自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

West 自作Tシャツ

2017-08-17 00:05:00 | 自作Tシャツ
West 自作Tシャツ



1985年から1989年までザクスピードのスポンサーだったため、コアなオールドファンは赤×白もそれなりに印象に残っているかもしれない。

#34 ベルトラン・シュナイダー

オレも一応リアルタイムでウエスト・ザクスピードは見ていたはずだが、いかんせん弱すぎてTVで見た記憶がほとんど無いので、残っている記憶はビジュアルよりも鈴木亜久里が全戦予備予選落ちした記憶のほうが強い(笑)そして、マクラーレンのシルバー×ブラックがあまりにもカッコよかったため、ザクスピードの赤×白が映えなく見える。よって、1997年から2005年7月まで存在したウエスト・マクラーレンのシルバー×ブラックをイメージして作成。(さすがにTシャツでシルバーというわけには行かなかったので、シルバーはグレーに置き換えたが。)

マクラーレンは1997年にカラーリングが変更。銀と黒を基調に赤をアクセントに用いるカラーリングが使用されるようになった。これは、マールボロとの契約終了に伴いマクラーレンが独自のカラーリングを施すことが可能となったことにより決められたものである。銀色は「シルバー・アロー」メルセデスへの配慮、と考えられているが、カラーリング全体については当初のタイトルスポンサーであるウェストを含め特定のスポンサーの意向によるものではない、と、ロン・デニスは述べている。ロン・デニスはことのほかこのカラーリングを気に入っており、今後(他チームやマールボロカラー当時のマクラーレンのような)色と色の境界を線で区切ったようなカラーリングは自分のチームの車体には用いたくない、と発言している。その発言通り、2006年にカラーリングを若干変更した後も、各色の境はグラデーションを用いたものとなっていた。

ミカ・ハッキネンが2年連続でチャンピオンに輝くなどしたため、Westは強いマクラーレンのカラーリングであったシルバーのイメージが個人的には強いなぁ~


マクラーレンMP4-12 #10 デビット・クルサード


マクラーレンMP4-12 #10 デビット・クルサード


マクラーレンMP4-13 #7 デビット・クルサード


マクラーレンMP4-14 #1 ミカ・ハッキネン


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John Player Team Lotus 自作Tシャツ(2代目)

2017-08-14 00:05:00 | 自作Tシャツ
John Player Team Lotus 自作Tシャツ(2代目)


昨年、JPS Tシャツを自作したが、初めての自作Tシャツということでイマイチ出来栄えに納得いかなかったので、作り直し。

ユニオン・ジャック付きの「John Player Team Lotus」ワッペンも貼り付けたので、イメージとしては70年台のJPS LOTUS。

Lotus 78/#5 マリオ・アンドレッティ(1977年)


Lotus 79/#6 ロニー・ピーターソン(1978年)


JPSは1979年に一旦撤退。1981年スペインGPから復活し1986年までロータスは美しいJPSカラーをまとう(但し、復活後はユニオン・ジャックは廃止された)。私個人はかろうじて86年の98TだけリアルタイムでAUTOSPORTにて写真だけ見ることは出来ただけで、自身の観戦時期とは重なっていないのだが、その美しさに魅了され続けている。個人的には97T、98Tが最も美しかったと思っている。


Lotus 87/#12 ナイジェル・マンセル(1981年)


Lotus 87/#11 エリオ・デ・アンジェリス(1981年)


Lotus 91/#11 エリオ・デ・アンジェリス(1982年)


Lotus92T/#12 ナイジェル・マンセル(1983年)


Lotus 93T/#11 エリオ・デ・アンジェリス(1983年)


Lotus94T/#12 ナイジェル・マンセル(1983年)


Lotus 95T/#11 エリオ・デ・アンジェリス(1984年)


Lotus 95T/#11 エリオ・デ・アンジェリス(1984年)


Lotus 97T/#11 エリオ・デ・アンジェリス(1985年)


Lotus 97T/#11 エリオ・デ・アンジェリス(1985年)


Lotus 98T/#12 アイルトン・セナ(1986年)


Lotus 98T/#12 アイルトン・セナ(1986年)


ほとんどリアルタイムで見たことのないマシンばかりなのに、30年以上経った今もその美しさに魅了されてしまうJPSロータス 

愛しているぜ、John Player Special Lotus!!!!


