「幼い子供を置いて外出は虐待」、確かに置いて行かないのが
理想だが、共稼ぎやシングルママ・パパには難しい話。
「自民議員には若い人も多く、子育てに無知というのは当たら
ない」と条例案提出撤回を弁明するが、裕福な世襲議員も多く、
子育て環境に苦労することはない集団だろう。
結局は格差社会における「子育て現実」への無知を露呈したと
いうことになる。
成田街道ウォーク3日目(その4)。
さわだ茶屋で喉を潤してから大和田宿を歩き出したところ。
まずは成田街道を挟んで向かい合う長妙寺と園光院。長妙寺は
整備された境内、樹木の手入れも行き届く。
園光院は対照的にオープンな境内で何となく親しみやすい。
学校が引ければ子供たちで賑わいそうである。
園光院の観音様
見逃したが長妙寺の本堂脇に八百屋お七の墓があったらしい。
待てよ、お七の墓は中山道に近い白山の円乗寺でしっかり見た。
長妙寺説は、お七の母が処刑された鈴ヶ森からお七の亡骸を
こっそり実家の大和田に持ち帰り長妙寺に葬ったというもの。
果たして真偽は如何。次は小道を入った「大和田時平神社」。
この大和田宿一帯には時平神社が四つもあるという。菅原道真を
大宰府に追いやった左大臣藤原時政は三十九歳と若くして亡くなる。
時平に続き親族も相次いで死んだことから、時平の妻子と一族は
道真の祟りと恐れ、一族と共に縁も所縁もないこの地に逃れ時平を
祀る神社を建てたという。
成田街道に戻ったところに明治天皇行在記念之碑。明治6年、
この地での近衛兵演習天覧の際に泊まった大沢家跡という。
大和田宿は大和田新田と萱田地区に分かれるが、その境が京成線
大和田駅に向かうT字路。萱田地区にも街道遺構はなく、ここから
約1キロの大和田駅をゴールにする予定だったが、ここで一考。
次回もここへ戻るとすると往復2キロ。それならこのまま成田
街道を2キロ歩いて次の勝田台まで言った方が賢い。
ということで、そのまま成田街道を歩き続ける。
花見川に向かう下り坂の途中、萱田時平神社は見上げるような
急な石段の上。一瞬躊躇するが、さわだ茶屋の生ビールで元気に
なった脚で上ってみる。
この先の大和橋で渡る花見川は、実質は印旛沼の放水路である。
江戸時代「あばれ沼」と言われた印旛沼の治水対策は悉く失敗。
戦後になってやっとこの放水路で解決したという。
花見川を渡ると今度は上り坂。皇産霊神社、白旗神社と過ぎ、
国道16号の高架を潜ると新たなゴールの勝田台駅はもうすぐ。
次回は佐倉までの12キロ、次々回は成田までのやはり12キロ。
午後2時前、勝田台駅に着き帰路に就く。
4回シリーズとなった成田街道3日目の歩行記を終わる。