チーチャン
彼女( メスでした)が産まれたのは当時住んでいた文京区のマンションの一室。 もう1匹はオスでしたが薄情な事に彼をどうしたかは全く記憶にありません。
メスの方はか細い可愛らしい声でチーチーなくので「チーチャン」と呼んでいました。 3週間経っても目も開かず足も萎えたまま。 それでも主人が呼ぶと声のする方角に「チーチー」鳴きながら必死に這って行きます。
本能的に主人が恐くて、チャマと同じくこれが自分が生きる術と考えていたに違いありません。 彼女の必死の努力(?)でその後22年半も我が家にいる事になったのです。
その当事 マンションの8階を仕事場に、3階を自宅にして暮らしていましたが チーチャンは主人が8階に居る間は縦横無尽に家中走り回り 棚に飛び乗ったりお転婆ですごかった!
主人が階下に降りてくる時が本能的にわかるのかその時間が近づくとピタリと静まりおとなしやかな表情になります。
そんな風に気を使うのが可哀想で私は全て黙認。 他人は表面だけで判断し「この仔は本当にご主人に懐いているのね」などと。 ウソウソ・・・・。
旅行に行くときなど獣医さんに預けていきます。 車が無いので籠に入れ自転車で行くと恐がってチーチャンは鳴きます。
「このまま捨てようよ」とは主人の言い草。
1度 マンションからシーズンの時期逃走をした事がありました。 同じような間取りですから帰り道がわからなくなったのでしょう。
探しに探して(私が)2ヵ月後、階下の方から聞きなれた声がしました。 チーチャンの声!
迎えに行くと2kgくらいにやせ細ったチーチャンがキチガイのように鳴き続けます!
その時の主人の言い草! 「このままにしておこう!」
チーチャンが何らかの事情で他所の家に引き取られようとも、私の姿を見たら損得も考えず必死に私を求め 悲しさと嬉しさの入り混じった声で鳴き続けるに違いありません。
獣医さんに生の牛肉が1番消化が良いと聞きました。 20歳を過ぎた頃から彼女も老化が顕著になりましたので、口をこじ開け牛肉を押し込め毎日やり続けました。
嫌だったのでしょうけど抵抗する体力も無かったからいやいや(多分)飲み込んで生き続けました。
22歳半になったとき新潟に住む主人の妹が亡くなったという知らせ!
ほとんど交流がなく5回位会っただけ。 それでも重病重態の知らせの際は、日帰りで出掛けていましたけどお葬式では二人で泊まらないわけにはいきません。
私にしてみれば辛い辛い選択。 気持ちとしては重態の我が家のネコを置いていきたくない! でもそうせざるをえない!
「絶対生きていてね!」・・・・・新潟に居る間も行き来の乗り物の中でも祈り続けました! なんと東京に戻ったらチーチャンは生きていたのです! 飲まず食わずで!
私の悔いはこれからです! 苦しそうなチーチャンを抱いてスポイトで水を飲ませてしまいました! その瞬間 のけぞってチーチャンは死んでしまった!
生の牛肉を口をこじ開けて無理やり食べさせた事は単に私のエゴだったのではないか!
膝の上でチーチャンが命を落としたのは殺人(猫)行為かも? いまだに悔いが残ります。
でも彼女が私をこの世で一番頼りにしていたのは確か!(これも私の思い上がりカモ?)
彼女は私を待って生きていてくれたに違いないと思いたいのです。
それまで1年中母や姉に レオだのチーだのと猫の話ばかりしていたのに、辛すぎて悲しすぎて一言も彼等の事を話題にすることはありませんでした(現在初めて)。
母も姉も察しが良くてレオとチーのことを口にすることはありません。 二人とも無神経でなくて良かった!