答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

リニューアル

2022年09月16日 | オヤジの情報発信修業

 

 

 

礒部組のホームページがリニューアルされた。

いや、自分がその制作チームの中心にいたのだから、「された」という受け身の過去形はただしくない。それを言うなら「~を~した」ではないか。

などと要らぬツッコミを自分で入れて、あいも変わらず理屈っぽいやつだと苦笑いひとつ。「した」でも「された」でもどちらでもよい。兎にも角にも礒部組のホームページが全面的に変わった。

かねてよりリニューアルしたいという思いは持っていた。それを実行に移すキッカケは、ある女性との出会いだ。といっても、その方とは未だにフェイス to フェイスでは会ったことがないのだから、いかにも今という時代ならではの関係ではある。

発端はフェイスブックだ。昨年の暮れのことである。見知らぬ女性から友達申請がきた。原則的に一度も会ったことがない人の申請は無視するのがわたしのFB作法だが、プロフィールをのぞいて興味を惹かれた場合には、たまにその縛りを外すことがある。その女性のプロフィールを見ると、「お絵かきクリエイター」という文字が真っ先に目に飛び込んできた。そこにアップされていた動画は、わたしがそれまで見たことがないようなものだった。はじめての「お絵かきムービー」体験だ。イラストを、ホワイトボードに描いては消し、消しては描きを繰り返すそのバックにBGMとナレーションが流れていく。その形式におもしろさを覚えたのも確かだが、それよりもわたしのココロを捉えたのは、その「お絵かきムービー」の絵と声そのものだった。すぐに友達リクエストを受け、メッセージを送った。

「求人募集のイラスト動画とかできますか?」

返事はイエスである。

費用はいかほどかとたずねると、作業の流れと大まかな費用を伝えるメッセージの最後に、彼女の自分史をまとめた「お絵かきムービー」のURLが貼りつけてあった。それを見て、あるアイデアが浮かんだので打診してみた。

「小中学生に対して土木の仕事を伝える、みたいなのもおもしろいんじゃないかというアイデアが浮かびました。検討してみたいですね」

これまた返事はイエス。しかも自信満々のイエスだった。

そうやってできあがったのが、礒部組お絵かきムービー三部作だ。

製作順に並べてみる。

 

ぼくらと一緒に働きませんか?

土木ってどんな仕事?

土木ってかっこいいよ!!

 

最初がリクルート動画。あとのふたつは子どもらに土木の仕事を説明するためのもので、その区分は大まかに、小学生用と中学生用だ。いずれ劣らぬ傑作である。その過程でふつふつと沸きあがってきたのがホームページのリニューアルだ。

といっても、TOPに彼女のイラストを、という意図はまったくなく、せっかく生まれた「お絵かきムービー」をメインに据えたサイトにしたい、というのがその動機だった。その過程で、イラストをTOPにというアイデアが生まれた。制作会社の担当者が問いかけてきた。

「誰か描ける人を知っていますか?いなければコチラで・・」

その言葉が終わらないうちに返答をかぶせた。

「います!」

その時わたしの脳裏に浮かんだのは、あの「お絵かきムービー」である。

そして、わたしが彼女に伝えたコンセプトは「おもちゃ箱」。そうこうするうちに、みごとにその想いに応えてくれたイラストができあがった。

ヘッダーは、なんといってもサイトの顔である。たぶん制作スタッフもそれから得たインスピレーションは大きかったのではないだろうか。当初の構成はどんどん変化していった。もちろん、よい方にである。写真や文章を担当するわたしもまた同じだった。

そのあと、幾多のやり取りがあり、変更があり修正がありしながら完成にこぎつけた。自画自賛でまことに恐縮だが、よいサイトになった。よい意味で建設会社らしくない、とてもよいホームページができあがった。

とはいえ、これがゴールではない。できあがったものがどれだけよいものであったとしても、それに胡座をかいていては何も生み出すことはできない。その価値を上げるか下げるかは、ひとえにその後次第なのである。

