昨日、東日本大震災から十年。そして、その前日である
「3.10」は東京大空襲から76年目であったが、「3.11」の
圧倒的な報道ボリュームの前に「霞んだ」。
両国の国技館の北側にある横網町公園に、関東大震災と
東京大空襲の犠牲者の都の慰霊施設がある。私が訪れた
十年程前も、そして今も、慰霊式典の日以外はひっそりと
していることだろう。
一方、ここから南東へかなり離れた江東区北砂町に、
民間の「東京大空襲 戦災資料センター」がある。
ビルの2階の決して広いとは言えないスペースである。
ボランティアの年配のご婦人二人が語り部として説明を
してくれる。一人はまだ小さな子供時代だったという。
何万発と言う焼夷弾の雨に阿鼻叫喚と化した街を逃げ惑う
経験談。それを象徴する一枚の絵。あちこちの公園や空き地
の風景だったと淡々と語る。
写真もなかった訳ではないが、あまりにリアル過ぎる。
更に衝撃的だったのは、この時の米軍を指揮した司令官、
カーチス・ルメイ少将が何と戦後に創設された航空自衛隊
の指導顧問として招聘されたという事実である。
この時だけは、淡々と語っていた語り部のご婦人の顔が
怒りに満ちたのを覚えている。
予定していた「水戸街道、取手宿へ」は順延とする。