【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 29 写真は久万街道中の一の王子社

2023-01-09 11:52:46 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
 (29日目・5月19日) 久万町~三坂峠~46番浄瑠璃寺~47番八坂寺~民宿長
           珍屋(泊)。久万高原と別れを惜しみ、三坂峠から古
          道の遍路道、久万街道を下りいくつもの遍路道の遺構を
          辿り、松山市街の里寺に。
 快晴後晴れ。6:10起床・朝食→8:30発・行動食仕入れ→10:45三坂峠→久万街道下
り→11:50一の王子社の休憩所・行動食→遍路宿 坂本屋(再建)→13:50窪野公園(東
屋で昼寝)14:15→14:25 46番札所 浄瑠璃寺14:45→14:55 47番札所 八坂寺
15:10→15:20浄瑠璃寺に戻り→遍路宿 民宿(泊り)。

(久万高原のホテルガーデンタイムの朝食と、久万高原の朝)
 本日も快晴。見どころが沢山の久万高原町に後ろ髪惹かれる思いで8時30分に遍路
宿を出発。国道33号線をまずは三坂峠を目指した。本日は松山市内に入る予定だがま
ずは標高500m少しのところから710mの三坂峠までの登り。しばらくは人家が続き、
コンビニで行動食も仕入れ小学校がある明神という集落と思うけれど、国道を挟んで
多くの手作りのお人形が長椅子の上でリラックスしていたり、お遍路姿で立っていた
りしている。国道の対面を見ると『お接待サロン カヨちゃん家 ちょっと一休みし
ていきませんか』と書かれた看板が。思わず素敵そうだなあ、ちょっとお世話になろ
うかなあと思ったが、『ちょっと寄り道が多すぎ』のセーブの天の声がして、またま
た後ろ髪惹かれる思いで、サロンには寄らず『また来ます』と人形に挨拶をして歩き
続けた。

(左・中、お接待サロン『カヨちゃん家』  右・尾根の向こうが久万高原、手前は新道、三坂道路)
 しばらく行くと国道33号は左折して『三坂道路』という新しい道路へとなり、その
まま直進する国道440号線(旧33号線)と分岐する。新しい三坂道路は自動車専用で
歩行不可、遍路道は旧道となり旧道を行く。旧道といってもそこそこの交通量で久万
スキーランドとかゴルフ場などを通り過ぎる。しかし人家はほとんどない。20年前は
国道も尾根伝いに遥かな登りを遠望して結構なアルバイトだなあと思い、案の定あと
2~300m位を押して登って三坂峠に出たことを思い出した。現在の440号線は当時の
旧道とは異なり東の対面の尾根伝いのようだ。旧道との現在の遍路道との間の山は、
現在は石灰岩だろうか大規模な鉱物資源採集が行われ、大規模工事現場のようで、大
型ダンプカーも頻繁に走り、あまり快適ではない。歩き続けて10時45分に三坂峠にや
っと到着。ここからは一気に山道を下る。 

(左・現在の三坂峠、中・三坂峠の説明看板、右・山道から見た松山市街地方面)
 国道の三坂峠に20年前は『峠の茶屋』があり風情があったが、今は建築現場風で少
し寂しい。当時峠の茶屋さんで、『峠からの遍路道は自転車では無理』と言われ、旧
33号線を一気に自転車で下り、46番 浄瑠璃寺、47番 八坂寺と周り、48番 西林寺近く
のビジネスホテルに泊まった。当時のこの行程は1日目の午後にフェリーで八幡浜に
上陸し、その日は内子のスポーツセンター泊り。2日目は内子から一気に久万高原、
大宝寺、岩屋寺、そして三坂峠を越えて浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺と1日半での自転
車遍路。人それぞれに、あるいは自分自身であっても人生のステージそれぞれの遍路
道がある。そんなことを思いながら、今回は山道の遍路道である久万街道を歩いた。
峠からしばらく行くと展望が開け、浄瑠璃寺方面と松山市街が展望できる。逆に下か
ら見ると市街地に入っても三坂峠はよく見える目印ということ。遍路道では数か所で
杉の伐採作業をしていた。山中のそれも植林地ではなく遍路道にごく近い自然林での
伐採作業で、歩いていても倒木に少し緊張する。作業員の方も恐縮しておられた。1
時間ほどで、一の王子社跡の休憩所。そこで行動食を食べる。

