HOU)
右:#8 ゲイリー・ペティス三塁コーチ(HOU)のストッキングにも注目!

元々は2006年、乳がん撲滅のピンクリ便運運動の募金集めのために有志の選手たちがピンクのバットでプレーしたのが始まりだった。当時、MLBのリーグではバットは黒、茶色、赤、白のみが使用可能な色で、当初はルール違反覚悟で選手たちはピンクのバットを使用。ここからはアメリカから見習わなければならないところで、母の日のピンクバットの趣旨を理解したMLB機構はバットの色制限ルールを一時的に中止、使用が許可された。

ピンクバットと並行して、ピンクのリストバンドやピンクのリストバンド、シューズ、グラブなども登場する。こちらもチームカラー以外を着用することを禁止されていたルールが緩和された。(NPBでも一時、西武ドームでベースを全てピンクにする催しが開催されたと記憶している)

やがて、チームでこの催しに取り組む球団も出てきて、2014年にCWSが全員でピンクのキャップを使用、これがMLB史上初めて使用されたピンクのキャップとなる。続いて2015年はピンクのアンダーシャツが全球団で使用、2016年からはピンクを基調にしたユニフォームが全球団統一でデザインされ採用された。

かって千葉ロッテがピンクユニフォームを採用した際は露骨に不快感を感じた私ではあるが、このような取り組みに関してはデザイン云々ではなく、その高い志に対し感銘を受けた。また、選手たちが個人で始めたことが、チーム全体の動きになり、さらに機構全体を動かしていく流れは個を尊重するアメリカならではと感じてしまう。和を尊重する日本のNPBでは文化的な要素もあり、こういう流れは難しいかなぁ~と思ってしまう。(別に日本を否定しているわけではない。日本には日本の文化があるので)

【追記:2018/5/14】
2018年の母の日のユニフォーム
Top Moments around MLB: 5/13/18



MLBで全球団が1日限り着用する特別なユニフォームは母の日を含めて下記の通り。
・3月17日「セント・パトリックス・デー」※アイルランドのシンボルカラーである緑仕様ユニフォーム、キャップを使用
・4月15日「ジャッキー・ロビンソン・デー」※全体で背番号「42」のユニフォームを着用
・5月第2日曜日「マザーズデー」※全球団でロゴや背番号にピンク色仕様のユニフォームを着用
・5月最終月曜日「メモリアルデー」※戦没将兵追悼記念日。兵役中に亡くなった方に敬意を払い全球団がカモフラージュ柄仕様のユニフォームを着用
・6月第3日曜日「ファザーズデー」※全球団でロゴや背番号に水色色仕様のユニフォームを着用
・7月4日「独立記念日」星条旗をモチーフに赤、青、星をあしらった特別仕様のユニフォームが着用(注)
(注)TORはカナダ在籍のため7月1日カナダ・デーにカナダのナショナルカラーをあしらった赤いユニフォームを着用。基本的に毎年7月1日は本拠地・ロジャーセンターで試合が開催されるよう日程が組まれている。

【追記:2017/5/30】
2017年の「ジャッキー・ロビンソン・デー」(4/15)ユニフォーム

左:本来は#4 ウィル・メイヤー(SD)/右:本来は#11 エンダー・インシアーテ(ATL)@サントラスト・パーク


ニューヨーク・メッツの選手ら@マーリーンズ・パーク

2017年の「メモリアルデー」(5/29)ユニフォーム

#37 ディラン・バンディ(BAL)

【追記:2017/6/19】
2017年の「ファザーズデー」(6/18)ユニフォーム

#18 前田健太(LAD)

※他にもユニフォームのこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

閑静で長閑で牧歌的

2017-05-24 00:05:00 | ユニフォーム・球場考察
今まで、日本、カナダ、アメリカ、台湾、韓国にある、たくさんの球場で野球観戦した。どの球場も各々個性があって、全ての球場に愛着があり、トップレベルの球場施設に、そこで見たプレーに感動した!が、あえて言うと、それらには遠く及ばないでろう2軍の球場も大好きだ!

鐘も、太鼓も、トランペットの音も無い 静かな環境で、グラブ捕球の音、バットに球が当たる音、選手がスライディング時の音をリアルに楽しめる、そんな雰囲気が心地よい2軍の球場が大好きだ!


