東大の女子合格率が最高を記録した。と言ってもこの20年
ほゞ横ばいの20%前後の頭打ち。今年は21.5%で「最高」。
因みに全国の女子大生の割合は約45%。
理由の一つに、男子より女子の方が早く進路(卒業後)を
決めたい傾向がある。2年間の教養部の成績次第で「学部」
が決まる東大は「若き才媛たち」に敬遠されるらしい。
さて、水戸街道ウォークは、左右(東西)で所番地が違う
ため名前も違うという珍しい中根一里塚と荒川沖一里塚を
過ぎたところ。
ちょうど腹が鳴ったところに現れたのが「たいら食堂」。
貼り替え中?の美味そうな看板に、ちょっと早いが昼飯と
する。今日は長丁場、持参のおにぎりはオヤツに回そう。
刺身に合わせるのは京都伏見の「玉乃光」の冷酒一合。
京都赴任時代によく呑んだ「間違いなく旨い酒である。
手早く食事を終わり、すぐ先の右手奥、200メートルほど
のところにある妙向寺へ。常磐線の踏切が門前という寺。
電車と門前を撮ろうとしばらく待つが、しびれを切らして
山門を潜った途端に普通電車が通過。間が悪い。
この妙向寺は手入れの行き届いた庭が自慢(有名)の
寺で、本堂は珍しく左右非対称である。
充分に名園を鑑賞して山門を出ると踏切の警報が鳴る。
駐車場を走って踏切を渡り電車を待つ。そこへ来たのは
特急電車、念願のショットが撮れる。
道草を終わり先へ進むと間もなく国道6号から旧道への
分岐点。この先が荒川沖宿である。「芋や」は焼き芋自慢
のカフェだが、昼飯直後ゆえパスである。
すぐに渡る川は乙戸(オット)川。荒れ川だったので「荒川沖」
の地名の由来という。この小さな川がねェ。
分岐点から1キロ近く、荒川沖駅への入口の交差点と
なるが、既に荒川沖宿へ入っているはず。旅籠跡という
佐野屋が見つからない。
若い警官が三人、自販機で飲み物を調達中なので訊いて
みる。三人とも「?」の表情だが一人がスマホ地図で見て
くれて「あ、近くですね、もう少し先です」。感謝。
天満神社の脇のモダンな交番に戻っていく三人の警官と
別れて先へ進む。やがて郵便局の隣りに、旅籠だった茅葺
屋根の「佐野屋」が現れる。
奥に茅葺がもう一棟、門柱には表札もあり現住家屋かも
知れない。軒先は「船枻(セガイ)造り」と呼ばれる、軒を
深く見せて見栄えを良くする造りなそうな。
少し先にもう一軒茅葺屋根の旧家が残り、道の両側に
立派な門構えの大きな屋敷も多い。街道や宿場町という
雰囲気が続くが、荒川沖宿は小さな宿で本陣もなかった。
細い脇道の角に「日先(ヒノサキ)大神道」の道標が立つ。
最初は「日光」と見えた。ここから北東2キロにある
日先神社は源頼義・義家親子に纏わる神社で、東国三社
の祭神を揃えた神社という。寄り道には遠すぎる。
やがて旧水戸街道は国道6号に合流した後、再び脇道へと
分岐する。数えきれないほどの分岐・合流である。その途中
にもう一つ「日先大神道」の道標を見つける。
今度は国道6号を斜めに横切ると、中村宿へと向かう。
荒川沖宿からはわずか2キロほどである。このあたりに
一里塚があったというが、その痕跡や案内は何もなし。
この続きは次回。