らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

昭和の怪獣映画

2009年06月17日 06時16分32秒 | 昭和への旅
昭和の怪獣映画

上の画像をクリックすると、スライドショーが始まります。


親父の子供の頃の楽しみは、怪獣映画でした。

ちょっとした街には、必ず映画館がありました。

子供は怪獣映画、大人は日活ロマンポルノやったです。

あの時代の怪獣映画は、おもちゃ丸出しの街や戦車、ピアノ線も丸出しでした。

結構有名な俳優さんが出ていました。覚えているのは「モスラ」の、ザ・ピーナツですね。

大魔神には、親父の小学校の3歳上の先輩「二宮秀樹」さんが、出演していました。

テレビであった「マグマ大使」のガムです。

親父はポスターはなかったのですが【サンダ対ガイラ】が、好きでしたね。


ただ、昔の映画で一番覚えているのは、石原裕次郎主演の【花と竜】です。

昭和30年代にお父ちゃんと行きました。裕次郎が花札をなげて喧嘩するシーン

病院の窓から「俺は竜だ」と、言って飛び降りるシーン、脳裏に焼きついています。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
飛び入りゴメンさんへ (らいん屋親父)
2009-11-26 07:45:47
東映の撮影は京都でしたね。

マグマ大使の頃は転校されたように覚えています。
今はどうしておられるのでしょうか?
ガム情報がありましたら、教えてくださいね。
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二宮秀樹談つづき (飛び入りゴメン)
2009-11-25 23:28:05
おじいさんが映画の関係だったのですね。
撮影のたびに東京まで通うのは大変だったでしょうね。たぶん、学校もよく休んだのでしょうね。お兄さんのつぶやきが子供らしくてかわいいです。
子どもの頃に映画やTVで見た彼の印象があまりに強かったので、当時からも時々あれからどうしてるのかなと思っていた次第です。名子役のままでいつまでも皆の心に残っていくことでしょう。
貴重なお話を伺いアリガトウございました。
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美少年でした。 (らいん屋親父)
2009-11-24 20:53:50
3歳上の兄と同級生でした。
学校では普通の小学生やったと思います。

オジイ様が映画の監督か何かだったと覚えています。
ただ、兄が二宮君は自由に休めるしいいな。と言っていたように覚えています。

また、いつでもコメントをくださいね。
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二宮秀樹に惹かれて (飛び入りゴメン)
2009-11-23 23:32:47
ヤフーで昭和の無料映画を観ていたら、大魔神をやってまして。二宮秀樹を検索したら親父さんのブログがヒットしました。3歳先輩だそうですが、当時、学校に子役がいるということで大騒ぎだったのでしょうか。広末涼子を初めてTVで見たとき二宮秀樹によく似てるな~と思いました。子役は2年足らずで辞めてしまったようですが、ナゼなんでしょうかね。良い演技してたのに。
親父さんのブログ、面白いです。これからも、ときどき、拝見させて頂きます。
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