答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

HUBとして

2024年12月27日 | ちょっと考えたこと
師が亡くなった。
といっても不肖の弟子だったぼくに、彼のことを師と呼ぶ資格があるかどうかに少々の疑念がないわけではないが、そのような想いを別にすると、赤の他人の目からは、どこからどう見ても師匠だったはずだ。

「よく叱られたねえ」

葬儀の席で隣りに座った三十年来の鼓友はそう言うが、思い起こしてみても、ぼくにはそのような記憶がない。ついでに、技術的な指導に関して記憶をたどってみたが、片手の指で余るほどしか思い出せない。
たぶんぼくの態度が彼をしてそうさせていたのだろう。
人と人との関係は鏡のようなもの。相手は自分を映す鏡であり、相手にとっての自分もまた同様だ。

師弟関係というものは、弟子となる者が師に対して「先生はえらい」と思い定め決意しなければ、真の意味で成立しないものだ。
それにもかかわらず、ぼくには、彼のみならず誰に対しても、「教えを乞う」とか「信じてついていく」という、弟子にとって必要とされる純な心持ちがなく、多くの場合で懐疑心を底に抱き人と接するぼくには、そもそも誰かの弟子となる素質がないのかもしれない。

そういう意味から言えば、やはり師と呼ぶ資格はないのかもしれないが、それでもなお、まちがいなく師であると深く認識したのは、これもまた隣に座る妻の言葉からだった。

「わたしたちの太鼓にかかわることすべては先生がつなげてくれたものだからね」

なるほど。まちがいない。幾人かの顔や幾つかの出来事が思い起こされ、それらすべての「つながり」や「縁」の中心に存在していたのが彼だったことにあらためて気づいた。

つづけて妻が言う。

「太鼓に出会えたこと、太鼓を通じていろんな人と出会えたこと、今も太鼓を叩いていること、孫と太鼓が叩けること、太鼓にかかわるすべてを先生に感謝したい」

そうか、ハブだったのだ。
IT用語としてのHUBは、ネットワークやシステムにおいて情報やデータの集約や配信を行う中心部分を指す。複数の機器や端末を集約する装置であり、通信やデータの受け渡しを円滑に行う役割をもっているものだ。もともとは車輪やプロペラの中心部のことをそう言い、そこから転じて、ものごとの中心や中核、あるいはネットワークの結節点として機能する存在をハブと呼ぶ。

人や情報、心や技術が、そこを経由して分散していく場所として彼の存在があったことに思いが至り、やはり師以外の何者でもなかったのだと思った。感謝。合掌。


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老後の初心

2024年12月26日 | ちょっと考えたこと(仕事編)
数年前なら斜にかまえ、興が乗らない顔をして見ていたはずのバーチャルリアリティー(VR)を、高校での授業に使おうと思い立ち、ある現場の点群データと完成モデルに遊び心満載のアセットを加え準備は万端。いざVRアプリケーションという段になって、どうやってもログインできずに悪戦苦闘。すぐに質問するのは傍迷惑だと思い、自己完結を目指してみたが、どうにもならずに、とうとうヘルプミーを発信。それでも上手くいかずに1日半もの時間を費やしたあげく、ふと、「コレってブラウザのせいか?」などと初歩的でシンプルきわまりない原因に思い当たったのがきのうの夕方。一夜明け、仕切り直しとばかりに、なぜだか固執してしまっていたEdgeを普段づかいのChromeに変えて再チャレンジしてみるとなんのことはない、ぴんぽーんの大正解。そのあとも数々の右往左往と行きつ戻りつがあった末に、なんとかものにすることができたのは、時計の針が午の正刻を指そうとしていた頃でした。

ことはVRだけにとどまりません。近ごろのぼくは、デジタル方面におけるテクニカルなこともできるだけ他人に聞かず、まずは自分でなんとかしてみようという、かつてのスタイルに戻しています。
ここ数年は、「それはオレではない」とか「そこまでやってはいけない」とか、一歩も二歩も引いた立ち位置と態度を意識的にとっていたのですが、そうすることはもう止めにしました。
そうしないと、この流れの速さについていけない。それがその理由です。

「とりあえずは大きな流れの中で流れ、それ以上のスピードで流れることで独自性を保つ」

桃知さんに教わったその言葉を組織、あるいはその構成員である自分の戦略として、誰に頼まれたわけでもないのに勝手に採用してから17年の歳月が流れました。
川俣正が言ったというその言葉は、「大きな流れの中で流れる」と「それ以上のスピードで流れる」のふたつのキーワードをもっています。
「大きな流れ・・・」は意識しさえすれば誰でも実践可能です。たしかにその「意識」は、口で言うほどかんたんなものではありませんが、とはいえそこには越えようがないほど高いハードルはありません。
しかし、「それ以上のスピードで・・・」は、意識的であるだけではものにすることができません。弛まぬ学習と実践の繰り返しがなければ、「それ以上」に流れていたつもりのスピードは、気づかぬうちに鈍化してしまいます。ややもすればとか、えてしてとか、往々にしてとか、そんな生易しいものではなく必至、必ずそうなります。

