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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

🍙 御朝物と天皇宸翰 🖌

室町時代、京の町は長らく続いた応仁の乱によってすっかり荒廃しました。(≧∇≦)

御所には後柏原天皇(1464~1526)がいらっしゃいましたが、朝廷の財政は悪化し、21年もの間「即位の礼」を行うことができませんでした。(ToT)/~~~

御所の築地塀は倒れ、盗賊や一般庶民が堂々と入り込んでしまうほど無秩序に荒れ果てたのです。( ; _ ; )/~~~

それをみかねた鳥羽の武士「渡辺進」は、毎朝、天皇に「御朝物」というおはぎの原型のような餅を届けてその窮状を救います。(^。^)

やがて、渡辺進の婿にあたる「中村五良左衛門」は御所近くの藍染川のほとりに店を構え「川端道喜」と称するようになり、この店が「御ちまき司 川端道喜」という名で、現代まで続いているのです。(^-^)

その後、世の中が安定しても「御朝物」の献上は、明治までの約350年の間、一日も欠かさず続いたそうです。
今でも、御所の築地塀には「道喜門」と呼ばれる小さな門が備えられています。m(._.)m

「後柏原天皇」は、大量の宸翰を遺した点でも有名です。和歌や連歌を好み、古典の書写・保存に努められた、と言います。(^_^)

宸翰とは、天皇の筆による書のことで、「後柏原院流」と呼ばれた書体は、流麗で、文字の太さと細さ、強弱の差が大きく、大胆で豊潤な印象とのこと。(^-^)

第二皇子であった「後奈良天皇」も、後柏原院流の能書でしたが、当時、朝廷の財政が困窮していたため、宸翰を売って収入の足しにしたと言う逸話が残っています。(^。^)

清廉潔白な人柄で、相次ぐ飢饉と悪疫の流行に心を悩ませ、自ら紺紙に金泥の筆を染め、諸国の寺に「般若心経」を奉安したことでも知られます。( ^_^)/~~~

  「宸翰を手売りする猛者御所の門
                   浮世のもみぢ遠近の色」

by 祖谷馬関

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