昨日、石牟礼道子の「苦海浄土」を紹介して思い出した
映画がある。
水俣病の記録映画の助監督を務めた佐藤真が、その映画の
自主上映会のため、重い器材を積んだポンコツ車で三国峠を
上って行くところから始まる、ある新聞記事があった。
新潟で泊めてもらう大工さんがいつも飲みながら言った。
「熊本の水俣病の映画は作るのに、何故新潟の映画は作らな
いのか」と。
佐藤は地元のボランティアと苦労して資金を集め、監督
を務める佐藤以外は全員が素人の集団で作り上げたのが、
「阿賀に生きる」である。
その新聞記事に感動して早速DVDを取り寄せたのは、
もう6年も前だった。
全編白黒の淡々とした静かな映画である。だからこそ、
その日常を破った水銀公害の罪の重さが伝わる。
佐藤は、東京を引き払い現地で暮らしながら映画つくり
を始めた。3年の間にはいろいろとあったが、患者や地元
関係者の要望を聞き「水俣病を前面に出さず、川と暮らし
た人々の暮らしと魂を撮る」方針を貫いた。
ある時、会計担当のボランティアの女性がふっと呟いた
「阿賀に生きる・・・」が題名になった。
「こんなに美しく描いてもらって阿賀野川も本望だろう」、
完成上映会の後で、製作委員会代表を引き受けた反骨の
河川工学者である大熊新潟大学名誉教授が言った。