今朝は4時前から起きている。と言っても最近はこの時間に
目が覚めることが多い。日の出を狙った早朝散歩の癖である。
三浦半島をかすめた台風15号が千葉市に上陸、最大瞬間風速
「57m」の新記録となった。久々の関東直撃の台風である。
日本の最大瞬間風速の記録は、かなり昔の室戸台風の69mと
記憶しているが、これはまだ破られていないのだろうか。
この後風雨が納まると猛烈な暑さになるらしい。
さて、5日の仙台散策。瑞鳳殿から降りて広瀬川を、今度は
評定河原橋で渡る。左手は仙台城があった青葉山。
右手は、蛇行して行く広瀬川の対岸に仙台高裁が見える。
評定河原はその名の通り、昔、評定所があったところ。
伊達政宗が没した寛永13年(1636)に初めて橋が架けられ、
評定橋、評定所橋と呼ばれたらしい。
評定河原橋を渡り、広瀬川沿いを進むと評定河原球場が
開ける。元は個人所有の牧場で、旧制二高(東北大)時代
から学生が野球などに使っていた。
戦後、県営の宮城球場が出来るまでは、ここでプロ野球も
開催され、川上哲治の1イニンング2本塁打、大映大岡の
3打席連続本塁打などの記録が生まれている。
街中の青葉通りに出るには、広瀬川の崖に設けられている
十数メートルの高さの階段を上る。瑞鳳寺や瑞鳳殿への石段
上りに続く運動である。
仙台高裁を回り込むように歩いて、青葉通りと晩翠通りの
交差点に向かう。途中の小さな「馬上(ウバガミ)蛎崎神社」
の名前に興味を覚え口碑を読む。
家臣が藩主政宗に献上した愛馬「五島」が、老齢のため
政宗の大阪出陣(1614年)に漏れたことを悲しみ、自ら
仙台城本丸の崖から飛び降りて死亡した。これを追廻馬場の
守護神として祀ったというもの。
伊達政宗の地、仙台らしい逸話と神社である。
仙台駅から約1キロ、青葉通りに直行する晩翠通りは、
もちろん「荒城の月」の土井晩翠に因む。旧制二高の卒業、
晩翠・藤村時代を築いた文豪、詩人の説明は不要であろう。
終戦の年の空襲で、自邸と三万冊の蔵書を失った晩翠に、
「晩翠会」の人々が贈ったのが、この地に立つ「晩翠草堂」
である。青葉通り沿いに立つ「天地有情」の碑も旧制二高
の教え子たちの贈呈である。
午後から瑞巌寺へ一緒に行く旧友たちと待ち合わせる仙台駅
に向かう。名物のケヤキ並木も手入れ(剪定)が肝要である。
一番町南側のアーケードの突き当り、朝方横切った東北大学
片平キャンパスの茂みが覗く。
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