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WORKING CLASS HERO 自作Tシャツ

2017-07-28 00:05:00 | 自作Tシャツ
WORKING CLASS HERO 自作Tシャツ


既製品のTシャツが不慮の事故で破棄せざる得なくなったので、既製品とは違うデザインで自作。1972年に撮影されたジョンと「WORKING CLASS HERO」のレター。ちょっとパンクっぽい印象。

※既製品デザイン


1977年、日本滞在中ジョンが着用していたオリジナル「WORKING CLASS HERO」Tシャツ

育児中のジョンモカッコイイのぉ~❤


上記lyricsを読んでも分かる通り、歌そのものは暗いんだよねぇ~。まぁ、一人称で書かれ、内省的で個人的な内容が反映されつつも、強いメッセージ性がある歌詞がジョンらしく、それがいいんだけどね。

ジョンは本曲について「19世紀のイギリスの労働運動家タリク・アリについて歌ったもの」と語っている。「生まれてすぐいじめられ」、「宗教とセックスとテレビに酔わされて誰もが平等と信じ込まされていた」と社会風刺と批判を展開し、「労働者階級の英雄になるのは大変だ (A working class hero is something to be) 」というフレーズが繰り返される。最後に「もし英雄になりたいのなら僕について来い」というメッセージを伝えて終わる。ジョンは厳密には労働者階級の出身ではないが、"Working Class Hero" はジョンの代名詞ともなっている。






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NEW YORK CITY 自作Tシャツ

2017-07-27 00:05:00 | 自作Tシャツ
NEW YORK CITY 自作Tシャツ


当初はかの有名な「NEW YORK CITY」のロゴのみでTシャツを自作しようとしたが、それじゃ既製品と変わらないので「NEW YORK CITY」のTシャツを着用しているジョン・レノンの写真(1972年、ニューヨークにて撮影)をそのまま転写してみた。

「NEW YORK CITY」のTシャツを着用しているジョン・レノン

このイメージをそのまま転写






マジ、ジョンはチョーカッコイイわぁ~❤

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Abbey Road 自作Tシャツ

2017-07-26 00:05:00 | 自作Tシャツ
アルバム「Abbey Road」ジャケット風モノクロ自作Tシャツ




『アビイ・ロード』(Abbey Road)は、1969年9月26日(英国)に発売されたビートルズ12作目のオリジナル・アルバム。

大学生の頃、ビートルズショップで購入した「Abbey Road」Tシャツがなくなってしまった(破棄したのかも?)で、自作してみた。既製品のように、ただジャケットのイメージをそのまま転写するのではなく、歩行中の4人をシルエットにし、顔と手だけホワイトにした。

アルバムのジャケット写真


Abbey Roadのサインボード


ロンドン・EMIスタジオ前の横断歩道で撮影されたジャケット写真は、レコードジャケット史上最も有名なものの一つである。当初アルバム・タイトルをタバコの銘柄にちなんで "Everest" にして、ジャケット写真をエヴェレスト山の麓で撮影する予定だったらしかったが、「ヒマラヤにまでジャケット写真を撮りにいくのはごめんだ。ちょっと外に出てそこで写真を撮り題名を(通りの名前)アビイ・ロードにすれば良いじゃないか」とポールが提案し、1969年8月8日午前10時頃に撮影された。

この横断歩道は世界中から多くのビートルズ・ファンなどが訪れる場所となり、その文化的背景から景観の保存が検討され、横断歩道を英国政府が2010年12月に英国の文化的・歴史的遺産に指定している。建物以外が指定されるのは初。

もちろん、オレも行きました!もう12年ぐらい前だけど、ジョンがいた場所を共有できた!感動のあまり道路にキスしてきた 

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LUCKY STRIKE 自作Tシャツ

2017-07-24 00:05:00 | 自作Tシャツ
LUCKY STRIKE Tシャツ




LUCKY STRIKEのロゴだけでTシャツを作るつもりだったけど、思いつきで「BAR HONDA」ロゴも貼り付けたので、BAR HONDA仕様っぽくした。


上記レーシングスーツっぽくするために「HONDA」「555」のロゴも貼ろうかなぁ~と思ったけど、仮当てしてみたらくどくなりそうなので止めた。

何と言っても先日、佐藤琢磨選手がインディ500で優勝したことにより、突発的に彼のグッズが欲しくなったので、F1在籍時のBAR関連のグッズ≒LUCKY STRIKEグッズを自作することにした。

