「山路来て何やらゆかしすみれ草」 芭蕉
う〜ん、、、またもや平板な感じ!!(◎_◎;)
雰囲気は分からんでもないけど、いったい何を伝えたいのか、、、( ; _ ; )/~~~
句中の「何やら」が諸刃の剣となって、そこはかとない風流な感じと、ややもすると、掴みどころのない意味不明な雰囲気を醸し出してますね。m(__)m
さて、悩んでいても仕方ないので、さっそく句意をば。(^_^)
(句意)
春の山路を辿って来て、ふと、道端にひっそりと咲く菫を見つけた。ああ、こんなところに菫がと、その可憐さにただ理屈もなく無性に心ひかれることよ。貞享2年3月、大和行脚につづく、京都から伏見をへて大津にいたる山路で詠む。
にゃるへそ!🐈⬛
芭蕉翁も、理屈もなく、すみれ草に心惹かれたのですね!(^-^)
俳句とは、定型句でありながら、心に感じるまま詠む、という点では、自由な散文詩に近いかも?(^。^)
だから、思うがままに吟ずればよいのです。あとは、受け手、読み手が如何に感じるか、、、野ざらし紀行を通じて、芭蕉翁が教えてくれているような、そんな紀行文ですね。(^-^)
フラットかつ、ニュートラルな気持ちに立ち返って詠む一句。( ^_^)/~~~
「地下鉄の彼の席見えず蒼き芥子」 祖谷馬関