アメリカ、韓国ではマイナーリーグ観戦経験がないので(泣)、ここでは日本、カナダ、台湾のお気に入り2軍球場を記載してみる。


ロッテ浦和球場

打者:#9 福浦和也(千葉ロッテ)/投手:#12 ケニー・レイ(東北楽天)【撮影日:2016年4月3日】

日本での2軍戦観戦はわざわざ遠出することはないので、基本的に自宅から電車やバスで行ける球場であるジャイアンツ球場鎌ヶ谷スタジアム、横須賀スタジアム、戸田球場、ロッテ浦和球場がメインになるが、唯一無料で観戦できるロッテ浦和球場が一番のお気に入りであり、初めて息子を野球観戦に連れて行った球場でもある。(初めて連れて行ったのは2016年3月27日)

この球場は簡素なベンチが一三塁側に配置されているだけだで、ネットが視界を遮り、見易さは一切配慮されていない作りだが、スタンドではないのでベンチと同じグラウンドレベルで野球観戦ができる。選手が間近で見れる。そして、繰り返しになるが入場料がタダ!(笑)


Nat Bailey Stadium/ナットベイリー・スタジアム

バンクーバーに住んでいた時は暇さえあればSafewayで格安チケット購入して「Nat Bailey Stadium」に行っていた。バスでよく行っていたシアトルのセーフコ・フィールドも感涙するほど美しく素晴らしい球場だったが、ここはのどかで、いかにもおらが街の球場という穏やかでのんびりした雰囲気が大好きだった!


教育部體育署台中棒球場

かって興農ブルズ(興農牛)の本拠地だった同球場は台湾体育大学構内にあり、台湾唯一の国立野球場。大学内にあるので球場がどこにあるのか見つけるまでに苦労した記憶あり。正確には2軍球場ではないが台中滞在時にたまたま興農牛vs中信鯨の2軍戦をここで観戦したので記載してみた。その試合の観客数僅か5名!(含自分たち)wwww


ジャイアンツ球場、鎌ヶ谷スタジアム、横須賀スタジアムあたりは、上記の教育部體育署台中棒球場よりは断然、球場施設は充実しており、台北市立天母棒球場並み、いや、むしろそれ以上のクオリティーで、CPBLなら十分トップリーグの試合が開催できそうであるけど2軍球場の魅了はそこではないのかも。

観戦の快適さを一切考慮していないような武骨な設計の「ロッテ浦和球場」、河川敷にあり土手からも観戦可能な「戸田球場」、立ち見禁止と張り紙は貼ってあるけど、外野から簡単にタダで立ち見ができてしまう「鎌ヶ谷スタジアム」…そういう牧歌的な雰囲気を醸し出す球場に惹かれるんだろうなぁ~

※息子と一緒に訪問した球場はこちら
※他にもユニフォームのこと、球場のこと、ゴチャゴチャ言ってます(笑)

LaNew熊(LaNewベアーズ)応援ユニフォーム

2017-05-23 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
LaNew熊(LaNewベアーズ)ホーム用っぽいジャージ

記憶が曖昧だが、2005年か2006年に天母棒球場で購入したと思う。


【LaNew熊球歴】
1997年:同年に発足した台湾大聯盟(TML)の加盟球団の「金剛」と「太陽」が前身。
2003年1月:中華職業棒球聯盟(CPBL)と台湾大聯盟(TML)の統合に伴い、雷公と太陽が合併、「第一金剛」としてCPBL参加。
2003年12月:LaNew(※)に身売り。「LaNewベアーズ」(LaNew熊)に球団名変更。※親会社「LaNew(老牛皮國際股份有限公司)」は靴製造業(日本法人もあり、新橋・人形町にはショップがあったと思う)
2006年:台湾人初のMLBプレイヤー陳金鋒(チェン・ジンフォン)入団。前後期とも1位、台湾シリーズも制し年度總冠軍に輝く。
2011年:チーム名が「Lamigoモンキーズ」(Lamigo桃猿)に変更(「Lamigo」は「LaNew」の総合式場ウエディング・プラザ、高級会員制スポーツクラブのブランド名)

以上「Lamigo桃猿」に改名するまでを、ざっと駆け足で振り返ってみたが、意外と「LaNew熊」の球団名を使用していた期間って短ったんだなぁ。



で、上記のユニフォームだが…

2006年、陳金鋒が入団会見時に着用していたジャージっぽくも見える…

が、脇に青緑が配置されているのは似てるんだけど、袖の処理が違うので、これはオンフィールドジャージのレプリカではないと思う。多分、台湾でよく見る「応援ユニフォーム」なんだろうなぁ。