そういう意味では、物語はスタートしたばかりだ。しかし、これから更によいサイトに育てていき、そこからどういう波及効果が生まれるか、それを考えると、今は楽しみでしかない。

できるのか?オマエに。

とは思うが、それはいつもいつでも何をするにおいても同じこと。だからといって臆する理由にはならない。

 

思えば、世の中のいろんなことと同様に、今回も偶然がはじまりである。ある偶然を起点に行動したことによって、当初思いもしなかった方向に物事が動いた。彼女の名は藤絵里加さん。お絵かきムービークリエイター。これだから、渡る世間はおもしろい。

 

制作を担当してくれた株式会社カミノバ・バサラさんのスタッフをはじめ、その他、かかわってくれた皆さん、お陰さまでよいサイトができあがりました。

この稿では、藤さんとわたしとのつながりについて書きましたが、それは象徴であり、とりも直さず皆さんとの関係でもあります。

これから更によくなるように育てていきますが、とりあえずは一区切り。完成をよろこびたいと思います。どうもありがとうございました。

 

 

 

 

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家族へ

2022年09月14日 | オヤジの情報発信修業

 

近くでカメラを向けると「もーヤメてくださいよ」と口には出さぬが、あきらかにそう描いた顔をする彼が、それほどイヤそうに見えないのは、たぶんその人柄によるのだろう。完全な拒絶でないのに甘えカメラを向けつづけると、すぐに笑顔になった。

そう、その笑顔がよいのだ。という旨を伝えると、そういえば・・と話をしてくれた。

息子がインスタグラム"isobegumi"を見るのだという。

そして「仕事場ではあんなに笑うがやね」と言ったらしい。「家では見れんお父さんの顔が新鮮」とも。

あゝそこなのだよ、と思う。そしてこう伝えた。

「インスタに載せる写真は家族も見てると意識して選んじゅうキね」

2019年1月にはじめたインスタグラムを、現場ではたらく人にフォーカスした写真を主として構成しようとしたのは、あくまでもモノが主役である土木(建設)写真の傾向に一石を投じたかったからである。その「モノ」をつくっているのは、紛れもなく人であるのに、あたかもそこには人間の存在がないかのような情報発信に異を唱えたかったからである。公共建設工事という業界が住民からの信頼を再構築するためには、まず身近な顔が見える人たちから信頼を得ることが先決であり、そのためには現場ではたらく人間を見せるべきだと考えたからである。

爾来、バカのひとつ覚えのようにつづけている。

あれは確か、はじめて何ヶ月かしたころだったはずだ。ある若者が、「お母さんが毎朝たのしんで見ている」と告げてくれたのは。そうかそこか、と気づかされた。そして、家族に向けて(も)発信するということを意識するようになった。仕事場での父や母や夫や妻や娘さんや息子がどうであるかを伝える。もちろん、どう感じてくれるかは受け手にゆだねられているが、そのことを見越して、できるだけカッコよく、できるだけ好感がもてるような写真をアップロードする。家族のために撮る、と言えばそれはそうばかりでもないのだが、被写体の身内が見ているのだという意識はアタマのなかにいつもある。

考えてみれば、「公共建設工事という業界が住民からの信頼を再構築するためには、まず身近な顔が見える人たちから信頼を得ることが先決であり、そのためには現場ではたらく人間を見せるべきだ」という、インスタグラムにおけるわたしの起点を、もっとも根源的なところに落とし込もうとすれば、それは「家族」だったのかもしれない。

4年近くも経ってようやくでは、いささか気づくのが遅すぎるのかもしれないが、やっと今そのことに思いが至った。そして、くだんの彼にまたカメラを向けた。真剣な顔で作業に没頭している。どうやらわたしの存在は眼中になくなったようだ。よし次は、この顔をどアップで載せよう。シャッターを押すわたしの頭上に、息子さんの姿が浮かんだ。

