フジテレビを傘下に持つフジ・メディア・ホールディン
グスの外資法違反問題。相談されたという総務省は、また
「記憶にございません」を繰り返すだろう。もういい!
厚労省の宴会を張ったグループから感染者、クラスター
になるかも。傘下の感染研でも大勢での送別宴会etc.・・・・、
コロナ担当の役所ですら緩み、自粛疲れ。況や国民を哉。
さて、水戸街道ウォークは土浦宿の(その2)。宿場の
中心、中央一丁目の交差点へ向かうところ。
レトロな蕎麦屋「吾妻庵」の先、墨色の重厚な蔵造りは
矢口酒店跡、今は矢口家住宅。店蔵、袖蔵、見えていない
奥の元蔵はいずれも江戸末期の建造と言う。
向かい側には、これも袖蔵を持つ野村屋跡、もう一つの
大徳と併せて市の観光案内所となっている。
豪商の呉服屋だった大徳跡。
この向かい側、まちかど蔵野村の脇道は琴平神社、不動院
への参道。土浦宿の歴史が詰まったところという。
退筆塚は、江戸末期にこの境内で寺子屋を開いていた
沼尻墨僊の七回忌を記念した碑。墨僊は天文地理研究を
元にした傘式地球儀を作ったという。
駅前からの大通りと水戸街道(宿場通)が交差する中央
一丁目の交差点に向かう。その先に本陣跡があるが、次回
に回して帰路に就く。
土浦駅前へ向かう通り沿い、まちかど蔵大徳の今の店、
大きな呉服店である。小さいが期せず自撮りとなった。
お、やっとカラーのマンホール。土浦と言えば霞ケ浦、
そして筑波山と帆引き船である。
そして、石岡宿へ向かう日の朝方、この交差点に戻る。
前回見逃した「桜橋」の跡。渡って来た桜川は昔は街中を
流れていたが、度々洪水を起こしたので今の位置に開削
されたという。
回れ右して水戸街道の続きを進むとほどなく、左への
急カーブ。角の右手の商工会議所が本陣跡という。名主
を務めていた大塚家跡で、問屋(トイヤ)も兼ねていた。
土浦宿にはもう一つ、山口家の本陣があったが、これも
残っていない。水戸街道に建物として残っている本陣跡
は、取手宿とこれから向かう中貫、稲吉の計3宿である。
この後、いったん水戸街道を離れて土浦城見物とする。
一気に紹介するつもりだったが、かなり長くなるので次回
の始めに回そう。