いや何もいい歳をした者が率先垂範でそれをする必要はないだろう、年寄りならではの立ち位置や態度があるだろう、という考えは真っ当です。役割分担という考え方から見ても、まったくもって正しいことこの上ないと言ってもよいでしょう。ビッグピクチャーから判断することのみを自らの役割とするならば、テクニカルな部分にはあえて目をつぶるのもアリでしょう。そこはオレではない、と開き直るべきかもしれません。

だからこそ、ここ数年のぼくは、そちらの方を目指してきもしました。そして今も、それを捨て去るつもりは毛頭ありません。しかし、だからテクニカルな部分から目を背け、そこを自分の守備範囲外としていては、自らのスピードが鈍化しているのはおろか、流れの速さそのものを感知することもできなくなってしまうのではないか。いや、すでに感知することができなくなっているのかもしれない。ぼくの内にその懸念が芽生えはじめたのは、それほど前のことではありません。

「歳をとったからもういいや」を厳として戒めてきたのは、他ならぬぼく自身です。そしてそれは、お節介きわまりないのですが、多くの「歳をとった」他者へ向けても繰り返し伝えてきました。
歳をとったらとったなりに、幾つになっても「初心」というものがなければなりません。それは、若いころの初心、すなわち字義どおりの初心とは異なります。その都度、初めて出会うこと、初めて習うものがあるならば、とりあえずそれは乗り越える対象として接してみる。そうすることなく、それに目を背けたりスルーしたりするのは、少なくともぼくの流儀には反しているはずです。
できるかできないかは、その時々の結果次第です。ただ、最低限の心がけとして、乗り越えようとしなければならないはずです。

67歳を目前にし、期せずして決意表明のようなものになりました。1年後にどうなっているのかはわかりません。エラそうなことをほざいたのはよいけれど、いつものように道の途中で圧し折れたりヘタりこんだりしているのを発見したならば、どうか嘲り笑ってやってください。それもまた、「老後の初心忘るべからず」のための原動力になるはずです。どうぞ御遠慮なきように。


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「書く」と「考える」の相互扶助

2024年12月25日 | ちょっと考えたこと
思うに今のぼくの「書けない」は、思考したことを綴り、あるいは綴りながら思考をするうちに、論理の筋が外れたりつながらなかったりすることに思い悩み、どうすりゃいいのさと思案したまま脳が立ち往生してしまうことにその多くの要因があるようだ。
といっても、なにも飛んだり跳ねたりするわけではないが、横っちょに行ったりループしたり、あるいは地下へ潜ってしまったりと、まともに行くことはほぼない。

たぶんその直接的な要因は、「書きながら考える」というぼくのスタイルにある。結論ありきで書くのならば、そこに向けてまっすぐ歩みを進めればよいだけなのだが、ぼくの場合はそうではない。

総じて書き始めはよい。しかし、「書きながら考える」うちに、ついていく枝葉に、「ありゃ、これはどうなんだろう」と思い始めたときは既に遅し。当初脳内で描いていた結論には戻れなくなっていることがほとんどだ。
結論がまちがっていた場合しかり、結論に向けた推論が、その結論には相応しくなかった場合しかり。いずれにしても、そこでまず立ち往生してしまう。幸いにして、七転八倒してそこを突破することができたとしても、時としてそれは、さらなる深みへといざなう罠だったりもする。

そうは言っても、それがわるいと言っているわけではない。ただ、展開に追いついていけない自らの思考と、その主体であるぼくの脳が至らないだけのことだ。

そもそも「ものを書く」というのは、考えを整理することにつながる行為である。考えを整理することそのものだと言っても過言ではないだろう。

このブログをはじめてから十数年。「書く」の訓練であると同時に、「考える」トレーニングでもあった。「書く」に「考える」が追いつかないから「書けない」。「考える」に「書く」がついていけないから「書けない」。どちらがニワトリでどちらが卵かはその時々で変わるにしても、その現状を打開するためには「考える」と「書く」、もしくは「書く」と「考える」をセットとして、もがきつづけるしかなかった。

今となっては、たしかにその甲斐はあったと断言することができる。その成果のひとつとして、そこそこ長い文章が書けるようにもなった。それはすなわち、思考を深め論理を展開することができるようになったということでもある。あきらかにフェーズは変わった。

