二つに見えて、世界はひとつ

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直観と概念

2022-11-22 10:15:00 | 直接体験
直観と概念 

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 もちろん、形而上学にも概念は必要である。なぜなら、他のすべての科学はごくふつうに概念に基づいて仕事をしている。形而上学はそうした諸科学なしにすませるわけにはいかない。

 しかし、形而上学の本来の面目は、概念をこえ、あるいは少なくとも、こわばった出来合いの概念から自由になり、いつも私たちが手にしているものとはまるで違う概念、しなやかでよく動き、ほとんど流動的であり、直観のとらえがたい形にいつでも型を合わせるような表象を創造するところにある。

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 概念はふつう対をなし、対立する二つのものを示している。どのような具体的実在も、相反する二つの視点から同時に見ることができ、したがって対立する二つの概念に包摂できる。

 ここから、定立と反定立を和解させようとするむだな努力が延々となされるが、その理由は簡単である。概念あるいは視点でものをつくることは決してできないからだ。

 しかし、直観でとらえた対象からは、たいていの場合、二つの反対概念へ容易に移行できる。
 
 そのように実在から定立と反定立があらわれることがわかるので、両者がどう対立しどのように和解するかも同時に把握できる。

 そのためには、知性の通常の働きを転倒させる必要がある。考えるとは通常、事物から概念へではなく、概念から事物へ進むことである。

「認識」という言葉のふつうの意味において、実在を認識するとは、既成の概念を手にして、それを調合して組み合せ、実在の実用的等価物をつくり出すことである。

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 知性の正常な働きが利害にとらわれたものであることを認めよう。一般に私たちは、認識のための認識を目指していない。そうではなく、立場を決め、利益を得、関心を満たすために認識している。対象がどの点まで“あれ”であり”これ“であるか、既知のどのジャンルに当てはまり、どんな行動や手続きや態度を私たちに取らせることになるのか、それを知ろうとしているのである。そうした可能的行動や態度が私たちの思考の概念的な方向であり、そしてそれは一度にすべて決定される。後はそれについていくだけである。概念を事物に適用するとは、まさにそうしたことである。

直観と分析

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 分析は不動のものに働きかけ、それに対して直観は動きのなか、あるいは同じことだが持続のなかに身を置くのである。

 ここに直観と分析との明快な境界線がある。私たちは実在的もの、生きているもの、具体的なものを、それが可変性のものであるという点において認める。

 要素というものを、それが変化しないものであるという点において認める。要素とは図式であり単純化された再構築物であり、たいていの場合は記号であり、いずれにせよ、流れる実在に向けられた一つの眺めであり、定義からいって変化しないものである。

 図式的もので実在的なものを再構成できると思うのは誤りである。これはいくら繰り返し言ってもいい。

 直観から分析に移行できるが、分析からは直観に移行できない。
 「形而上学入門」より

 直観について

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 私の語る直観は何よりもまず内的な持続へ向かう。直観がとらえるのは並置ではなく継起であり、内からの生長であり、絶え間なく伸びて現在から未来へ食い入る過去である。

 直観とは精神による精神の直接的な視覚である。そこにはもはや何ものも介在しない。空間を一面とし言語を他面とするプリズムを通した屈折も起こらない。
状態が状態に隣り合い、それが言葉となって並置される代わりに、そこには分割できず、したがって実体的で、内的生命の流れの連続性がある。

 それゆえ直観とはまず何より意識を意味するのだが、しかしそれは直接的な意識であり、対象とほとんど区別のつかない視覚であり、接触というより合一する認識である。

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 ついで、直観とはひろがって無意識のふちに迫る意識である。無意識は譲歩し、抵抗し、屈服し、そして捉えられる。そうした光と闇のすみやかな交代を通して、直観は無意識の存在を私たちに教える。

 厳格な論理に反して、直観は心理現象がどんなに意識的なものであるにせよ、心理的な無意識が存在することを私たちに教える。

 しかし直観はもっと先まで行けないだろうか。直観とは私たち自身の直観にすぎないのだろうか。自分の意識と他の意識との区別は、自分の身体と他の身体との区別ほどに明確ではない。なぜなら、明確な区別をおこなうのは空間であるからだ。

 無意識的な共感や反感はしばしば予見的なものであり、人間の意識のあいだで相互貫入が起こることを示している。

 実在は経験のうちにしか与えられない

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 実在は経験のうちにしか与えられない。その経験が物質的なものを対象とする場合は、視覚、触覚、あるいは一般に外部知覚と呼ばれ、精神に向けられる場合は直観と呼ばれる。
 思考と動き」序論(2)より