癒しの樹日記

身近な情報や日々感じた事を書いていきたいです。

真理

2010-01-23 17:38:21 | Weblog
昨日のブログで書いた薬売りの方が、偶然近くに来たのでと電話をいただいて来てくれました。

昨日の今日なので、何か聞きたい事を聞け!と言われているような気がしました。

そして薬の期限が切れている物を交換してくれました。

我が家は、ほとんど薬を使わないのでいつも交換してくれるだけで来てくれるのに恐縮してしまいます。

そして、何気なく伊勢の神宮の話になり、仏教に話になりました。

その方は「何が知りたいですか?」

と聞いてくれたので、知りたい事を言うと、その答えを教えてくれます。

彼いわく本で書かれてあるような事は、ほとんどが真理の根を理解していないと。

表面は分かっていても根っ子を理解出来ていないから本に書けるんですと言っていました。

確かにお坊さんでも、何も分かっていない人が多いのは確かです。

そして本当の真理は本に書いてはいけないと・・・。

人によっては悪用する人間もいるのでと・・・。

だからこの人には言ってもいいと感じて、なおかつ縁がある方だけに話すんですと言っていました。

そしてあなたのは何でも教えてあげたくなるので、何でも聞いてくださいと言ってくれました。

何でも、私に会うと心が踊って嬉しくなると言ってくれます。


その方のお話は、とても難しいので頭で理解しようとせずに心で理解するようにしています。

でも、とても面白く興味深い話をしてくれるので、私もワクワクして聞いているんです。

私も縁がある方にこの話をしていきたいな~と思いながら、

素晴らしい話を聞けた今日1日が、特別な日になったような気持ちです。


そしてこのブログを読んでくださってる方々にも、素晴らしい事が起きますように

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2 コメント

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真理 (ガイア)
2010-01-24 08:28:59
【因果の壊れと中道のみち】

【哲】
過去(原因)など, 未来(結果)など, 今しか, 事しか存在し得ない。

原因が結果を生むのは事を物として捉え法則化した場合, 即ち【己意志】の信仰のある場合に成り立つのであって, 無限の物質が事を確定することはないし, 抑事が何かを知り得ない以上それを再び起こす再現性などあり得ない。

ただ全容を確定するのは是の裏側の【絶対無】である。

即ち法則とは⇒【絶対的意思】の信仰の道具である。


《『私は物質にも, 創造主(神)にも支配されてはいない。私は認識した物を肯定しつつ, 否定的なのであり, さらに言えば私が唯一質(事)を物として捉え造り出せる。だから己が支配を受けていると言う妄想と祈りの信仰よりも, 宗教・思想よりも尊いのは, 生きやすい【考え方】だと知っている。如何なる方法も否定は出来ない。それが生きると言うことなのだ』‐中道のみち‐》


【知・法の根本】

如何なるものも信じているから成り立っている。私自身は宗教が大嫌いで, 哲学とこれを基礎とする科学さえあれば, 人類に宗教という最も劣悪な信仰は要らないと思う。尤も道徳的教義は必要だが, あくまで信じているからこそ相手が物か人か, はたまた両方をもつ対象なのである。

宗教こそが最も有害である為, 哲人はこれを粉砕し, 想定される万人の自由の釣り合いを確保する為に, 如何なる方法も講じなければならない。この考え方が柔軟でありつつも厳格である法哲学(ほうてつがく)の根源であり, 当然, 己意志の望みが一指導者の思想の忠実なる再現である宗教信者が国家の要職に就くことは思想の犯罪である。これは市民に阻止する権利がある。従って教育はある程度中立な哲学者と科学者が共同で指導に当たらなければならないし, 偏向の著しい思想家・宗教家は教育の場から除かれるべきである。



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ガイアさんへ (癒しの樹)
2010-01-24 11:16:28
ガイアさんはそう思ってるんですね。

私も今の宗教は、一部の人間の都合の良いように作り変えられてる感じがして好きではないです。

そして私の場合は、自分が経験した事しか信じないので、色々な経験をさせられていると思ってます。

まあ、ひとそれぞれ考え方が違う方が楽しいですよね。

それぞれが自由ですしね♪
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