じんべえ時悠帖Ⅱ

東武東上線、成増

 朝刊の土曜版に「東武東上線」「成増(ナリマス)」という

懐かしい文字を見つけた。社会に出たころ隣の隣りの「朝霞」

に勤務先があり、この沿線に数年住んでいたからである。

 赴任先で「セイゾウ」と言って大笑いされた。恥をかいた

ことは忘れられないが、地名や人名の読みは難しい。

 

 「歴史のダイアグラム」(原武史)に出て来る成増は、

大正末期、東京帝大で物理を教えていた寺田寅彦が写生に

通ったところという。

 成増は当時は北豊島郡赤塚村で、東武東上線の鈍行でも

20分くらいだったろう。寅彦はその沿線の風景を好んだと

日記に書いていたという。

 故郷高知の、山が迫り、平地は水田で埋め尽くされた

「行き詰まった窮屈な感じ」の風景と違い、山が遠くに

退き、畑や林が広がる関東平野の風景は「自由でのびやか」

と気に入ったようだ。

 長野から関東に出て来た私は逆に、山が迫っていない

ことに何故か不安を覚えた。自分の居所がわからないと

言う感じだろうか。

 私が東武東上線によく乗っていた頃の、池袋ー成増間

の沿線は、電車に軒が接するが如く住宅が建て込んでいた

ので、寅彦が感じた「自由でのびやか」な感じは微塵も

なかった。

 

 春のように暖かかった一昨日の江戸川散歩から。

カルガモの親子のような雲が浮かぶ

例によって新しい橋の工事風景

P3橋台の杭打ちが終わりクローラークレーンが搬出される、

大晦日に焼けたコーヒー焙煎工場はまだ後片付け中

新しい橋の下になる梅林(跡)などを整地中

戻り道の武蔵野線方向、先日までの雨の跡が残る河川敷

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
そうでした、お茶の大山寮ですね。
全寮連の関係で外大の日新寮、東大の駒場、三鷹寮など
と一緒に回った頃がありました。
何故か大山寮だけは道順を覚えておりません。
jinbei1947
ワイコマ様
「時刻表」、懐かしい響きですね。
確かに極小さな字でふりがながありました。
あれでお勉強したなら地名博士です。
時刻表と言えば松本清張の「点と線」を思い出します。
えめらるど
成増行きの東上線には、昭和27年から31年まで乗りました。3つ目の大山に、貴殿が痴漢ならぬモノズキで覗いた女子大の寮がありました。
ykoma1949
地名は難しいが・・私は得意でした。
幼い頃、電車の時刻表を親戚の叔父さん
から頂いて、当時の汽車のダイヤの仕組
みを覚えて興味を持ち出したのが始め・
当時の時刻表は左側に漢字の駅名右側に
ひらがなの駅名が載っていて・・子供で
もその読みにくい駅名を読むことが出来
それだけがユイツ他人に自慢できること
なので中部関東圏は大概読めました。
東北や北海道・・広い日本、まだまだ
読めない土地がたくさんあることはその後
知ることになります。
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