 

 

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「伝える」ために「伝わる」ために

2022年07月28日 | オヤジの情報発信修業

 

きのうの高知新聞27面に『「伝える」と「伝わる」の間』という見出しが踊っていた。高村薫さんの「高知市夏季大学」での講演をとりまとめたものである。失礼ながら、高村薫という名前には取り立てて惹かれはしないけれど、そのタイトルが「伝える」と「伝わる」を並列させて、うしろに「の間」と来た日には、「伝える」と「伝わる」がこの十数年来アタマから離れることがないわたしとしては、素通りするわけにはいかない。

******

言葉を発することは、他者と向き合うこと。ところが、SNSやネットで言葉が大量に飛び交えば飛び交うほど、他者が希薄になるという事態が起きている。

他者の存在が薄まった世界で回り続ける言葉というのは、伝わる相手がいないまま薄まり、意味を失い、ばらばらになり、最後はただの雑音になる。

(中略)

この雑音は黙っていてもスマホを埋め尽くし、私たちをうんざりさせる。

******

ツイッターを再再開してからのわたしにとって、この言葉は実感としてずしりと重い。それが耐えられなくなってやめたはずなのに・・・性懲りもないとはこのことだ。

******

私たちは情報を遮断して生きることはできないが、伝えることがとにかく過剰になり過ぎていることも確か。しかし、SNSを手にしたことで全員が発信者となってしまった今、過剰な状態をつくり出しているのは私たち自身でもある。

なんとかして、少しでも「他者」を取り戻す必要があるが、そのためには一人一人が発信量をセーブすること。少しばかり沈黙して、本当に何かを伝えたい人の顔を思い浮かべ、頭の中で伝えることとそれが伝わることの予行演習をしてみる ー その上でやっと言葉を発する。

そうやって他者と向き合い、他者への想像力を膨らませた時、言葉は便利で豊かなものになるし、高い確率で相手に届く。

******

これを読んだ約3時間後、あるオンライン会議にのぞんだ。オフィシャルな話が終わったあと、ある参加者がわたしにこう言った。

「21日からブログが更新されてなかったんで心配してました」

それに対するわたしの答えはこうだ。

「書くことがなくて・・・気がついたら4日も経っててね・・・」

嘘である。

その日の終わりまじかに「気がついたら」は、たしかにある。だが、このブログに限って言えばカンペキに失念することはない。気づいていて更新できなかったのだから嘘である。「書くことがない」にしてもそうだ。見方を変えれば「書くこと」はいつだってない。ないようでいてあるし、あるようでいてない。ないと思えばないし、あると思えばある。そういう意味で「書くことがない」は事実ではない。

苦しまぎれの言い訳にもならぬ言葉を吐いたあと、くだんの朝刊記事を思い出した。

******

少しばかり沈黙して、本当に何かを伝えたい人の顔を思い浮かべ、頭の中で伝えることとそれが伝わることの予行演習をしてみる ー その上でやっと言葉を発する。

そうやって他者と向き合い、他者への想像力を膨らませた時、言葉は便利で豊かなものになるし、高い確率で相手に届く。

******

わたしがWeb上で発信の場としているところで、本当の意味でそれができるのはココだけだ。たとえその対象が少数で、いわゆるニッチなものであったとしても、ココには向き合うべき他者がいる。想像力をふくらませることができる他者がいる。だから、この先ひょっとしたら、今回のように書かずに数日が過ぎてしまうことがあったとしたら心配しないでほしい。たぶんそんなときは、「頭の中で伝えることとそれが伝わることの予行演習をして」いるはずだ。その上で「やっと」発せられた言葉が取るに足らないものだったとしたら、どうぞ遠慮なく笑ってほしい。