F1での佐藤琢磨選手といえば…何と言っても2004年!アメリカGPで日本人14年ぶりとなる3位表彰台を得たほか、ヨーロッパGPの予選でフロントロー2位を獲得したなど大活躍だった!

2004年アメリカGPでの表彰台の様子

 


B・A・R 006

自己満足ではあるが、この自作Tシャツからは、この頃の雰囲気は感じることはできたかな♪

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バンクーバー・カナディアンズ ホーム風

2017-07-13 00:05:00 | 自作Tシャツ
バンクーバー・カナディアンズ ホーム風自作Tシャツ

現在使用しているホーム用キャップは持っていないので、トロントの2014年スプリングトレーニング用キャップを添えて撮影。

まぁ、オルタネイトで似たようなキャップを使用しているから代用品としてはありだろう


【バンクーバー・カナディアンズ】
・2000年からノースウェストリーグ加盟(A)
[所属MLB]
●TOR (2011~ )
●OAK (2000~2010)

バンクーバーに住んでいた時、当時のキャップは購入したが、ユニフォームは正直カッコイイとは思わなかったので購入せず。しかし、2008年からシンプルなユニフォームに変更になりスタイリッシュなデザインになったので、ジャージを購入すべきか悩む…。しかし、送料が高いからTシャツを自作すればいいやということで妥協(笑)

使用したのは、2014年から使用されいているホーム用のロゴ。左腕袖章・トロント・ブルージェイズのメイプルリープと右袖の「VANCOUVER」はオリジナルで追加。

○2014年からのユニフォーム

MiLBでも、これだけクオリティーの高いユニフォームはなかなかないね

正直、トップチームのブルージェイズよりカッコイイわなwwww

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LEYTON HOUSE 自作Tシャツ

2017-07-12 00:05:00 | 自作Tシャツ
LEYTON HOUSE 自作Tシャツ

F1等のマシンに描かれていた「LEYTON HOUSE」のロゴは白のアウトラインがあったが、それを再現するには少々コストがかかりそうだったので自作Tシャツでは白のアウトラインは省略。ポイントは「LEYTON HOUSE」のロゴ下グリーンのラインを配置し。そのライン上にLEYTON HOUSEの主要スポンサーだった「BP」(ブリティッシュ・ペトロリアム)の旧ロゴを描いてみた♪

出来上がりはなんとなく球団創立直後のフロリダ・マーリンズみたい(笑)

#51 トレバー・ホフマン

ホンダ・シティのマイアミブルーを参考にしたという「レイトンブルー」は、モータースポーツ好きにはお馴染みの色。

ホンダ・シティのマイアミブルー

その「レイトンブルー」の印象が強いレイトンハウス(LEYTON HOUSE)は、1980年代後半から1990年代前半の「バブル全盛景気」期にかけてF1やF3000、スポーツカー世界選手権などの国際格式のレースで世界的に活躍した、日本の企業及びその傘下のレーシングチーム…しかし、バブル期ならではの怪しいイメージがあるのも事実で大半の人が抱く率直なイメージとしては「実態がよくわからない謎の会社」であろう。

レイトンハウスは丸晶興産という会社のブランドで、丸晶興産は赤城明という人物が1981年に立ち上げた不動産会社。丸晶興産は、折からの好景気を追い風に事業を拡大。オフィスビルやゴルフ場などを経営し、業績は好調だったらしい。当時は「土地神話」が根強く、「土地は買えば必ず値上がりする」と言われていた時代で、不動産業の基本的なビジネスモデルは、①銀行から土地を担保にお金を借りる→②そのお金で新たに土地を買う→③新たに買った土地を担保にまたお金を借りる、というもので、雪だるま式に資産を増やすサイクルになっていた。

