十年ひと昔、と言う。しかし、こんなに短く感じる「昔」
は他にない。 東日本大震災から十年である。この日、私は
ブログに毎年同じことを書いている。今年も書く。
あの日、私は出張で大阪にいた。
最初の揺れは街を歩いていて気がつかなかったが、二度目
の揺れの時にはビルの5階で座っていた。
長い周期の揺れに不気味さを感じた。少し離れた二つの
高層ビルが、違う位相でメトロノームのようにゆっくりと
揺れていた。遠い東北の地震とは思えなかった。
夜、京都のホテルにチェックインしてテレビを点けた。
仙台のすぐ南、名取川の河口の様子だった。
プカプカ浮いている色とりどりの箱が段ボールではなく、
箱型トラックや貨物コンテナだと気が付くまで、しばらく
時間を要した。とんでもない津波が起きたことを知った。
その夜、茫然自失でニュース映像を見続けた。あんなに
苦い酒の味は、人生で初めてだった。
学生時代や、その後の仕事でも度々訪れていた東北の
風光明媚な海岸が無残なことになって、多くの犠牲者が
出た。無念で残念で、三年も近づけなかった。
今朝のテレビでは、アメリカの歌手、レディ・ガガが
十年目の日本にエールを送っている。地震にめげず復興
に邁進する「強く優しい日本を尊敬している」と言う。
震災後、一は早く日本を訪れ、その後も機会あるごとに
日本にエールを送るディ・ガガ。彼女が「尊敬する」と
いうことは信じられる。
日本の政治家の言うことは信じられないのに・・・。実に
変なことである。
好天だが、とんでもない強風だった昨日、水戸街道を
我孫子から取手宿まで歩いた。今日は、前回はパスした
我孫子の志賀直哉邸へ向かう様子を紹介しよう。
我孫子宿の途中にある「従是子神道」の道標からその道
を進むと、すぐに「杉村楚人冠邸」に着く。そのフェンス
の案内板で改めて方向を確認して先に進む。
続きは明日からだが、今日は杉村楚人冠を紹介しておく。
杉村楚人冠、駅前にあった「我孫子ゆかりの文化人」に
文豪たちと共に上がっているが全く知らないので調べた。
本名杉村廣太郎(明治5年ー昭和20年)、ジャーナリスト、
俳人など。和歌山藩士の子として生まれ、英吉利法律学校
(現中央大学)出身。
通訳、英語講師などを経て朝日新聞入社。外電通訳から
イギリス特派員となり、海外の新聞制度を取り入れる。
縮刷版、写真グラフ誌(現アサヒグラフ)などの発案や
記事審査部の創設などの関わる。その部長になった時から
我孫子に住むようになった。
記者時代から執筆活動も盛んに行い幾多の本も出して
いるが、長年作者不詳だった「牧場の朝」の作詞者で
あることが近年わかったという。
とにかくすごい「文化人」である。フェンスの中は、
その杉村楚人冠の邸宅の庭である。