「そもそも『想定』と『予測』とは異なる概念であり、
その混同が問題を深刻にする」
鈴木康弘(自然地理学者)
科学者は「予測」し、その説明責任を負う。行政や事業者は
その予測に基づいて「想定」し、必要な対策を打つ。
(日光街道を歩いた3日前の「折々のことば」)
予測が不確実性を含むことを理由に、東京電力が必要な対策
を取らず、福島第一原発の事故を起こしたことはご存じの通り。
自己都合を「対策しない口実にしてはならない」との警鐘である。
日光街道ウォークは雀宮宿。街道沿いに看板が立つ正光寺に
寄ってみる。境内は墓優先のレイアウトのようである。
唯一撮りたいと思ったのがこれ。プーチンの前に置きたい。
少し先の本陣跡は「病院の脇」と先達の資料にあったから
見逃さない。
国道を挟んだ斜め前が脇本陣という。いかにもそれらしい
風情の佇まいである。が、道を渡って門の前に立つと脇本陣
ではなく「仮本陣」とな。
口碑を読むと、代々治左衛門を名乗る名主の芦谷家で、
問屋、旅籠、農業を営んでいたとある。が、本陣や脇本陣
との違いは説明がない。
雀宮宿も前の石橋宿と同様に比較的小さな宿だったよう
だから、本陣や脇本陣の都合が悪い時のピンチ・ヒッター
だったのかも知れない。
雀宮駅入口の交差点の先が宿の名の基になった雀宮神社。
延喜式に載る神社の割には小さな祠と境内である。
まだ10時を過ぎたところだが、打ってつけのベンチが
あるのでおにぎりで早い昼食。今日は早出で朝食も5時と
早かった。しばらく前からひっきりなしにヘリコプターが
飛ぶのは、宇都宮北駐屯地に自衛隊の航空学校があるため。
東京から100キロのポストの先で国道121号を跨ぎ、一路
北へと歩く。国道の拡幅工事で電柱の移動が進む。
このあたりには車関連の会社、施設が目白押し。やはり
栃木トヨタが一番立派である。
やがて宇都宮線が最接近する踏切が、江戸から二十六里目
の江曾島一里塚跡。口碑はないが踏切や信号に「一里」が付く。
そう言えば、東西の塚が残っていた小金井一里塚以来で、その
間の一里塚の標柱などはなかった気がする。
やがて国道4号は宇都宮の街中を避け右に曲がって行き、
日光街道は直進の県道となる。左手に広大な富士重工の
宇都宮制作所が広がる。
東武日光線を跨ぐといよいよ宇都宮宿である。長かった
今日の行程もあと3キロ。まだ12時を過ぎたところ。
次回は宇都宮宿。