【70才のタッチ・アンド・ブースト】ーイソじいの”山””遍路””闘病””ファミリー”ー

【新連載】 『四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ』

四国曼荼羅花遍路-通し打ち45日の マイウェイ 28  写真は45番札所 岩屋寺の本堂横 岩窟のお堂

2023-01-10 18:06:01 | 四国曼荼羅花遍路 通し打ち45日のマイウェイ 涅槃の道場(愛媛県)編
(28日目・5月18日)久万町拠点に、山岳修験の難所45番札所 岩屋寺を往
            復。涅槃の道場最初の難関 岩屋寺は、88ヵ所の丁度半
           分を過ぎた後半最初の寺。
 6:10起床→7:10発→本日の宿泊所、ホテル ガーデンタイムに荷物を預ける→行動食
仕入れ→8:35遍路道へ出発→古道の山道→八丁坂分岐(H 570m)→12:00 45番札所 
岩屋寺13:10→参道の茶店で談笑→14:00行動食(古岩屋休憩所)14:20→16:30久万美
術館→17:00 ホテル ガーデンタイム(泊り)
 本日も快晴。本日は一日がかりで、おそらく四国霊場で一番内陸部にあるのではな
いかと思う山岳修験の寺 岩屋寺への往復の予定。本当は岩屋寺から久万高原町に戻
り、三坂峠を越えてさらに46番浄瑠璃寺を目指したいのだが、実際にガイドブックな
どではそのようなコースを紹介しているのもあるが、私の足腰の状況や、なにぶん村
の鎮守様や街道の道祖神やら古くて興味をそそる石碑や遺構などを見かけると散策し
たくなる好奇心の男にとっては、そんなに急ぐのももったいない話。せっかくJRとバ
スでここまで来たのだから歩き三昧で遍路を味わう、と決めた。したがって、岩屋寺
から久万高原町へ戻りもう一泊。ただ、昨日の遍路宿さんは本日満室で宿泊できず、
本日は場所が変わりビジネスホテル ガーデンタイムさん泊り。


(上・遍路宿の朝食、中・久万高原町の朝。下・久万高原の案内看板)
 遍路宿で朝食を頂き7時過ぎに出発。まず本日の宿泊所であるガーデンタイムさん
に荷物を預け、昼食用の行動食をローソンで仕入れて、大宝寺の参道から県道12号線
へと向かい岩屋寺へと歩き出した。昨日県道の歩道上で話し込んだおじさんは、本日
も掃除しているかなあと思ったが、おられなかった。県道を行くと間もなく峠御堂ト
ンネルに入る。このトンネルには歩道がなく、トンネル入り口には車のライトに反射
し歩行者が分かるような歩行者用の『反射たすき』が置かれている(写真)。以前は
歩道のないトンネルがそう珍しくもなかったけれど、今回は多分徳島以来初めてでは
なかっただろうか。まあいいかと思いながら『たすき』をかけた。少し緊張しながら
トンネルを抜け、尾根の向こう側に出ると景色がガラッと変わって、『秘境』の雰囲
気。しばらく行くと河合とか畑野川とかの山間の集落でその先には癒しの宿のような
遍路宿が2軒、そして山間のテーマパークのような『ふるさと村』、ゴルフ場を過ぎ
ると休憩所と県道から山道の遍路道への分岐があり、山道の方へと歩く。


(上・峠御堂トンネル、②・反射たすき、③遍路宿の民宿も、④八丁坂分岐の看板)
 整備された歩きやすい道で快適だった。10:20頃に八丁坂分岐の看板があった。右
手に分岐の道が続き200m程の登りで峠に出て、そこから岩屋寺まで下り路。勝手な
推測だがおそらく県道やら峠御堂トンネルが整備されていなかった頃は、明石寺から
の長い遍路道を久万高原町までたどり着き、大宝寺を経由してくる古道の遍路道であ
ったのではないかと思う。その道の峠への道として今歩いている遍路道からの道を整
備したのではないか。ということで八丁坂分岐の道は魅力的ではあったのだけれど、
少し時間がかかりそうなので、そのまま今の山道の遍路道を歩き続け、浄水施設や岩
屋不動などを過ぎ県道に合流した。合流してすぐに国民宿舎古岩屋荘があるのだが今
は営業しておらず、手入れもなく雑草がかなり侵食している。自転車遍路の時は険し
い山間の奥の憩いの宿で、直瀬川にそびえる岩峰を望む贅沢な所だなあ、今度来る機
会があれば是非宿泊したいと思っていたが、とても寂しい思いがした。
(上・面河川、②小岩屋荘、③岩屋寺山門、④古岩屋の岩峰、⑤⑥参道、下・本堂と岩窟のお堂)