(①久万街道説明、②③一の王子社跡、④⑤史跡 坂本屋)
 12時10分過ぎに出発して昔の街道宿の坂本屋を再興した史跡の建物があり、説明が
書いてあった。久万街道を行く久万馬子や峠から下ってくるお遍路さんで賑わってい
たとのこと。昔の賑わいが伝わってくるようだ。坂本屋の史跡をすぎてしばらく行く
と、簡易舗装の林道となり人家がぽつぽつと点在してくる。意外と早く降りてこられ
たと思って歩いていると、窪野公園という所を通る。ふと見るときれいな東屋があ
り、もう46番札所 浄瑠璃寺も近いので少し休憩していこう、しかも天気も良く気分も
軽いのでちょっと午睡でも貪ろう。13時50分ベンチに座ると、私の得意技『即爆
睡』。しかし昼は30分以上は寝ない習慣なので、きっちり25分後に目覚めた。

(麓から振り返る 三坂峠)
 ベンチに座って、ちょっとリラックスして昨日と本日の行程を思い起こした。少し
頑張ったら昨日も本日ももっと行程が伸ばせなくもない。特に本日は一気に道後温泉
近くの里寺を廻り松山市内に宿泊することも十分に可能。山屋向けのガイドブックで
はそう書いてあるのが多い。だけれども昨日、最奥の山岳修験の寺に行き、20年前の
お接待を懐かしみ、古岩屋に平家慰霊の碑を何か所か見て思いを馳せたり、遍路宿さ
んの温かい心遣いに感謝したり、沢山の出会いと経験知を改めていただいた。今、腰
の痛みもなく、爽やかな(?)目覚めを得られているのもご褒美だ、こういう遍路も
幸せ三昧と勝手に納得して歩き再開。

(①②③ 46番札所浄瑠璃寺本堂、境内 ④⑤⑥ 47番札所八坂寺本堂、境内)
 14時30分に46番札所 浄瑠璃寺着。お詣りを済ませ納経所のご婦人といろいろと話
す。浄瑠璃寺はこれから松山市内に入り、道後界隈の里寺を回る拠点にもなるので、
昔からお遍路さんが多く滞在するところとのこと。寺の門前には立派な遍路宿があ
り、20年前は木造だったが当時も立派な2階建ての遍路宿さんで、今は鉄筋5階建てだ
と思うが本当に変わらず立派な遍路宿がある。私も今夜その宿にお世話になる。納経
所のご婦人とは、コロナ禍でお遍路さんがたいへん減ってしまったことや、ゼッケン
の”NO WAR””Respect HUMANRIGHTS”のことや、全部歩きで通し打ちをやり切るの
は私のように軟弱な遍路旅とはまた次元の違う覚悟が必要、とか今は少しだけ落ち着
いているけれど、こんな時期に遍路に来るのはかえって迷惑ではないかとか、諸々話
し込む。しばらく話して、荷物を預かっていただき明日の行程の時間節約のために、
47番札所 八坂寺へと行く。15時過ぎに八坂寺着。お参りと納経を済ませ、浄瑠璃寺
へ戻り、納経所のご婦人にお礼を言って、門前の遍路宿さんにチェックイン。風呂も
部屋もまるでホテルのようで、快適だった。
 食事は食堂で、同宿で遍路は私のほかに男性2人。それぞれ個々に遍路をしている
が全員通し打ち中で、今までの行程の苦労話や楽しかった話など自己紹介的に話し
た。ここまでくると歩き遍路さんはほとんど通し打ちだけれども、結願までは気を緩
めないで、そんな思いがお互い感じられる。

(左・浄瑠璃寺門前の遍路宿の旅館 中・夕食 右・仏間には立派な曼荼羅掛軸)
 ほかの同宿の方は、ビジネスのようで10人以上の団体か、にぎやかに食事をされて
いた。それと食堂の仏間には、立派な曼荼羅の掛軸が掛けられ、由緒ある遍路宿であ
ることが偲ばれた。
                 (本日移動距離 24.8km    歩数 34,111歩)