さて昨日のつづきです。
翌日、母に電話で思いだせる事を教えてもらいました。
私がいつ言語障害になったのか?
何故私はよその家に預けられたのか?
私が3歳の時に母が実家に帰っていたのか?
母は急に何?と驚きながらも、思いだせる所を必死で思い出してくれました。
まず私が3歳の頃は、弟が生まれた事と、母も父に頭を殴られたせいで後遺症が残り
すぐに倒れて意識が無くなる事が多々あったので、命に関わるということで
田舎で赤ちゃんの弟と一緒に療養していたみたいです。
その間は、私の面倒は父の祖母や叔母達が(2人とも独身で家にいたので)面倒を見る事になったみたいでした。
しかし何故か?私は親戚の家に急に預けられます。
その家は夫婦共に共働きなのに?
昼間は高校生(中学生かも?)のお姉さんが私の面倒を見てくれました。
でも、家には大学生の叔母と、成人して家で手伝いをしていた叔母がいたから、
私の面倒は見れたはずなんです。
何でだろうか?記憶を蘇らせると、最初は叔母が面倒を見てくれていたんですが、
急に親戚の家に連れていかれた記憶があります。
しかし親戚の叔父や叔母は、私にすごく気を使ってくれて、
口癖が「気はつかわないでいいからね~たかちゃん。 気をつかうならお金を使わせてね。」だったんです。
その言葉は、ケーキ屋さんとか、遊園地だったか?どこかに遊びに連れて行ってくれた時に
言ってた言葉でした。
今思えば、私を少しでも楽にさせようとしてくれていた優しさだと思います。
その家にいる時は、緊張はするものの「安心感」と「平和感」がありました。
では、何で預けられたのか?
それを母に聞くと、母はその頃の事を怒っていました。
「私が臥せっていた時だけど、急に勝手に娘を預けられて、腹が立つやら!むかついたよ!」
理由は母には誰も説明しなかったようでした。
母は「もしかしたら、私はあの時死んでたかもしれないのよ!でもね、今死んだら
あの家で子供達が、どんなに恐ろしい思いで生きるのか!と思うと絶対に死ねない!と思った。」
とも言っていたくらい、修羅の家だったんです。
こう書くと 怖! と思いますいね。
でもまあ・・・私的には、そのおかげで少々の事に動じない私になったので、
修羅の家も悪くないですよ。
母も今では、みんなが恐れるくらい強い女性になりました。
話を戻しますが
ここからは私の推測です。
その父に殺されるかもしれない!と恐怖体験をしたから、私は少しおかしくなったのかもしれません。
それを見た祖父が、私を家からというか父から離したのかも?しれません。
そして母が帰れば全て元にもどるだろうと・・・。
それから私は言葉を上手く話せない 言語障害になりました。
自分の思いを話そうとすると 言葉が出なくなるんです。
いわゆる「どもり」になります。
これは少しでも緊張するとなるんです。
幼い頃に急に言語障害になった私は、人と話すのがすごく大変だった事を思い出します。
今でも時々出るのですが、昔に比べたらほとんど気にならないくらいになりました。
でも、昔はひどかった・・・。
「私はこう思う」と普通なら数秒で出る言葉も、
「わ~ぁ~ぁ~ ハアハア、たぁ~ぁ~ぁ~ ハアハア し~ぃ~」と私という言葉が出ない!
何分かかるねん!と自分で焦れば焦るほど、言葉が出ない!
息が詰まるんです。
特に、父の前では出なくなっていました。
もちろんそんな私の話をだまって聞くような父ではなく、「はよしゃべらんか!!!」と
よく怒鳴られて、声を殺して泣いてました。
声を出して泣くと恐ろしかったので。
そしてだいぶたってから、私の言葉がおかしい・・・と分かったそうです。
それに気づいたのが家族ではなく、我が家の主治医でした。
母に主治医が「たかちゃんの言葉がおかしいよ!」と
その頃、家には沢山の家族が住んでいたのに、だれも気づかなかったんです。
それとも気づかないフリをしていたのか?
母は自分の病と闘いながら、大家族の面倒を見ていたので、子供の事までは
眼がいけなかったんどと思いますが、他は気づけよ!とも思いました。
主治医の先生は、私の様子は言語障害だと思い、精神科の先生を紹介してくれたそうです。
私は幼かったんですが、その事ははっきり記憶しています。
知らない病院で、白衣を着た男の先生が母に言っていた言葉をはっきり覚えています。
「この子は正常です。脳には何の障害もないはずです!」
「でも精神的に不安定になっているから、言葉が上手く出ないんですよ。」
「それは お母さん 全てあなたの責任です!」
と強い口調で母に言っていたのを。
母がその後何て言ったかは、覚えていません。
でも、その後電車に乗り、その電車を降りて改札までの道は、はっきり覚えています。
母が重苦しい空気を出していました。
今にも倒れそうな顔で、うなだれるように足元を見ながら歩いているのを、
私は無言で付いて行ったのを覚えています。
昼間で明るいはずなのに、異様に暗く感じたのと、子供心に不安な空気がいやだな~と思ったのを
今でも思い出します。
その記憶が私にはずっと残っていたので、この 「どもり」 は母の責任なんだ・・・と
ずっと思っていました。
その後、その先生に 私は人と付き合うのは、言葉の障害のせいで大変かもしれない
なので、人との接し方を考えないといけませんね。 と言われ、
ダンスなど、させると改善するかも?しれません。
と言われたみたいです。
それで母は、私にクラッシックバレエやピアノ、声楽などを習いに行かせたみたいです。
それは私も今回の件で、初めて聞いてビックリしました。
なので私がどんなに習い事を辞めたがっても、辞めさせてくれなかったんだ・・・と。
でも、精神科の先生はダンス=楽しく踊るという意味で、母に勧めたと思うんですが。
バレエの先生は鬼のように厳しくて、幼児だろうが真剣にスパルタだったのを思い出します。
母いわく「その後治ったからね~!」 と・・・・。
治ってないわ~!!!
どんだけ友達にバカにされたか!!!
心配するから言わなかったけど、いじめもあったし。
なにより社会人になってから、どんだけ どもり が出たか・・・。
さすがに大人になると、どもりをバカにする人もいなくなったんですが、
私自身がいやだったんです!
どもる自分は、欠陥品のような気がして・・・。
特に電話で最初に会社名を言いますよね。
「ありがとうございます。〇〇会社の〇〇でございます。」が言えない・・・。
家で何千回と練習して、大丈夫だ!と本番になると・・・。
妹に頼んで、家の中の違う回線から、電話してもらい何度も何度も練習しては、泣いていました。
こんな小学生でも出来る事が出来ない・・・。
これは自分では何とも出来なかったので、ひたすら他の業務で人より頑張ろう!と思いました。
そして今でも時々癖のようにどもりますが、今では軽いのと
自分が欠陥人間ではないと気づいたので、どもったとしても気にしなくなりました。
これも私の長所だと思えるようになりました。
よく主人に「たかちゃんは完璧やな!」と言われます。
なので「どもり」も「どんくさい」ところも、欠点ではなくて、私の人間らしさだと思えるようになりました。
それでいいのだ!と思えるようになったんです。
まあ数年前からですが。
しかし、母のせいだ!と思っていたので、母には悪い事したな~と思います。
とは言え私のせいでもありませんが。
母本人も精神科の医師に直接言われたので、
自分のせいだと、心の奥底で罪悪感を持っていたのではないでしょうか。
もちろん母の居ない間の出来事だったので、本当の原因も知る由もなかったんですが。
その話を聞いて、少しは楽になればいいな~と思います。
そして つづく