土地が値上がりし続けるという「土地神話」と、土地を担保に差し出せばいくらでもお金を貸してくれる銀行とが合わさって、不動産の価格は需要以上に高騰。丸晶興産はその波に乗り巨万の富を築き始めていた。

そして、1984年の富士GC最終戦に「丸晶興産」のロゴを付けたマシンがデビュー。しかし、丸晶興産社内から「レーシングカーに漢字は似合わない」と指摘された赤城氏は、代わりに「LEYTON HOUSE」のロゴを用い始める。【レイトンはイギリスの小さな街の名前で、赤城氏の知人の娘がイギリス留学中に知ったらしい。丸晶興産の子会社・メーベル商会の女性社員が、それに家=HOUSEを組み合わせて「LEYTON HOUSE」のブランド名が誕生】

1985年のル・マン24時間レースに参戦するトムスのスポンサーになった時、同社社長の舘信秀氏に「レイトンハウスって何ですか」と聞かれて赤城明氏は「いや、実体はまだないんですよ。それはこれから作りますから」と答えたという。宣伝する商品が無いのにスポンサードするなんて、なんともバブルらしい逸話である。

1986年、レイトンハウスの名前を冠したレーシングチームを立ち上げ、全ての国内選手権クラスのレースへの同時参戦を開始し、それに合わせる形で子会社の「メーベル商会」の社名を「レイトンハウス」に正式に変更した。社名変更と時を同じくして「レイトンハウス」ブランドによるアパレル展開もスタートした。


1987年に、F3000やF3などのフォーミュラカーを中心として活躍していたイギリスの名門のレーシングカーコンストラクターであるマーチと提携する形で「レイトンハウス・マーチ・レーシング」としてF1に進出。1989年にはマーチを買収して「レイトンハウス・レーシング」とし、1990年からコンストラクター名称も「レイトンハウス」に変更した。

LEYTON HOUSE CG901B

#16 イヴァン・カペリ 1990年第7戦フランスGP(ポール・リカール)ではイヴァン・カペリがタイヤ交換せずにレース終盤までトップを快走し、最終的にはフェラーリのアラン・プロストにパスされたものの、その後チェッカーを受け2位表彰台を獲得


#15 マウリシオ・グージェルミン


チームの好調振りに合わせるかのようにアパレル事業も順調に発展、一時は首都圏やサーキットのみならず、全国の大都市にブティックを展開し、アパレル事業単体で年商20億円を超えるビジネスに発展した。

また、親会社の本業の不動産でも横浜市に「レイトンハウス」の名を冠した高級賃貸マンションや、釧路市で式場併設のホテルレイトン(釧路全逓会館〈ホテルユニオン〉を買収)も展開するなど、レイトンハウスブランドを積極的に展開。F1参戦前年の1986年にはレコードレーベル「レイトンハウス音楽産業」を設立。1990年にはポッカコーポレーション(現・ポッカサッポロフード&ビバレッジ)から「レイトンハウスF1ドリンク」というスポーツドリンクが発売され話題になった他、様々なグッズも販売した。

「レイトンハウスF1ドリンク」…懐かしなぁ~

しかし1991年のバブル景気の崩壊と共に資金繰りが悪化した上に、同年9月には赤城が富士銀行不正融資事件に絡み逮捕され、1987年から1990年の間に同行より2000億円に上る不正融資を受けていたことが判明し懲役10年の判決を受けたことなどが重なり、同年のシーズン終了後に赤城氏はF1チームのオーナー権を手放さざるを得なくなった…


在りし日の赤城明氏(中央)左はマウリシオ・グージェルミン、右はイヴァン・カペリ

と、まさにバブルの波に乗り上昇し、バブル崩壊とともに消え去っていった「レイトンハウス」であったが、美しい「レイトンブルー」をまとった美しいエイドリアン・ニューウェイ作のマシンは、中学生だったオレのハートを鷲掴み♪タミヤから発売されたCG901Bのプラモデルも複数購入してたぐらいだった。

F1では正直、中堅チームという位置付けだったが、美しい「レイトンブルー」のインパクトは大きく、いい塩梅の色をしたTシャツをネットで見つけたので念願の「レイトンハウス」Tシャツを自作。Tシャツは税込499円、転写シートは家にあったものだが単価はだいたい250円ぐらいのはず。総計750円ぐらいでバブルの象徴「LEYTON HOUSE Tシャツ」完成。コストはバブリーぢゃないなwww


