昭和の怪獣映画
上の画像をクリックすると、スライドショーが始まります。
親父の子供の頃の楽しみは、怪獣映画でした。
ちょっとした街には、必ず映画館がありました。
子供は怪獣映画、大人は日活ロマンポルノやったです。
あの時代の怪獣映画は、おもちゃ丸出しの街や戦車、ピアノ線も丸出しでした。
結構有名な俳優さんが出ていました。覚えているのは「モスラ」の、ザ・ピーナツですね。
大魔神には、親父の小学校の3歳上の先輩「二宮秀樹」さんが、出演していました。
テレビであった「マグマ大使」のガムです。
親父はポスターはなかったのですが【サンダ対ガイラ】が、好きでしたね。
ただ、昔の映画で一番覚えているのは、石原裕次郎主演の【花と竜】です。
昭和30年代にお父ちゃんと行きました。裕次郎が花札をなげて喧嘩するシーン
病院の窓から「俺は竜だ」と、言って飛び降りるシーン、脳裏に焼きついています。
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親父の子供の頃の楽しみは、怪獣映画でした。
ちょっとした街には、必ず映画館がありました。
子供は怪獣映画、大人は日活ロマンポルノやったです。
あの時代の怪獣映画は、おもちゃ丸出しの街や戦車、ピアノ線も丸出しでした。
結構有名な俳優さんが出ていました。覚えているのは「モスラ」の、ザ・ピーナツですね。
大魔神には、親父の小学校の3歳上の先輩「二宮秀樹」さんが、出演していました。
テレビであった「マグマ大使」のガムです。
親父はポスターはなかったのですが【サンダ対ガイラ】が、好きでしたね。
ただ、昔の映画で一番覚えているのは、石原裕次郎主演の【花と竜】です。
昭和30年代にお父ちゃんと行きました。裕次郎が花札をなげて喧嘩するシーン
病院の窓から「俺は竜だ」と、言って飛び降りるシーン、脳裏に焼きついています。
親父さんのブログ、面白いです。これからも、ときどき、拝見させて頂きます。
学校では普通の小学生やったと思います。
オジイ様が映画の監督か何かだったと覚えています。
ただ、兄が二宮君は自由に休めるしいいな。と言っていたように覚えています。
また、いつでもコメントをくださいね。
撮影のたびに東京まで通うのは大変だったでしょうね。たぶん、学校もよく休んだのでしょうね。お兄さんのつぶやきが子供らしくてかわいいです。
子どもの頃に映画やTVで見た彼の印象があまりに強かったので、当時からも時々あれからどうしてるのかなと思っていた次第です。名子役のままでいつまでも皆の心に残っていくことでしょう。
貴重なお話を伺いアリガトウございました。
マグマ大使の頃は転校されたように覚えています。
今はどうしておられるのでしょうか?
ガム情報がありましたら、教えてくださいね。