この先も情報発信をつづけるためには、発信をする場に応じてやり方を変える必要があるだろう。となればココは、「本当に何かを伝えたい人の顔を思い浮かべ」て書く場所にしたい。そうすることで「高い確率で相手に届く」かどうかはわからないが、相手に届く確率が高くなることはまちがいないと思うからである。

 

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SNS無宿

2022年07月04日 | オヤジの情報発信修業

 

なんでもありで1日3回。常にあかるくポジティブに。

を旨としてTwitter 界に再々復帰して約1週間。とはいうものの、正直なところを白状すると、ココロのなかはどうすりゃいいのさ思案橋。あれもコレもなんてホントにやれるのかオマエ、と思わないでもなかったが、まあとにかくやってみるべ。ここへ来てやっと、うっすらと展望が見えはじめた(ような気がする)。

具体的方策は、それぞれに充てる時間帯を明確にし区別すること。まず、夕方にするのはふたつ。「現場情報ブログ」を書いて次の朝の予約更新をセットすることと、Facebook の Meta Bussines Suite でInstagram とFacebook ページの日時指定機能を使って、これまた翌朝の予約をセットすることだ。そして、Twitter は朝の始業前(どこまでが始業前でどの時点が始業なのかよくわからないが)と昼メシを食ったあと、あとはリアルタイムでランダムに更新する。

そうすると、当然のように、あちら立てればコチラが立たず。あれもコレもとやっているうちに、真っ先に埒外に追いやられているのが、他でもない、当ブログだ。ここで書くという行為が、いつしか優先順位の最後尾になってしまっているだけならまだよい方で、まったく意識をしないまま気がついてみたら夜になっていたということがザラに起きるようになってしまった(そこまでいかないうちに気がついた今日は、今こうやって書いている)。

現場情報ブログ、インスタグラム、ツイッター。表現の手法はそれぞれに異なるが、通底している思想は「常にあかるくポジティブに」だ。そこへいくとココは、14年前にはじめて以来、ポジティブを旨とはしてきたものの、別にあかるくあろうとはしてこなかったし、あえてそうする必要もなかった。そう。ひとつだけが、毛色もノリもがちがうのだ。まるっきりちがうと言ってもいい。

すると当然のこととして、向き合い方を変えなければならないということになる。元々のメインがココだもの、それぐらいのこと、どうということはないと思っていた。しかし、事はそれほどかんたんではなかった。

いや、それほどむずかしくはないのだが、存在を忘れてしまうというのはそれ以前の話である。

カンペキに SNS に振りまわされている状態だ。

さて・・、このまま SNS に振りまわされたまま自分自身をすり減らしてしまうのか。どこかで逆転して、コチラ主導で日々を過ごせるようになるのか。どちらか定かではないが、書いているうちにひとつ気がついたことがある。2008年6月末に「Webで書く」という行為に足を突っこんでから、丸14年が過ぎ、15年目に入っていたということだ。

それなりのキャリアを積んできたのだもの、今さら鬼が出るわけではないし蛇も出ない。

であれば、やりつづけてみるしかないではないか。

ポジティブな情報を発信する者にポジティブな情報はあつまる。

今日までも、そしてあしたからも、それはたぶん変わらないのだ。

 

 

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再再開

2022年06月22日 | オヤジの情報発信修業

 

「Twitter をやんなきゃダメですよ」

たしかにその人はそう言った。そしてそのあと、Twitter がいかに有用で有効かをつづけた。

ゴホン。こう言ってはなんだが、こちとらツイッターというツールの有効性や有用性を理解していないわけではない。嫌いなのだ。あの混沌が嫌なのである。しかも、食わず嫌いではない。一時期、どっぷりとはまっていたことがある。Twitter というものが日本で注目されはじめたのが2007年、わたしがしきりにそれをやっていたのが2008年以降、威張るほどに特別早くはじめたわけではなく、ただ時流に乗ったに過ぎないが、なんとなく、そしてふんわりと、だがきちんと乗って、数年後に自ら意識してそれを捨てた。もうついていけない。これ以上つづけると精神安定上よろしくない。そう思い、決別した。

