じんべえ時悠帖Ⅱ

3月10日も忘れまじ

 昨日、東日本大震災から十年。そして、その前日である

「3.10」は東京大空襲から76年目であったが、「3.11」の

圧倒的な報道ボリュームの前に「霞んだ」。

 両国の国技館の北側にある横網町公園に、関東大震災と

東京大空襲の犠牲者の都の慰霊施設がある。私が訪れた

十年程前も、そして今も、慰霊式典の日以外はひっそりと

していることだろう。

 

 一方、ここから南東へかなり離れた江東区北砂町に、

民間の「東京大空襲 戦災資料センター」がある。

ビルの2階の決して広いとは言えないスペースである。

 ボランティアの年配のご婦人二人が語り部として説明を

してくれる。一人はまだ小さな子供時代だったという。

 何万発と言う焼夷弾の雨に阿鼻叫喚と化した街を逃げ惑う

経験談。それを象徴する一枚の絵。あちこちの公園や空き地

の風景だったと淡々と語る。

 写真もなかった訳ではないが、あまりにリアル過ぎる。

 更に衝撃的だったのは、この時の米軍を指揮した司令官、

カーチス・ルメイ少将が何と戦後に創設された航空自衛隊

の指導顧問として招聘されたという事実である。

 この時だけは、淡々と語っていた語り部のご婦人の顔が

怒りに満ちたのを覚えている。

 

 予定していた「水戸街道、取手宿へ」は順延とする。


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
今日は素直に「ありがとうございます」。
jinbei1947
ワイコマ様
ドイツ軍と違って日本軍にはほとんど高射砲がないのを見て取って、
高度9000mを3000mに下げて「殺戮」の確実性を期したといいます。
本土決戦による米軍五十万の損害を防ぐには、十万都民の殺戮も
止む無し、オー、ミゼラブル!
ここで終戦(敗戦)を決断すれば、広島、長崎はなかったでしょう。
えめ
ジャーナリズムへの[見果てぬ夢]を彷彿させる 面目訳如たる
記事である。
ykoma1949
この3月10日と11日の日本の大きな災害の
日を
鎮魂の休日なんて提案は軽々過ぎますね・・
正直な所、東京大空襲も、東日本大震災も、
当事者ではないので、つい忘れがちです
この空襲は、殺戮だけが目的で、爆撃機が
木更津まで来てから一旦引き返すんですよね
そして東京都民を防空壕から出て油断したところを
急襲した卑劣な作戦として、国際的にもいろんな
考えや批判が相次いだ作戦でした。
こう考えてみますと、日本民族は広島も長崎も
東京も・・そして東日本の大災害も、阪神淡路
など大勢の犠牲者の御霊の上に今日の日本民族が
あるわけですが、最近はその上流階級の質が悪く
この上流階級の武士を一掃する企ては無いものか
な~んてツマランことを考えます。
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