正月の松飾も取れ令和四年も早や十日目。昨日三郷市の
消防出初式が行われたが、窓からとんでもなく高く伸びた
ハシゴ車が見えて初めて気づいた次第で見逃した。
今年の正月は、例年三が日で飲み切ってしまう日本酒の
一升瓶二本の片方がまだ残っている。年々飲めなくなって
来たこともあるが、正月にシャンパンやワイン、ウキスキー
など日本酒以外を多く飲むようになったこともある。
日本酒やウィスキーの前に「とりあえず」といって飲む
ことが多いビールだが、一昨日の朝日新聞土曜版「はじまり
を歩く」で、日本のビール発祥秘話が紹介されていた。
新潟の信濃川沿いの与板(現長岡市)と言えば上杉謙信の
懐刀であった直江兼続の居城があったところ。ここで生まれた
中川清兵衛は十代半ばの幕末、養子先から横浜に出奔。欧州
行の船で密航しドイツに渡った。
下僕として働いていた25歳の時、後に政府の外相となる、
留学生時代の青木周藏との出会いが運命を変えた。
周藏は異国で生き抜く清兵衛を見込み、本場のビール造り
を学んで帰国するよう強く勧めた。この意に応えた清兵衛は
つらい修行に耐え、わずか2年と2ヶ月でビールの醸造技術を
極めて帰国し「札幌冷製麦酒」を開設。
しかし、もう少しドイツでの清兵衛の修行が長引いていたら、
熱で殺菌する新しい製法を学んで帰ることが出来た。ドイツの
技術者が持ち込んだ新しい製法が、清兵衛が持ち帰った技術を
駆逐したのは当然であった。
清兵衛がもう少し凡庸であったら、修行がもう一年かかかって
いれば・・・。六十八歳で亡くなった清兵衛の末期の水は、冷たい
ビールだったという。
サッポロビール博物館やサッポロビール園がある一画にある
「札幌開拓使麦酒醸造所」で限定復刻醸造されるのが清兵衛の
製法によるビールである。
この復刻ビール、サッポロビール園でジンギスカンを食べ
ながら、飲んだ記憶があるようなないような。この先もしも
札幌に行く機会があれば必ず飲もう。
いつもと変わり映えしないが「新春」の江戸川風景。