バブリーな頃の風景(笑)

※キャップも自作したが…ものの見事に失敗しお蔵入り…

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阪神タイガース「虎の袖章」Tシャツ

2017-07-10 00:05:00 | 自作Tシャツ
阪神タイガース「虎の袖章」自作Tシャツ


まぁ、なんてことはない、以前購入した阪神の『虎の袖章』のワッペンを貼り付けただけ


それでも、これがそこそこの見栄えなのは阪神タイガースの意匠が優れているからだろう。

タイガースはデザインワークだが、球団創設期にデザインに関するコンセプトワークがしっかりと行われていたためか、日本球界では珍しく歴史的に一貫したスタイルを持っている球団で、球団旗や胸マークのロゴから袖章の虎のマークまで、創設時の基本スタイルを守り続けているのは、日本球界ではこの球団だけである。

黄色と黒の横縞に虎の顔が描かれた赤い丸を配置した球団旗は絶妙なデザインである。


理由は分からないが、虎の顔は球団旗と袖章では顔の向きが逆になっている。ただし職業野球連盟のリーグ戦がスタートした1936(昭和11)年には、すでに袖章も球団旗も存在していたのは確かで、戦時中も虎の袖章と縞模様の球団旗はそのままの形で使用されていた。

『虎の袖章』は職業野球がスタートした1936~1940年に使用された(現在の概念でいうと)ビジター用ユニフォーム(グレー時に胸に「OSAKA」のレター)の左袖に使用され、1944年に左胸に「阪神」のレターが使用された(現在の概念でいうと)ビジター用ユニフォームで復活。ビジター用ユニフォームではその後1950~1978年、1984年~現在まで左袖に『虎の袖章』が燦然と輝いている。

ホーム用ユニフォームで『虎の袖章』は使用されたのは意外と遅く1976年から。1960年に球団名が「大阪タイガース」から「阪神タイガース」に変更なってからもそれまでは左袖には「OSAKA」の文字が記載されていた。ビジター用ユニフォームは1979~1983年までの間、左袖の『虎の袖章』が廃止され「Tigers」のロゴが記載されたが、その期間は既にホーム用で『虎の袖章』が使用されていたので1950年から絶えず、この『虎の袖章』は使用されていることになる。

そう考えると、この手抜き自作Tシャツがそこそこの見栄えに見えるのも分かるような気がする。


左袖に燦然と輝いている『虎の袖章』

#4 マット・キーオ


#27 スコット・アッチソン


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Marlboro自作Tシャツ(赤)

2017-07-05 00:05:00 | 自作Tシャツ
Marlboro自作Tシャツ(赤)

税込み689円の無地の赤Tシャツに、税込み400円のMarlboroワッペンを貼っただけwww しかし、総計1,089円でなら上出来だろう( ̄ー ̄)ニヤリ

白のMarlboro Tシャツも作ってはみたものの、赤ん坊の世話してるときは汚れるし、汁物系を食べると、汁がはねてシミになりそうだし…とにかく汚れが目立ちそうなので赤Marlboro Tシャツを作り直した。

イメージはフェラーリのピットシャツ…と言いたいところだけど、オレがF1見始めた頃のピットシャツはフェラーリのコーポレートカラーである黄色だったんだよね。(また70年代当時、ほとんどのF1チームにタバコ広告が貼られていたのに対して、フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリは「フェラーリはタバコを吸わない」とタバコ広告を嫌悪、タバコ広告を拒否し続けた。その名残で後にMarlboroのロゴが車体に貼られても、シャツにはMarlboroのロゴは一切なかった)

黄色のピットシャツ(ドライバーは#2 ナイジェル・マンセル)




その後、Marlboroの影響力が強くなってから、白になり、赤になったけど、そのときのMarlboroのロゴって従前の『長方形の白地に、赤の逆「M」マークと黒字の「Marlboro」ロゴ』(※1)ではなく…跳ね馬のロゴと並列されているロゴ(※2)に変わっていたから赤地に※1のロゴのシャツって正式には存在しなかったかもね。