端的に言うとこういう感じであろうか。

「なんで人の“つぶやき“や愚痴を聞かされなければならないのか。それも唐突に」

 

わたしにツイッターを薦めてくれたその御仁には、上記の旨をオブラートに包んで伝え、丁重におことわりした。すると、ちょっと意外な言葉が返ってきた。

「“つぶやき“は聞かないようにするんです」

「でも、目に飛び込んでくるし」

「自分にとって良質なフォロワーだけにしていくんです」

あの玉石混交の世界でそんなことができるのか?にわかには信じがたい。問うと、できるのだという。そのように努めればできるのだという。

そのあとしばらく、どのようにすればよいかのレクチャーがつづき、いくつかの質問を投げかけ、逐一答えを返してもらった。

う〜ん・・だがしかし・・会話中ずっと考え躊躇していた・・・ここはイチバン騙されたと思って・・・ふ〜・・

踏ん切りはつかない。

聞けば、「ポジティブになんでもあり」な内容で一日3回以上の投稿を心がけるのだそうだ。

そうか。「ポジティブになんでもあり」か。

敵がそのことを知っているのか知らないのか、おそらく100パーセント知らないのだろうが、それはわたしにとってのキラーワードだ。

またやってみるか。ダメならまた捨てればいい。それが結論だった。

インスタグラムをはじめてから少し経ったころに再開、しばらくして止めたのだから再再開、三たびはじめることになる。

いやはやまったく、性懲りもないオヤジであると、笑うしかない。

 

 

 

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迷走

2022年06月21日 | オヤジの情報発信修業

 

オンラインでインスタグラムセミナーを受けていた。1on1 形式で全3回だ。

なるほど、と思わされたことが多々あった。いつだって「ふりかえり」と「気づき」はセットである。

だが、それだけではようやっと鳥羽口に立ったに過ぎない。そのあとの「やってみる」が伴わず、単に「ナルホドね~」で終わってしまえば何も産みだすことはできない。「気づき」を実践に移すこと、それがすなわち「やってみる」だ。

すると、「わかった」が「わかったつもり」にしか過ぎなかった、つまり、「わかっていなかった」がよく「わかる」。当たり前のことだが、「わかった」は次の「わからない」のスタートラインでもある。

問題はそこからだ。

教わったことやヒントをもらったこと、あるいは受けたアドバイスが、直接的に効果を生み出すことなど、ほとんどない。教科書どおりに実行して成果があがることなど、ほんの少しでしかない。走りはじめるとそれが「わかる」。

全3回の最後の3回目がはじまった直後、聞かれもしないのに本音を吐露した。

「どうも迷走してしまっていて・・」

といっても、自分自身でまるっきり状況が理解できていないわけではない。迷走のさなかにも、「やってみて」「ふりかえり」「気づき」また「やってみる」のサイクルを繰り返していれば、今の迷走があしたも迷走のままだとはかぎらないのだ。

あしたのために迷いながら走る。イイトシヲシテアイモカワラズ・・・と言われれば黙ってアタマを掻くしかないが、事実、迷うのだもの仕方ない。

迷走上等。もう少し迷いながら走ってみよう。

 

 

 

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一匹の蟻より

2022年05月11日 | オヤジの情報発信修業

 

きのう紹介した「お絵描きムービー」をフェイスブックで公開すると、4人の方がシェアしてくれた。

そのなかのひとりの投稿は、次のようなものだった。

******

子どもたちは、将来どんな仕事をしたいかと聞かれても、知っている仕事しか答えられない。

ユーチューバーや公務員だけじゃなく、世の中にはたくさんの仕事がある。

土木も本当に素晴らしい仕事!!

そんなことがわかりやすく描かれた動画です。

ぜひお子さんにも見せてあげてください!!