ところが、そうなればなったで、また次元の異なる問題が待ち受けていた。
思うにたぶんそこまでは、誰でもが到達できるようなレベルなのだろう。しかし、何をやるにしても、どこかで必ず能力不足が露呈する局面がでてくるものだ。はたしてそれが、ヤル気と気合、あるいは努力次第でどうにかなるものなのか、それとも、そのようなものでは不足している能力を埋めることができないのか、その判断はちょいとばかりむずかしく、それを打破しようとするのは、なおさら困難なことだ。

あきらめるという手はある。
「大人」というのは、正しくあきらめることができる人のことを差して言う。
目の前に立ちふさがった壁の厚さや高さを確かめもしない内にあきらめるのは論外だが、それを越えようと足掻いた結果、乗り越えるのは無理、あるいは困難極まりないと判断すれば、正しく撤退し、別の方策を考え実行するひとを、ぼくは「大人」と呼びたい。
であれば当然のこと、あきらめきれない自分自身を、ぼくは「大人」と呼ぶことができない。少なくとも、成熟した大人のすることではない。

未練だよぉ。別の自分がそう声をかけてくる。
しかし、「書く」と「考える」の相互扶助による数々の成功体験を内に抱えてしまったぼくは、それをあっさりと手放すことができない。

かくしてぼくの「下書き」は増殖しつづけていく。
とはいえ、この稿もまた、その一群のなかから陽の目を見せることができたのだから、やはりあきらめきれないのだよなぁ。


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黒の手帳

2024年12月23日 | オヤジのICT修業
Amazonから届いた黒い手帳の表紙には、右上に金色の字で「2025」とだけ記されている。日本能率協会マネジメントセンター発行の「NOLTY能率手帳A5月間ブロック(黒)」である。
薄い罫線が引かれたページをめくると、そうそうこれこれ、と懐かしさに脳ミソが喜んでいるのがわかる。胸ポケットに差したUniJETSTREAM三色ボールペンを取り出し予定を書き込む。なんだか少しぎこちない。相変わらず下手くそな字だなと呆れ返るが、かまわずつづける。

日本語ワードプロセッサというものがこの世に登場して以来、長いあいだ字が下手なことにコンプレックスを抱いていたぼくは、これ幸いとそれに飛びつき、周りの誰よりも速く打てるように、自在に使いこなせるようにとトレーニングを重ねた。そのうちそれがパーソナルコンピュータに代わっても同様だ。
その甲斐あって、ブラインドタッチが身につき、必要最小限をのぞき、「手で書く」という行為をしなくなって久しい。そのせいで、下手くそだったぼくの字は、それに何重もの輪をかけ、下手くそ極まりないものとなってしまった。とともに多くの漢字を忘れた。となればなおさら、「手で書く」のがイヤになる。それでも、iPadのメモアプリは使っており、書かないわけでもないのだが、紙とはすっかり縁遠くなってしまった。デジタル化のためにはペーパーレスを推進させなければならないという思いが、なおいっそうそれに拍車をかけ、今に至っている。

手書きとタイピングでは脳におよぼす影響がどう異なるかを比較したノルウェー科学技術大学の研究論文がある。36人の大学生を対象に、デジタルペンで単語を手書きする場合と、キーボードでタイピングする場合の脳活動を記録したものだ。

それによって発見されたのは以下の点である。
1.手書きは脳の接続性を広範囲に促進する
・手書きをするときには、頭頂部や中央部の脳領域でシータ波およびアルファ波による広範な接続性が確認された。
・これらの接続性は記憶形成や情報のエンコードに重要であり、学習に有益であるとされている。
2.タイピングでは同様の接続性が見られない
・キーボードをタイピングするというのは機械的で単純な指の動きにすぎず、手書きで必要とされる複雑な運動や感覚入力をともなわないため、脳の接続性は手書きに比べて限定的なものにとどまった。
3.手書きの動きが脳をより効果的に刺激する
手書きは、視覚情報、運動指令、固有受容感覚を統合し、脳の広範なネットワークを活性化させる。
4.学習環境における手書きの重要性
・手書きは記憶や学習を促進する神経接続パターンを形成する。
そのため、教育現場などでは、幼少期から手書きの練習を大事にするべき。
・一方で、デジタル技術も重要であり、手書きとタイピングの使い分けが必要。