シーズン前に行われた上記入団会見で着用していたのは2005年モデルかな






2006年の台湾シリーズ・アジアシリーズで着用していたタイプは…

東北楽天の様に肩・脇にラインが入っていたはずだし。


派手な色遣いをする球団が多い中、毎年毎年ユニフォームデザインの変更はあったもののLaNew熊は、比較的落ち着いた色遣いで好印象だった。まぁ、ホーム用に企業名が配されているのは気に入らないが、近年CPBLの殆どの球団ではホーム用・ビジター用共に企業名を配するのが、一般的みたいだから仕方ないか。


悔やまれるのは、このジャージを購入した時、一緒にキャップを購入しなかったこと


LaNewの社章をそのままキャップのロゴに採用してたから「う~ん」と思ったのか…ニックネームが『ベアーズ』なのにロゴは靴を向かい合わせにした形で作った『牛』だったから「う~ん」と思ったのか…(LaNewは牛皮靴製造・販売しているため。当時CPBLには「興農ブルズ」が加盟中だったからニックネームに「牛/ブルズ」が使用できなかったんだろうなぁ)

【LaNewの社章入り看板】


と、まぁ、なんか引っかるところがあって購入しなかったんだろうけど、CPBLは球団名変更が頻繁に起こるから、今思えば購入しとくべきだった…

という訳で組み合わせるべきキャップがないため、現在は着用する機会は皆無…現在は家内のヤフオク出品候補品になっている

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日本ハム・ファイターズ オリジナル自作Tシャツ

2017-05-22 00:05:00 | 自作Tシャツ
日本ハム・ファイターズ オリジナル自作Tシャツ


日常生活で気軽に着用する日本ハム・ファイターズ(東京時代)のTシャツがほしかったので自作。

当初は所有しているキャップに合わせて、
1993年から2003年まで使用したユニフォームの「Fs」ロゴにしたかったのだが…

#23 エリック・シュールストロム

いい素材が見つからなかったので…

日本ハム初代ユニフォームである1974年前期モデルのロゴから引用

#10 張本勲


上記ユニフォームのように白地にこのロゴを配置すればよかったのだが、白Tシャツに飽きたので、グレーのTシャツで作成。そしたら、奇妙な配色になってしまった(笑)

ブルーの文字はいいとしても、1974年前期モデルオリジナルデザインであるレッドのアウトラインだと所有しているキャップとイマイチ合わないような気もするが…まぁ、いいか、誰もそんなこと気にしてないしwww


最近、「Fs」ロゴの素材が見つかったので、もしかしたら、当初作ろうと思っていた「Fs」ロゴ自作Tシャツ作るかも~


余談だが、このTシャツ着用時の様子、セレクションさんのブログにも掲載していただけた♪(坂本選手のTシャツ購入した時)


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日本ハム・ファイターズ キャップ

2017-05-21 00:05:00 | ベースボールキャップ
日本ハム・ファイターズ キャップ


先日、息子と一緒に鎌ヶ谷スタジアムに行くことになったので引っ張り出してきた。

前回からの繰り返しになるが、私がNPBを観戦し始めたのが少学校3年生のときの1984年。当時、野球の知識など皆無に等しかったが、それでも、ダサいキャップだなぁ~と思ったのがオレンジで彩られたド派手な日本ハム・ファイターズのキャップ。

本来、キャップのロゴはイニシャル1文字か重ね文字、またはペットマークでシンプルにデザインすべきだと思うのだが、オレンジで彩られたド派手なキャップのロゴは「Figthers TOKYO」とチーム名フル表記…。もう、救いようのないほどヒドいデザインだった…

#21 西崎幸広

キャップのロゴをイニシャル1文字か重ね文字、またはペットマークでデザインするのが、デザイナーの腕の見せ所だと思うのだが…。チーム名フル表記なんて、デザインすることを放棄した、ただの手抜き作にも思える…


それが1993年からクラウン、ブリム共にネイビー、ホワイトのアウトラインに囲まれたオレンジのFsロゴが配置され、シンプルなキャップに変更。どことなくMLBのテイストさえ感じさせてくれるクラシックでクールなキャップになった!