******

素直にうれしかった。だが、それと同時に胸の痛みを感じた。

松永さんと初めて会ったときに見せられた資料を思い出したからだ。

それは、学研教育総合研究所がまとめた「小学生白書」と「高校生白書」のなかの「将来つきたい職業」という問いに対するアンケート結果だった。たしか、2018年か19年あたりのものだったように思う。小学生も高校生も、その対象として「土木」を選んではいなかった。建設関係では、「大工さん」というものがあっただけだった。それこそ、「ユーチューバー」は上位にあるのに、「土木」は欠片もない。人気がないことは容易に想像がつくけれど、それほどとは・・。

だが、少し考えて、単純に「人気がない」わけではないのがわかった。いや、たしかに人気はないのだろう。しかし、ことは子どもたちの思いとはちがうところで決せられている。

そもそも、その資料に限らずアンケートというやつの大半は、そのアンケートを実施する側が複数の答えを用意する。そして回答者はそこから内輪でイチバン近いものをチョイスする。そう考えればアンケート結果の真因がすぐわかる。それは、選択肢として用意をされていない、つまり、「土木」という答えは、子どもがそれを選ぶか選ばないかの前に、大人によって無視されているということだ。といっても、ひょっとしたら悪意があっての無視ではないかもしれない。わたしたちサイドが情報発信をしてこなかったことの帰結としてある無関心が、「土木」という社会の根幹を支える職業を、子どもたちの選択肢から外してしまった。

そう考えると切なかった。

だが、さもありなんとも思った。

そのときの感情がよみがえったのである。

 

一匹の蟻があけた小さな穴は、それだけを見ればごくごくミクロな次元のものだけれど、それがやがて大きな堤防を決壊させるマクロなパワーとなり得るかもしれない。

わたしが提示し、実践しつづけてきた方法論は、そういうものである。考えてみれば悠長きわまりなく、実現性にも乏しい話だ。「微力ではあるが無力ではない」と言いつづけ、実際にそう信じてもいるが、その「微力」が限りなく「無力」に近い「微力」であることも承知している。

とはいえそれは、「やらない」という理由たり得ない。なぜならば、その方法論の先にあるものが、夢想と呼んでも差し支えがないような、現実的ではないものだったにせよ、わたしやアナタが生きて「土木という仕事」をする世界においては、その行為がけっして無駄ではないことが、たしかな実感としてあるからだ。

蟻には蟻の方法がある。千丈の堤を潰えさすことはできなくとも、小さな穴をあけることは、その気にさえなれば誰でもができる。

であれば、取るに足らない自らの小さを悲観することなく、倦むことなく飽くことなく、小さな穴をあけつづけるしかないではないか。

 

 

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ぼくらと一緒に働きませんか?

2022年04月12日 | オヤジの情報発信修業

 

YouTubeに会社アカウントをつくり、動画をアップした。

いわゆるリクルート動画であるが、あらためて観てみると期せずして「土木」という仕事をアピールする動画にもなっているように思う。

ぜひ、ご笑覧あれ。

 

 

ぼくらと一緒に働きませんか?

 

 

 

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「こーらん」つながり

2022年04月04日 | オヤジの情報発信修業

 

週明けの『土木のしごと~(有)礒部組現場情報』は「トシ子さんの疑問に答える」シリーズから。

と決めているわけでもないが、下調べなどを合わせるとけっこうな時間がかかってしまう記事である以上、いきおいそれは業務日以外の休日を利用して、ということになってしまい、休日明け、すなわち週初めにアップロードするのが、今のところもっとも理にかなっているということで、週明けの『土木のしごと~(有)礒部組現場情報』は「トシ子さんの疑問に答える」シリーズから。