※1 長方形の白地に、赤の逆「M」マークと黒字の「Marlboro」ロゴ


※2 跳ね馬のロゴと並列されている「Marlboro」ロゴ



なので、イメージとしては1984年・126C4から1992年・F92Aの車体や、その当時のレーシングスーツかな。

フェラーリ641/2(#1 アラン・プロスト)


フェラーリ642(左:#28 ジャン・アレジ/右:#27 アラン・プロスト)


フェラーリ643(#27 アラン・プロスト)


いや、ホントはこっちかも(爆)
う~ん、絶景❤

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Marlboro自作Tシャツと「タバコ広告」

2017-06-29 00:05:00 | 自作Tシャツ
Marlboro自作Tシャツ




なんてことはない、ヘインズの白TシャツにMarlboroのワッペンを付けただけ(笑)

イメージは23年間続いたマールボロ・マクラーレン時代のピットシャツ。

1991年 中央は#2 ゲルハルト・ベルガー

Tシャツの『Marlboro』ロゴだが、「l」と「b」が縦長が実際シャツに使用されたロゴと比べ短いパチモノ(マシンのロゴはこちらなんだがね)。でも、自分にはなんとなくマールボロ・マクラーレン風に見えるからいいのだwww


1989年:McLaren MP4/5 前方:#2 アラン・プロスト/後方:#1 アイルトン・セナ


1990年:McLaren MP4/5B(左) #27 アイルトン・セナ

右はFerrari 641/2 #1 アラン・プロスト 
1990年日本GP@鈴鹿サーキット スタート直後の第1コーナーでセナとプロストが接触、両者リタイアでセナの年間チャンピオンが決定したのは有名な話

1991年:McLaren MP4/6 #1 アイルトン・セナ


マールボロ・マクラーレン時代のマクラーレンの車体は、車体そのものがマールボロのパッケージに塗装。80年代後半から90年代前半にF1をリアルタイムに観戦していた世代には、非常に印象深い、そして記憶に残る色合いだった。

その時代に『Marlboro』ロゴが常時車体に描かれていたのは前述のマクラーレンにフェラーリ、スクーデリア・イタリア(短期間ならBRM、アルファロメオ、ユーロブロン、リアル等が『Marlboro』のロゴをまとっている時期もあった)のみだったが、ドライバー個人と『Marlboro』が契約を結び、ヘルメットのおでこ部分や左胸に『Marlboro』ロゴが表示されている『Marlboro』ドライバーは多数いた。また、サーキットの広告も積極的に出稿していたので『Marlboro』ロゴはよ~く目にした。

少なくても私には『Marlboro』=『F1』と言ってもいいほど、MarlboroとF1は密接に結びついていたように思えた。


しかし、あの『同時多発テロ』が起こった2001年9月11日…F1業界でも激震が走った。それは、「2006年のF1グランプリを最後に、全てのタバコメーカーはF1からスポンサー事業を撤退する」と発表。ヨーロッパでのタバコ広告は、2006年までに一切のメディアで全面禁止される事になり、モータースポーツも例外ではなかったからだ。F1の主役的な存在だったタバコ広告は、F1業界から撤退を余儀なくされた。当時はマクラーレンから撤退しフェラーリのスポンサードに集中していたが、『Marlboro』=『F1』とさえ思えた『Marlboro』のロゴがF1から消滅する寂しさを感じたものだった。

※しかし、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ (BAT) と日本たばこ産業 (JT) がF1から撤退した後も、両社との紳士協定を破って『Marlboro』のロゴは掲載しないものの支援活動を継続している。

一昔前までテレビCMや駅の広告・看板にもあったタバコ広告も、昨今の世界的な嫌煙運動が広まる中、今は「百害あって一利なし」完全に世の中から広告がなくなった。公衆の場でタバコ広告が合法だった当時とは随分と時代が変わった。

昔のMarlboro広告①

左:赤ん坊のセリフ「パパはMarlboroとか、いいもんばっか持ってるよねぇ~」
右:赤ん坊のセリフ「ママはMarlboro大好きだよねぇ~」 注)共に多少意訳しています。
赤ん坊にタバコを肯定するようなセリフを添えてタバコは悪くないとする印象を与える広告…今なら社会問題になりそうだ(苦笑)