#9 リック・シュー

私が所有する当キャップはニューエラのNPB復刻版、59FIFTY。他の復刻版同様左サイドにニューエラフラッグロゴが入るが、その他は余計なロゴは一切なし、当時のオンフィールドキャップに近いデザインとなっている。

評価は人により様々だろうが、個人的には評価の高いデザインであり、お気に入りの逸品である♪

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日本ハム・ファイターズ ホーム用

2017-05-20 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
日本ハム・ファイターズ ホーム用(1993~2003年)


先日、息子と一緒に鎌ヶ谷スタジアムに行くことになったのでビジター用と共にタンスから引っ張り出してきた。

なんとなくだが、1961年のカンザスシティ・アスレチックスのホーム用ユニフォームに似ているようなきがする。





私がNPBを観戦し始めたのが少学校3年生のときの1984年。当時、野球の知識など皆無に等しかったが、それでも、ダサいユニフォームだなぁ~と思ったのがオレンジで彩られたド派手な日本ハム・ファイターズのユニフォーム。ニット素材の普及によりMLBでもカラフルなユニフォームが採用され始め、極めつけとしてレインボー・カラー・ユニフォームと後に酷評を受けることとなるヒューストン・アストロズのような醜悪なデザインのユニフォームであった。

ヒューストン・アストロズ レインボー・ユニフォーム(ー_ー;)

左:#50 J.R. Richard 右:#34 Nolan Ryan (多分1980年撮影)

選手たちは、どんな気持ちでこれを着用してプレーしたのだろう…?
多少のマイナーチェンジはあったものの、このモデルが1975年から1986年まで12年間も採用されたことは驚きだ…


日本ハム レインボー・ユニフォーム(ー_ー;)

左:ホーム用 #26 江夏豊投手/右:ビジター用 #13 柴田保光投手

選手たちは、どんな気持ちでこれを着用してプレーしたのだろう…?
キャップのマイナーチェンジはあったものの、このモデルが1982年から1992年まで11年間も採用されたことは驚きだ…


まぁ、今だったらオルタネイト限定でこのデザインもありかもしれないが、レギュラーユニフォームでこの配色は少々、冒険し過ぎのような気がする…


そんな、最悪のユニフォームを着用していた日本ハムが1993年、大沢啓二監督の再就任に伴いユニフォームをモデルチェンジ!高校生だった私は通っていた接骨院の新聞でその報道を見て、「おっ、カッコいいじゃん!」と心躍らせたものだった。


#60 キップ・グロス


#10 マイカ・フランクリン


で、このホーム用ユニフォーム、大学生の時に体にフィットするSサイズのレプリカジャージを購入したのだが…月日の流れは残酷なもので約20年も経つと私の体も肥え(爆)Sサイズではきつくなったので2013年に同ユニフォームが復刻された際にMサイズのレプリカジャージを再購入。「Fs」のロゴが昇華プリントだったのは気に入らないが、ないよりマシ。セレクションで刺繍処理のレプリカジャージもあったが、「Fs」ロゴを縁取っているオレンジのアウトラインが細ずぎて、デザイン的にイマイチだったので、この昇華プリントのレプリカジャージを鎌ヶ谷スタジアムに行く際は愛用している。

日本ハムの歴代ユニフォームでは、北海道移転直後のユニフォームもよかったが、当時業務提携を行っていたNYYユニフォームのニュアンスを反映した(であろう)、この「Fs」ロゴユニフォームがベストデザインだと個人的には評価している。

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日本ハム・ファイターズ ビジター用

2017-05-19 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
日本ハム・ファイターズ ビジター用(1993~2003年)


先日、息子と一緒に鎌ヶ谷スタジアムに行くことになったのでホーム用と共にタンスから引っ張り出してきた。

1995年、大学入学を機に上京。1年生の時は週10時間ぐらいしかバイトを入れていなかったので、お金はなかったが、時間だけはたっぷりあった(笑)大学の授業が終わり時間を持て余しすと、よく数人で東京ドームまで赴き安価な外野席で日本ハム主催試合を観戦していた。

その時、何故このビジター用ユニフォームを購入したかわからないが、昨今の復刻ユニフォームブームにおいても、当ユニフォームは復刻されていないので購入しておいてよかった。


このユニフォームの評価としては…

【良い点】
・今までのド派手なオレンジから、本来のビジター用ユニフォームカラーであるグレーが採用された。
・グレー記事のためシンプルなデザインに落ち着いた。
・当時の粗悪なメッシュ素材のレプリカなので貧乏学生でも買えた(笑)

【悪い点】
・胸ロゴが企業名…今となれば東京時代最後のユニフォームだけに胸ロゴは「TOKYO」にしてほしかった
・フリーサイズのみの展開なので、でかい着用時はストリート系みたいになっちゃうんだよねぇ


ビジター用ユニフォームの胸ロゴが企業名と言うのは気に入らないが、大沢啓二監督復帰により一新された当ユニフォーム(ホーム用・ビジター用)は前作のド派手なオレンジから一転してクラシックな雰囲気のユニフォームになり、さらには上京した頃の郷愁もあり、個人的には好印象


