令和2年2月の埼玉県の広報誌「彩の国」の表紙である。
昨年11月、「足袋の街」として知られる行田市にある古墳群
が国の特別史跡に指定することが答申された。
埼玉の県名の元になった「さきたま古墳群」。5世紀の
終わりから7世紀のはじめにかけての約100年間で、9基もの
古墳が相次いで作られたのは他に類をみないという。
左上の唯一の円墳、丸墓山古墳は直径105mと日本最大級。
ここには、石田三成が忍(オシ)城を水攻めした時の石田堤が
残るという。
また一番上の前方後円墳、稲荷山古墳からは国宝である
「金錯銘鉄剣」が出土している。表裏にある115の金文字は、
当時のヤマト政権と東日本との関係を示すと言われる。
昭和の初期、窪地を埋めて水田にするために古墳群の土が
掘られはじめたが、地元住人が保存要望書を県知事に出し、
県が文部大臣に上申した結果「国史跡」となった。
そして今回、「学術価値が高く、我が国文化の象徴」と
される特別史跡に指定された。「国宝」と同等である。
行田市には、この近くの古代ハスと田んぼアートを見に
来たことがあるが、次はこの古墳群を見に来よう。
昨日、北風は強かったが快晴につられて江戸川の土手を
散歩。暖冬で菜の花が咲き始めた。房総半島並みである。
明日の三郷シティハーフマラソンに向け通路が明けられる。
今日の富士は雲の中
筑波山から東へ伸びる雲
青空には飛行機