以上は、ChatGPT4oに原語の論文を読み込ませて要約したものだが、さらにかいつまんで一言であらわすとこうなるだろう。

「手書きは脳を刺激する」

デジタルでキーを叩く行為は、一定の指の動きにすぎないが、手書きはペンの動きを通じて脳のあちこちを活性化させるらしい。
してみると、今ぼくの目の前にある能率手帳は、単なる手帳、単なるツールのようにみえてそうではなく、自分の脳と心をつなぐ大切なインターフェイスということになろうか。

すっかりキーに慣れ親しんでどっぷりタイピングに染まってしまったぼくの指と脳には、今はまだ、紙への手書きがもどかしい。いつかそれが、かつてのように戻ることができるのか、あるいは、やっぱりタイプだべと、ぽいと放り出すのか、どう転ぶかはわからないが、試してみる価値はありそうだ。

変化とは、いつもいつでも「あたらしい状態をつくりだす」ことだけを意味するのではない。単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも、十分に変化と呼ぶに値する。だからぼくは、全面的ではなく一部ではあるが、ぐるっと回って手書きに回帰してみようと思う。ぼくにとってはこれもまた、立派に「変わりつづける」の一貫なのである。
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ギャップ2

2024年12月19日 | ちょっと考えたこと
視力がよかったから、記憶力がよかったから。だからより一層、今の自分に幻滅する。しかし、考えてみればその感覚には、少しばかりの思い違いがあるのかもしれない。「出来た」が「出来なくなった」は、多くの場合で、過去の自分と今の自分という比較にしかすぎないからだ。

と書いたきのう。
そうとばかりも言えないのではないか、と思えてきたので、過去の自分と今の自分とのギャップにまつわることなどについてまた考えてみた。
「思い違い」といえば、「出来たが出来なくなった」という感覚こそがその最たるものなのではないかという疑念が生じたからだ。
といってもそれは、突然降って湧いたように生まれたわけではない。ここ数ヶ月のあいだで、折に触れては降りてきて、また、ひょんなことから湧いてきてを繰り返し、ぼくのなかでは確信に近いものになりつつあった。

それはつまり、こうである。
「本当は昔も今もそれほど変わっていないのではないか」

たとえば、「デジタル機器やアプリの操作が理解しにくくなった」という事象を例にとれば、元々ぼくは、その手のものに対する理解力が乏しかったし、マニュアルや説明書を読んで、そのやり方を理解するというのが苦手だった。
理解力という点でいえば、理数系なそれとなるとてんでダメである。
昔も今もそれは本質的にはなんら変わったところがない。以前からダメだったものが、もっとダメになっただけであって、その差が特別大きいわけではない。
では文系ならばよかったかというと、理数系に比べるとずいぶんマシだというだけで、それほど優れていたわけではない。難解な理論や教義を説いた本にも幾度となくチャレンジしたが、そのたび直ぐにおとずれる眠気とともに沈没したものだ。これもまた、今も大差はない。

それらがなんとかなってきたのは、ひとえにぼくの諦めのわるさからであって、「出来る」ようになったからではない。石に齧りついた、あるいは齧りつづけたから、その結果として、せめて表面なりとも歯が立つようになっただけであって、それを噛み砕くほどの能力を身に着けたわけではない。それは誰よりも当の本人が知悉していることだ。

ところが、いつしかそれを「出来る」と勘違いした。
いや、それ自体は責めることではない。それをしてしまうと、諦めずに齧りつこうとしてきた当人のこれまでが浮かばれない。だから、断じて責めるべきではない。
問題があるとしたら今だ。今の自分に対する現状認識と、かつての自分に対する過大評価が相まって、そのギャップを必要以上に大きくしていることにこそ問題がある。

もっと出来たはずなのに。
この意識そのものが幻想だ。
もっと出来た過去など存在しない。
いつもいつでも、ぼくは出来なかった。
出来たとしても、そこそこにしか出来なかった。
もっと有り体に言えば、出来るように見せかけてきた。
それはたぶん、出来ない自分が許せなかったからだ。
出来ない自分をさらけ出すのが嫌だったからだ。

では、この先はどうすればよいのか。
まずは出来ないを認める。
加齢によってそうなったという面はたしかに否めないが、元々も(それほど)出来ていたわけではない、を認める。
そして許す。
人は誰かに認められ許されたとき、そこに慈悲心を感じ、その先の望みを見出す。それは、自分に向けたとしても、同じことであるはずだ。

出来ない(出来なかった)自分を認めて許す。
ダメな(ダメだった)自分を認めて許す。
出来ない(出来なかった)自分を出来るようにしようとした自分を認め、それでもなお出来ない(出来なかった)自分を許す。
ダメな(ダメだった)自分をダメでないようにしようとした自分を認め、それでもダメな(ダメだった)自分を認めて許す。
だからお願い。
許してちょんまげ。


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