じんべえ時悠帖Ⅱ

これも苦海、「阿賀に生きる」

 昨日、石牟礼道子の「苦海浄土」を紹介して思い出した

映画がある。

 水俣病の記録映画の助監督を務めた佐藤真が、その映画の

自主上映会のため、重い器材を積んだポンコツ車で三国峠を

上って行くところから始まる、ある新聞記事があった。

 新潟で泊めてもらう大工さんがいつも飲みながら言った。

「熊本の水俣病の映画は作るのに、何故新潟の映画は作らな

いのか」と。

 佐藤は地元のボランティアと苦労して資金を集め、監督

を務める佐藤以外は全員が素人の集団で作り上げたのが、

「阿賀に生きる」である。 

 その新聞記事に感動して早速DVDを取り寄せたのは、

もう6年も前だった。

 全編白黒の淡々とした静かな映画である。だからこそ、

その日常を破った水銀公害の罪の重さが伝わる。 

 

 佐藤は、東京を引き払い現地で暮らしながら映画つくり

を始めた。3年の間にはいろいろとあったが、患者や地元

関係者の要望を聞き「水俣病を前面に出さず、川と暮らし

た人々の暮らしと魂を撮る」方針を貫いた。

 ある時、会計担当のボランティアの女性がふっと呟いた

「阿賀に生きる・・・」が題名になった。

「こんなに美しく描いてもらって阿賀野川も本望だろう」、

完成上映会の後で、製作委員会代表を引き受けた反骨の

河川工学者である大熊新潟大学名誉教授が言った。

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
熊本の水俣病は国とチッソが原因を認めるまで十五年かかりましたが、
新潟(昭電)は五年でした。
しかし、患者認定訴訟はまだ続いていると思います。
原爆症もそうですが認定基準を頑として変えない国にも困ったものです。
ykoma1949
日本の公害の代表格の水俣病の昭和電工
バージョンでしたよね~この公害も原因
のなすりつけ合いで、なんとも嫌な事件
幕切れも・・変なウヤムヤでなんとも言
えない不可思議な公害、多分政治的な圧
が介入の事件??詳しくはしりませんが・
その後は色んな公害が・・・私の街にも
昭和電工塩尻工場があって、粉塵公害で
訴訟が繰り返された。
今、懐かしい事件・・なんて言っている
とまた次の公害??がなきにしもあらず
地球温暖化・・は公害と言われないのは
原因の特定が出来ないから・・なのか?
阿賀野川も今はきれいな河川のようです
悲しい昔に蓋をするのではなく、記憶と
して後世に伝えていく責務を感じます。
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