御所に近い「白峯神宮」の歴史は次のとおりです。(^。^)
幕末、孝明天皇は、保元の乱(1156)によって悲運の運命を辿られた第75代崇徳天皇の御霊を四国・坂出の「白峰山陵」から京都にお迎えし祀ろうとされましたが、叶わぬままに崩御されました。m(._.)m
明治天皇は、父帝の御遺志を継承され、宮地を和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸宅地跡とし、明治元年9月、社殿を現在地に新造されました。
続いて明治6年に第47代淳仁天皇の御神霊を淡路島南端の御陵から迎え、御併祀になりました。(^-^)
以後、明治の新制度により官幣中社としての待遇をうけ、昭和十五年には官幣大社「白峯神宮」となりました。(^_^)
また、白峯神宮には「鞠」の守護神として「精大明神」が祀られています。
以後、明治の新制度により官幣中社としての待遇をうけ、昭和十五年には官幣大社「白峯神宮」となりました。(^_^)
また、白峯神宮には「鞠」の守護神として「精大明神」が祀られています。
「精大明神」は、蹴鞠・和歌の宗家である公卿・飛鳥井家が代々守護神として邸内にお祀りしてきたもので、その祭祀を受け継いでいます。(^。^)
このほか、崇徳天皇に仕え、武道の神として、源氏の頭領「源為義」公、鎮西八郎「源為朝」公を祀る「伴緒社」や、縁結び、水の神の「潜龍社」があり、魔除・厄除の神と御利益が有る「柊大明神」では、柊護符を節分の時季に限り戴けます。( ^_^)/~~~
また、「飛鳥井家」とあるように手水舎の「飛鳥井」は、清少納言が『枕草子』において、九つの名水として挙げ、讃えています。(^。^)
このほか、崇徳天皇に仕え、武道の神として、源氏の頭領「源為義」公、鎮西八郎「源為朝」公を祀る「伴緒社」や、縁結び、水の神の「潜龍社」があり、魔除・厄除の神と御利益が有る「柊大明神」では、柊護符を節分の時季に限り戴けます。( ^_^)/~~~
また、「飛鳥井家」とあるように手水舎の「飛鳥井」は、清少納言が『枕草子』において、九つの名水として挙げ、讃えています。(^。^)
流れ造の御本殿は、賀茂御祖神社の「河合社」を模して建造され、例大祭として、4月14日「淳仁天皇祭」では「蹴鞠」が、また、9月21日「崇徳天皇祭」では「薪能」が奉納されます。(^-^)
そのほか、節分祭として「柊大明神祭」では「鬼遣豆撒き神事」があり「柊護符」が特別授与されます。
また、七夕には「精大明神祭」で舞楽と蹴鞠が行われ、少女による「小町をどり」が奉納されます。
11月15日「伴緒社祭」では「御弓神事」が奉納されます。
11月23日 「新嘗祭」、「献茶祭」、「潜龍社祭」、「御火焚祭」が行われます。(^。^)
境内では、「小賀玉の木」が京都市天然記念物として指定されています。(^-^)
11月15日「伴緒社祭」では「御弓神事」が奉納されます。
11月23日 「新嘗祭」、「献茶祭」、「潜龍社祭」、「御火焚祭」が行われます。(^。^)
境内では、「小賀玉の木」が京都市天然記念物として指定されています。(^-^)
「遠地より崇徳淳仁勧請す
小賀玉の樹に宿る御霊や」
by 祖谷馬関