川沿いに春を探して大場川を辿る。その源流は昔の二郷半沼。
江戸の始め、現在の吉川市川野にあった沼を干拓しその排水路
として開削されたのが大場川である。
二郷半と言う名は、常磐道三郷料金所近くにある古刹、定勝寺
の銅鐘銘に刻まれる。曰く、
「吉川、彦成に二郷アリ諸邑戸コレニ属ス。而シテ
彦成以南ヲ下半郷ト称ス。故ニ二郷半ノ名」
彦成は三郷市北東部、三郷団地あたりの地名である。
その昔、五十戸以上の集落を「郷」、それ以下を「半郷」と
呼んだ。
二郷半の謂れにはもう一つ俗説がある。足利幕府の末期の
天正の頃、この一帯を「一生支配」せよと言われた伊奈中次は、
これを「一升四配」ともじって「二合半」としたというもの。
いかにも俗説と言う感じがするが、何と鍾銘に「二郷半」と
ある定勝寺に「二合半大佛」が座るのである。定勝寺の銅鐘には
寛文九年(1696)制作の銘もあるというから、二合半から二郷半に
変わったという説もアリである。
ともあれ、早稲米の広大な田んぼがあったこのあたりは
江戸川、中川まで広がる「二郷半領」と呼ばれた御用米の
産地であった。
さて、本題の「川沿いに春を探して」である。
前日の名無し橋から上流に向かうと、土手の肩に水鳥が
一列並んで日向ぼっこ、いや曇天だからエサ取りの休憩か。
静かに近づいたつもりだが私の気配に一斉に飛び上がり、
川面に降りてしまった。最後まで粘っていた二羽もついに
飛び立った。
やがて、このあたりに林立す送電塔が集まる北葛飾変電所
に着く。大きな変圧器など覗こうとフェンスに近づくがこの
標示にたじろいでパス。
この変電所からは都内の金町浄水所など重要施設へ送られ
ている。故に、それにぶら下っている、私が住む三郷市北部
は3.11後の計画停電は一度も無かった。
遊水地を利用した運動公園を過ぎ、気分転換に小さな橋で
対岸に移る。一貫して見えている江戸川対岸の煙突。常磐道
が渡った先である。
今日は片道1時間前の予定。今度は名のある「三吉橋」で
折り返すことにする。その先では第一大場川(左)が分岐し、
源流点まではあと少しだろう。
春の香りや帰りの風景は次回としよう。