昔のMarlboro広告②

「更に品質向上…よりよい香り…よりよりフィルター…よりよりタバコ」 注)多少意訳しています。
喫煙シーンがTVや映画に露出することさえ禁止されている昨今、こんなタバコを賞賛する広告…今では絶対ムリですな


タバコ広告はF1の車体のデザインの一部だった。カッコイイと思えたF1の車体の多くにはタバコのロゴがあった。だから、自分も含めF1からタバコのロゴが消えた事を嘆く人も多い。そもそも、F1のタバコのロゴ見たぐらいで喫煙者が増えるか!と言う反論もある…が、オレはJPSロータスの美しさに感銘を受けJPS愛煙者になったから、自分の体験談からすれば広告効果は抜群だったはず。まぁ、オレもものの見事にJPSの戦略に乗っかってしまったわけだ。自分の子供達には同じ過ちを繰り返させないためにも、やっぱタバコ広告は不要だな←オレが言っても説得力がないが(苦笑)

と言いつつ『Marlboro』Tシャツを自作したオレの行為は…矛盾しているな(滝汗)

だって、『Marlboro』のロゴ…カッコイイんだもん…(滝汗)

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シアトル・マリナーズ ホーム風

2017-06-16 00:05:00 | 自作Tシャツ
シアトル・マリナーズ ホーム風自作Tシャツ

2015年からのロゴはちょっとしつこい感じがして好きじゃないんで、1993年~2014年まで使用されたロゴを使って自作。

マジェスティック製の既製品Tシャツだと約4,000円ほどするが、自作したこのTシャツの制作費用は約800円(笑)

球団創立1977年からケバケバしいユニフォームを採用し続けたシアトルであったが、1993年にデザイン変更してからMLB屈指の素晴らしいユニフォームになった!

イチロー、岩隈久志、長谷川滋利、青木宣親、川﨑宗則、城島健司、マック鈴木など、比較的日本人プレーヤーが多く所属していたので日本でも認知度の高いシアトル・マリナーズであるが、私は1990年代後半、ケン・グリフィー・ジュニア、エドガー・マルティネス、ランディ・ジョンソン、アレックス・ロドリゲスらが主力としてキングドームで暴れまわってた頃の印象が一番強い。

#11 エドガー・マルチネス



言うまでもなく、ミスター・マリナーズ!

#50 ジェイミー・モイヤー

軟投派投手の代表格。全30球団から勝利を記録した数少ない投手。49歳+150日での勝利投手は史上最年長記録!

#5 ジョン・オルルド

故郷・シアトルに帰還。守備時にもヘルメットを着用することでも有名だった。


シンプルで実に美しいユニフォームだ。うっとりしてしまうね♪


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7up Jordan Tシャツ

2017-06-13 00:05:00 | 自作Tシャツ
7up Jordan 自作Tシャツ

グリーンの無地Tシャツに「7up Jordan」のワッペン貼り付けただけ(笑)

※追記:7upキャップも作ってみた。


イメージは1991年ジョーダンGPのピットシャツ

エディー・ジョーダン 後年、風貌がちょいワルオヤジになるが、この頃はまだ大人しい風貌だったんだなぁ~(笑)

既製品だと、この程度のロゴ付きTシャツでも多分6,000円ぐらいはするんだろうなぁ~。そう、F1グッズはクソ高い!!!ちなみにこの自作Tシャツの原価は2,000円程度お手軽、お手軽♪

ジョーダン・グランプリは、1991年のデビューから2005年までF1世界選手権に参戦し、通算4勝を記録。1999年にはコンストラクターズランキング最高成績の3位を獲得。1980年代から1990年代にF1に参戦した新興チームの中ではもっとも成功したコンストラクターのひとつ。



私がF1に熱中したのが1980年代中盤から1990年代中盤。(以降もそれとなく見てはいるが、Team Lotusが撤退してからは、以前ほどの情熱はなくなった)その時代で美しかったF1マシンと言ってパッと思い浮かぶが…

ロータス97T


ロータス98T


ロータス101




ロータス107






フェラーリ641/2






フェラーリ643




ティレル019


レイトンハウスCG901


ベネトンB190


ベネトンB191


ウィリアムズFW14


マクラーレンMP4/8


シムテックS941














辺りだが…


絶対に外せないのが、
ジョーダン191である!