でき得る範囲でやわらかく、そしてくだけた調子で書く。を自らに言い聞かせて行っているがゆえに、あれを書いているあいだ、わたしのアタマのなかは「お笑い脳」になっており、どこかでちゃんとした方のわたしがストップをかけないと脱線しすぎてしまうのもしばしば。もう一つ困ったことは、その笑いの回路がどうしても古臭い、つまり、いわゆるオヤジギャグチックになりがちであることだ。これもまた、自分で歯止めをかけなければ、どこまでも「昭和」になってしまう。いや、「昭和」だからわるいというわけでは断じてないが、それで読者に引かれてはなんにもならない。あくまでも、読んでもらってなんぼ、の世界であれば、それなりの落としどころは探りつつ書かなければならない。

そんなこんなの「トシ子さん・・・」シリーズ今日のお題は、「高欄とは」という稿だった。

ところが、書きはじめるなり、いきなりわるい癖が出そうになる。

「コーラン」という語感にアタマが反応してしまい、イスラム教のコーランに引っかけたギャグを思い浮かんだのはまだよいとしても、思わず李香蘭を登場させようとしたのには、すぐさま別のわたしが待ったをかけた。だがしかし・・・書いているあいだじゅう、ずっと李香蘭がアタマから離れない。李香蘭(り・こうらん)。本名を山口(大鷹)淑子。戦前戦中の中国と満洲国で人気を博した大スターである。

さすがに李香蘭は通用しないんじゃないか・・・

別のわたしの忠告で、すんでのところでその使用を思いとどまり記事投稿。

だが、その思いはアタマから離れず、そのまま、毎回行っているフェイスブックページへのシェアの際、我慢しきれずについついひと言書いてしまった。

******

「こーらん」

という語感で

「李香蘭」を想像してしまうわたしは

土木屋の風上にも置けない輩です。

*****

すると、関東在住のある大手新聞記者の方がコメントを入れてくれた。

いわく

******

渡辺はま子、李香蘭などの競作となった「支那の夜」では「君待つ宵は《おばしま》の雨に/花も散る散る紅も散る」という一句があります。漢字で書けば「欄」。そう手すり、欄干の意味です。

******

ご存知のない方に少し説明を加えておこう。『支那の夜』は、これまた戦前戦中のスター渡辺はま子のヒット曲。それをもとにつくられた同名の映画では、ヒロインであった李香蘭が歌っている。ちなみに、余談ではあるが、大陸でのレコード化を再三にわたり依頼されたが、満州育ちの李香蘭は中国人が「支那」の名で祖国を呼ばれることに怒っているということを知っており、それを断っている。

くだんの部分である三番の歌詞はこうだ。

 

支那の夜 支那の夜よ

君待つ宵は欄(おばしま)の雨に

花も散る散る紅も散る

ああ別れても忘らりょか

支那の夜 夢の夜

(作詞:西條八十)

 

「欄」と書いて「おばしま」と読む。

いつものように『コトバンク』で調べてみると、文例として、森鴎外の『舞姫』の一節、「楼上の欄に干したる敷布、襦袢などまだ取入れぬ人家」というセンテンスが紹介されていた。

かつては国文学の徒であり、ずっと「書く」ことをなりわいとしてきた知人のことだ。おそらくここらあたりも踏まえてのコメントにちがいない。

なんという博識。

「凄い。感服いたしました」

すぐにそう返信をした。

あゝ、「昭和」だから、オヤジギャグだからといって「李香蘭」を排斥せず、「おばしま」まで含めれば格調高い記事になったものを・・。

一瞬だけ悔やんでみたが、それは無いものねだりというもの。そもそもそこに辿り着くだけの知識がないのだもの、あり得るはずがないことだ。

いやあ参った。

感服しきりの余韻が落ち着くと、だがチト待てよ、と思いはじめた。

どっちみち、おのれの浅学は仕方のないことにしてもだ。出力したからこそ、彼の博識を誘い出すことができた。これはあきらかな事実である。

そうだ。

そうなのだ。

「ポジティブな情報を発信するものにはポジティブな情報が集まるんだ」

かつて桃知さんが、深夜、浅草「三千世界」で生搾りグレープフルーツサワーを飲りながら、「情報発信」をはじめて間もないわたしを諭してくれたその言葉が思い浮かんだ。

ポジティブに出力したことは、ポジティブな入力となって返ってくる。

ごくごく些細なことではあるが、あらためてそう思った週初め。週明けの『土木のしごと~(有)礒部組現場情報』は「トシ子さんの疑問に答える」シリーズから。

なのである。

 

