政権が外遊を優先、じっくりと「緊急」事態宣言発令を
温めている隙に、というよりも好天が続くので、水戸街道
ウォークの最終回、長岡宿から水戸へと歩いた。
前回のゴール、茨城町の小幡宿の先のバス停から水戸市
の備前堀沿いの起点標まで、多分、3回ほどのシリーズと
なる予定。
8時過ぎ、茨城東高校前のバス停をスタートし国道6号
を一路北へ歩く。道路とは車を通し電気も運ぶことがよく
わかる。その脇を人も歩く。切通しの北関東道路を跨ぐ。
このあたりは竹林が多い。やがて「小幡北山埴輪製作所」。
いや製作所ではなく「製作遺跡」。広い駐車場の奥の入口
までは2百メートル近いが、今日ものんびり行こうと寄る
ことにする。
駐車場も広ければ森と広場の中も広い。「工場」跡までは
とてつもなく遠そうでなのでパスし、入口近くの復元古墳と
その上の埴輪を眺めて水戸街道に戻る。
並ぶ埴輪は地元住民の体験学習の作品と言う。実に上手に
出来ているではないか。
沈むように下って行く国道6号と分岐すると、右手には
見事な黒土が広がり、遠くには前回寄らなかった小幡城址
の森が見える。埴輪「製作所」の森とは繋がっている。
水戸街道の県道がカーブして下り始める。きっと川で
あろう。このあたりは奥谷(オクノタニ)、茨城町の中心部。
大きな屋敷が続くと、おや、その奥谷さんの家だ。
「奥谷」の交差点の先、右手奥の茨城町役場を過ぎると
涸沼(ヒヌマ)川を渡る。ここら約4キロ東の涸沼は周長が
22キロある大きな湖沼で、その先はもう大洗の海岸。
国道6号の橋の奥、筑波山はやや南あたりだが、今日は
霞が強く男体山、女体山の区別がよくつかない。
県道と分岐した水戸街道は小鶴地区へと入る。旅館や
白壁の塀の屋敷があるところは宿場のような感じである。
ひょっとしたら小さな宿、間(アイ)の宿だったかも。
右に折れると「諏訪神社」、本家の信州(長野)よりも
越後(新潟)に多いという神社である。ちょっと奥まった
石段の上だが、信州人としては寄ることにする。拝殿は実
に簡素な佇まいで神殿は古く上屋の中である。
庭の風情が好い家の先の如意輪寺にも、黒い石標の渋さに
魅かれて寄ってみる。手前は如意輪堂で奥が本堂である。
この寺はどこを見ても植え込みが手入れされて絵になる
寺である。
水戸街道は再び県道に戻り涸沼前川を渡る。この先から
水戸街道最後の宿に入って行く。続きは次回。