1991年、F1処女作となる191は元レイナードのゲイリー・アンダーソンを中心に開発。オーソドックスながらもアンヘドラル・ウィングなどの流行を取り入れ、アイルランドのレーシングカラーである鮮やかなグリーンにペイントされた「美しいマシン」として評判になった。また、ルーキーチームにもかかわらずフォードワークスのHBエンジンの旧スペックを獲得。

メインスポンサーにペプシコーラ社ブランドの「7up」が付き、「富士フイルム」などのスポンサーも獲得。これは全くの偶然だったういう噂もあるが、たまたまICカラーがグリーンの「7up」と「富士フイルム」がスポンサーになったことにより、車体のカラーリングはアイルランドのレーシングカラーであるグリーンとなった。。

1991年は13ポイントを獲得し、デビューシーズンにコンストラクターズランキング5位という素晴らしい成績を収めた。(ベルトラン・ガショーの不祥事もあり、後のワールドチャンピオン:ミハエル・シューマッハが代役として出走しF1デビューしたのもこの年のジョーダン・グランプリから)


その後、メインスポンサーの変更により車体がブルー、イエローと変更になり、この美しかったグリーンのジョーダンは1991年のみ。衝撃的なデビューを飾り、衝撃的な美しさを披露してくれた「7up Jordan」。その「7up Jordan」をイメージしてTシャツを自作してみた♪

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千葉ロッテ・マーリンズ ビジター風

2017-06-08 00:05:00 | 自作Tシャツ
千葉ロッテ・マーリンズ ビジター風自作Tシャツ


千葉ロッテの歴代ビジターユニフォームで最も美しかったグレーのユニフォームをイメージして自作。

TEAM26特典で配布された同モデルのレプリカジャージは一応所有しているのだが、フリーサイズで私にはデカすぎて着用してもしっくり来ないので、Tシャツを自作した。

但し、左袖は通常のカモメを描いたロゴではなく…


2016年に使用された「ALL for CHIBA」ロゴを使用…

地元千葉県色を出したかっったので「ALL for CHIBA」ロゴを貼り付けたが、これが良くなかった…。このデザインはシンプルなブラックとグレーのツートンカラーだからカッコイイのに、派手派手しい赤のロゴなんか貼り付けたから、まとまりがなくなってしまった…。


左:#90 江尻亮監督/#20 薮田安彦(1996年)


#12 藤田宗一(1998年)


うんうん、やっぱビジター用ユニフォームはグレーだよなぁ~

千葉ロッテはシンプルなブラックとグレーのツートンカラーだったから更にカッコよかった!!!


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日本ハム・ファイターズ オリジナル自作Tシャツ

2017-05-22 00:05:00 | 自作Tシャツ
日本ハム・ファイターズ オリジナル自作Tシャツ


日常生活で気軽に着用する日本ハム・ファイターズ(東京時代)のTシャツがほしかったので自作。

当初は所有しているキャップに合わせて、
1993年から2003年まで使用したユニフォームの「Fs」ロゴにしたかったのだが…

#23 エリック・シュールストロム

いい素材が見つからなかったので…

日本ハム初代ユニフォームである1974年前期モデルのロゴから引用

#10 張本勲


上記ユニフォームのように白地にこのロゴを配置すればよかったのだが、白Tシャツに飽きたので、グレーのTシャツで作成。そしたら、奇妙な配色になってしまった(笑)

ブルーの文字はいいとしても、1974年前期モデルオリジナルデザインであるレッドのアウトラインだと所有しているキャップとイマイチ合わないような気もするが…まぁ、いいか、誰もそんなこと気にしてないしwww


最近、「Fs」ロゴの素材が見つかったので、もしかしたら、当初作ろうと思っていた「Fs」ロゴ自作Tシャツ作るかも~


余談だが、このTシャツ着用時の様子、セレクションさんのブログにも掲載していただけた♪(坂本選手のTシャツ購入した時)


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