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チェンジ・オブ・ペース

2022年01月20日 | オヤジの情報発信修業

 

あいかわらず落語を聴いている。

畑で風呂で居間や寝間で、あるいはクルマの中で。

この2週間ほどで聴いたものを順に並べみると・・

 

『鰻の幇間』

 橘家圓蔵

 古今亭志ん生

 桂文楽

 春風亭一之輔

 三遊亭小遊三

 古今亭志ん朝

 柳家小三治

 

『死神』

 立川談志

 柳家さん喬

 柳家小三治

 三遊亭圓生

 

『井戸の茶碗』

 古今亭志ん朝

 柳家小三治

 春風亭柳朝

 立川談慶

 古今亭志ん生

 柳家喬太郎

 

『明烏』

 金原亭馬生

 桂文楽

 春風亭小朝

 古今亭志ん朝

 立川談志

 

で、昨夜の寝しなには、桂歌丸と桂米朝という順番で『つる』を聴いた。

これだけ聴いていると、自分自身の好みというものが、アタマのなかではっきりとした輪郭をもちはじめ、好きな噺家のものだけを聴いていたいという欲望がふつふつと湧きあがってくるのだが、まだまだイロハのイ、門前にたどりつけたかどうかさえあやしい身だ、選り好みをせずに(といってもそのチョイスには既にあきらかな色がついていることが一目瞭然だが)、できるだけ幅広く聴いてみようと思っている。たったひとつだけエラそうなことを言ってしまえば、緩急をつけない噺家、あるいは緩急がない噺はおもしろくない、ということだけは、わたしの好みとしてはっきりとしている。

「笑いとは”緊張の緩和”でございます」、と言ったのは桂枝雀。けだし名言である。

笑いに限らず、「話」というものの要諦は「緩急」なのだろう。急なだけでも緩いだけでもいけない。野球用語でいうところのチェンジ・オブ・ペースとでも言おうか。

早いテンポなら早いなりに、逆に、ゆっくりとしたテンポであってもそこはそれ、調子がひとつであることがイチバンいけない。もっと平たく言うと、メリハリをつけるということだろうか。

といっても、そのメリハリが度を過ぎて芝居がかってしまうと、それはそれでつまらない。落語という話芸のおもしろいところである。

 

そんな今日このごろ、きのう、数ヶ月ぶりに7時間ぶっ通しのオンラインセミナーというやつを務めた。

どれひとつオレも、とチェンジ・オブ・ペースを意識してしゃべってみた。

あわてず急がず、数秒ぐらいの沈黙は恐れず、とはいえ、ここが急所だと思われるところでは堰を切る。

そのようなことを意識してしゃべってみた。

結果は・・オンラインの場合はあえて反応を確かめないようにしているので、どうだったかのかわからない。

エラそうなことを言ってはみても、それを生業にしている身ではない。アッチでつかえコッチで澱みしながらの話であることにはちがいない。そんななかで話者としてのわたしが、「緩急」を意識してみたというだけのことである。

十数年つづけているが、はっきりとそうしたのはこれが初めてだ。

ナルホドこうか、と感じるところがあった。

まだもう少し磨けるのではないか。

そう思った。

言っておくが、そのために落語を聴いているわけではない。

あれは、純然としてわたしの楽しみだ。

だが、そんななかからも何か得られるものがある。

そう言い切ってしまうところが、わたしの強欲さであって、それには自分自身で少々うんざりするところもないではないが、まあ、そのようなものである。

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