仙台は半世紀前に学生時代を過ごした街。同じ釜の飯を
食った寮友との懇親会がある9月5日、午前中に瑞鳳寺を
訪れる。
仙台駅前の歩行者デッキ(回廊)を下りて、南町通りを
西へ向かうと、ちょうど通勤時間帯で混み合う。
ふと思い出して、一筋南の「仙台朝市」を覗いてみる。
二番町通り近くにあった飲み屋横丁でバイトをしていて、
時々お使いに来た市場である。
二番町通り、五橋通りを渡って母校の片平キャンパス
を横切る。当時頻繁に集会が行われた本館前の広場は、
植え込みの多い庭園になっている。
正門から出て坂を下ると広瀬川に掛かる霊屋橋に出る。
霊屋は「おたまや」と読み、伊達政宗の霊廟である。
広瀬川には水鳥が泳ぐ。
霊屋橋の袂から大きくコの字を描いて瑞鳳寺、瑞鳳殿
の参道に着く。石畳の急坂を上ると、まず瑞鳳寺の入口。
瑞鳳殿は更に石畳の坂と石段を上った先である。
最初に瑞鳳殿に向かう。拝観料を払う受付を挟んで直角
に曲がる二本の石段を百段ほど上って瑞鳳殿に着く。
下の門から上の門まで更に石段を上ると、汗がどっと
噴き出す。曇り空だが湿度が異様に高い日である。
この経ヶ峰で鶯の初音を楽しんだ伊達政宗が、自分の
墓はここに造れと遺言を残し、二代目忠宗が正宗の死の
翌年に建立した。
終戦前の仙台空襲で焼け落ち、昭和54年に再建された
というから、学生時代には来たくても無かった訳だ。
二代目忠宗の霊屋である感仙殿、三代目綱宗の善応殿
も同様に絢爛豪華な霊屋である。
この境内の一番高い所に立つ戊辰戦争の忠魂碑は、
旧幕府側についた仙台藩の犠牲者、1,200余名を慰霊
する塔で、日本の製鉄の創生期の鋳物製である。
来るときとは別の長い石段を下り、瑞鳳寺をざっと見て
政宗公の霊廟参拝を終わる。昨今どこの観光地もそうだが、
ここも9割以上の観光客が中国語だった。