 小岩屋荘の先は遍路地図では、山道が直瀬川に沿って岩屋寺まで続いているようだ
が良く分からず、県道を歩き続けた。バス停のところに橋があり、そこをを渡ると45
番札所岩屋寺の参道で、あまり派手ではない土産物屋や茶店が並んでおり、その先の
山門に12時に着いた。岩屋寺は山奥の寺でここに至るまで舗装された県道からは所々
で数件の人里が見降ろせたり、重なる尾根の間から時々久万高原町がはるか彼方に遠
望出来たり、山道の遍路道では山岳修験の道を歩いたりで、かつては四国霊場でも相
当な難所の札所であっただろうと十分に偲ばれる。
 岩屋寺の参道はたいへん多くの地蔵さんが置かれている。長い石段を登り境内へ出
ると眺望の開けた場所と本堂、大師堂がある。境内を守るように周囲の岸壁には多く
の摩崖仏が刻まれ、本堂の裏手には岩窟のお堂、そしてその場所へとは梯子段がかけ
られている。眺望の開けた場所からはおそらく東南方向に石鎚山が望めると思うのだ
が、濃く霞んでおり見えない。本堂へと移動して岩窟のお堂に登りもう一度石鎚山を
探したが、見えなかった。

(上・展望種から、石鎚山は見えず、下・岩窟のお堂から本堂、大師堂を見る)
 お詣りを済ませ岩屋寺を1時間以上堪能し、参道へと降りていくと茶店から女性が
 「お接待です。生姜湯はいかがですか。」
 と、声をかけられた。ありがたく頂きながら、20年前の自転車遍路の時の話をした。
 「20年前には自転車で遍路をして、この辺の店屋さんで男性の方からよく冷えた西
 瓜をお接待で頂きました。古い話ですが心当たりはございますか?」
 「この店は40年ぐらいやってますけれど、その頃でしたら私の父がやってました。
 何か覚えがあるかもしれませんが。」
 「ああそうですか。多分年齢は私とそう変わらないと思いますが、失礼ですがご健
 在ですか?」
 と言っているうちに、寺の方から一人の男性が降りてこられた。
 「ああ、ちょうど私の父が来ました。」
 ということでその顛末を話すと、この参道ではもう一人西瓜を栽培していて、お遍
路さんにお接待しておられる男性の方もいるとのこと。御年は現在80才以上でとのこ
とで、最近はお二人ともあまりしていないとのことだった。今は季節も少し早いので
西瓜ではなく生姜湯とのこと。勿論お顔をお互い覚えているわけでもなく、確たるこ
とではないけれどお礼を言って、もう一人の方にもこんなことがあったとお伝えくだ
さいと言って、
 「お気をつけて」
 の声に送られ岩屋寺を後にした。
 14時に国民宿舎(跡)の小岩屋休憩所で行動食の昼食。休憩後来た道を戻った。多
少余裕物見をしながらで遍路道を歩いたが、ここらには何か所か「平家慰霊の碑」と
書かれたまだ新しい石碑が建立されている。高さは1m50cm位かそう大きくはないけ
れど、平家落人の里なのかなあ、とも思う。平家の最期の地は々四国の屋島壇ノ浦だ
から、そうであっても不思議でもない。いろんな人からいろんなところで教えてもら
ったその頃の歴史ロマンに思いを馳せながら歩き続けた。
(何か所かで見られた「平家異例の碑」)

 少し急ぎで歩き、峠御堂トンネルを過ぎて、今日こそは見学していこうと思ってい
た久万町立美術館に16時30分に着いたが、タッチの差で入場時間に間に合わず、また
もや振られてしまった。ああ、残念。
 仕方なく、とぼとぼと歩いて17時に本日の宿舎、ホテルガーデンタイム着。ホテル
ではあるけれど、やはり遍路にも心遣いの行き届いた接客に感謝。食堂での食事なの
で、夕食時には食堂に集まるのだが、やはりお遍路さん風、家族旅行風、ビジネス客
で適度ににぎわっており、和やかな雰囲気。但し、夕食にはまたしても鯛の頭焼きが
出た。
(ホテルガーデンタイムさんの夕食。美味しかったけど・・・)

               (本日移動距離 33,8km   すべて歩行 46,545歩、)