#18 岩本勉



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Sometime in New York City

2017-05-18 00:05:00 | 自作Tシャツ
Sometime in New York City 自作Tシャツ

※右はプリント部分の拡大

私にとって永遠のヒーロー、ジョン・レノンのTシャツを自作した。デザインは一番のお気に入りアルバム「Sometime in New York City」のジャケットから拝借。

サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ (Sometime in New York City) は、1972年に発表されたジョン・レノンとオノ・ヨーコの共作アルバム。ジョン・レノン&オノ・ヨーコ(プラスティック・オノ・バンド)に加え、エレファンツ・メモリーというバンドがバックを務めている。

ジョンのアルバムの中でも、最も政治的な色合いが濃い作品になっている。それまでの『ジョンの魂』(1970年)や『イマジン』(1971年)等でも、そうした思想は歌われていたが、本作では非常に直接的な言葉が使われている。また、それまでは普遍的な問題をテーマにしてきたのに対し、本作においては目の前で起こっている時事的な問題が扱われている。新聞を模したジャケット・デザインもそのコンセプトの一環である。



「女は世界の奴隷か!」「シスターズ・オー・シスターズ」では女性解放を、「アッティカ・ステート」ではアッティカ刑務所での暴動を、「血まみれの日曜日」「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」ではアイルランド問題を、「アンジェラ」や「ジョン・シンクレア」では囚われた活動家に対するシンパシーを歌っている。多くの楽曲には、当時交流のあった政治活動家からの影響が表れている。


John Lennon (1972) - Live In New York City - Sometime in New York City

NYCでのライブと「Sometime in New York City」の収録曲。


フェミニズム・アナーキスト的な思想が反映され、政治色が強かったせいかセールス的には芳しくなかったが、私個人としてはジョンのベストアルバム!内容もさることながら、デザインジャケットでもベストな作品であろう!

多くの曲のテーマが極左的であるとされ、保守的(右派)な人々から強い批判を浴びたが、本作によって「ジョン=不正と戦うカリスマ」というイメージが確立された。ただ、あまりにも政治的な問題に傾倒しすぎたため、ジョン自身も危険を感じていた。また、次第に政治活動家と自身のスタンスの違いに違和感を持つようにもなった。そのため、本作を以てそうしたテーマとは少し距離を置いていき、後にハウスハズバンドとして育児に専念する。


余談だが、いつの間にか私はジョンの生涯年齢を超えてしまった。「(Just like) Starting Over」でI know time flies so quickly(時が経つのは本当に早いね)と表現していたが、まさにそのとおりだと最近は実感している。(苦笑)

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東北楽天ゴールデンイーグルス ホーム用

2017-05-17 00:05:00 | ジャージ(ユニフォーム)
2004年、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中の中、難産の末、誕生した「東北楽天ゴールデンイーグルス」。

NPB空洞地域であった仙台に初めて本拠地を構え(1973~1977年の間、ロッテが宮城球場をほぼ本拠地として使用していただが、登録上の保護地域は東京都のままだった)、その後も宮城球場のボールパーク化・天然芝への張り替え等を実施し、NPBに多大なる貢献を果たしている。

そんな、同球団が2013年創立僅か9年でパ・リーグ優勝・日本一の偉業を成し遂げたことは記憶に新しい。

東北楽天ファンというわけではないが、2006年から数年間は子どもがまだいなかったので、しばしば仙台まで赴き宮城球場で観戦もしてた。そんな私にとって2013年の日本一と並んで、創立5年目の2009年、野村克也監督のもと球団史上初のプレーオフに進出したシーズンも印象深かった。


その当時購入したのが…

東北楽天ゴールデンイーグルス ホーム用

#55 リック・ショート

2003年、千葉ロッテにて.303の好成績を残しながら契約が延長されず、2006年に東北楽天からNPBに復帰した。そんな派手なイメージはなかったが、玄人受けする素晴らしい選手だった。2008年に首位打者を獲得した時はホント嬉しかったなぁ~

当ジャージ着用時、新聞に載った(笑)

2009年10月4日 朝日新聞朝刊(東京)



肝心なユニフォームについて。2007年リック・ショートNPB復帰記念で購入。シャドー・ストライプが広めの等間隔に入っていたのが特長的だが、ホーム用に企業名「RAKUTEN」を挿入した駄作。キャップもイマイチなので未購入。宮城球場以外で着用したことなし。現在は着用する機会は皆無…現在は家内のヤフオク出品候補品になっている


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