朝刊(朝日)に連載の「語る」は、いわば日経の「私の履歴書」
的なコラムである。昨日の7話目で「タテカン」の写真を使ったのは
哲学者、長谷川宏(1940~)。
私も学生時代、授業をサボりよくタテカンを書いた。大きなものは、
ベニヤ11枚を使って、縦2.7×横7.2メートルもあった。そんな思い出も
あって、遡って読んだ長谷川宏の「語る」(3~6話)のまとめ。
(4月の1・2話は既に古紙回収に出してしまった)
松江の中学へ通う汽車の中、国語教師からスタンダールの「赤と黒」
は読んだかと声を掛けられたのがきっかけで世界文学全集に嵌った。
1958年、東大文Ⅰに入る。警職法改悪反対闘争が起きていた。
文学部哲学科に進んだ1960年は安保改定反対闘争が起きた。全学連
(主流派)と共に国会議事堂に突入した。多数派(与党)の非民主的
国会運営を許さないという学生の意思表明だった。
卒論はサルトル、大学院ではヘーゲルを研究。大哲学者と向き合う
うち、何のための哲学かと教授に尋ねてみた。余計なことを考えずに
勉強せよと言われた。「その先」が知りたかった。
博士課程を終えても研究室でヘーゲル研究を続けていた1968年。
東大医局問題に端を発し東大全共闘が結成され、全国にも広がった。
共感はしていたが「年長なので静観していた」。
11月、安田講堂前で行われた全国全共闘総決起集会に刺激された。
ノンセクトラジカルとして文学部の団交に参加。国大協自主規制反対、
産学協同反対、大学解体などのスローガンは、大学の権威主義への
異議申し立てだった。
年明けの安田講堂攻防戦、迷ったが訳あって講堂には入らなかった。
東京医科歯科大の末弟が既に学生運動で逮捕され拘置所にいた。島根の
両親にこれ以上の心配をかけるのは憚られた。
安田講堂に入った友人、知人たちはみな人格者だった。
(続きは、また何話か進んでから)。
この11月22日の「全国全共闘結成、全国学生総決起集会」には、
寮友たちと共に私も参加していた。東大本郷の各門を固める機動隊の
壁を破り、江古田のバリケードから駆けつけた日大全共闘のリーダー、
秋田明大を迎えた時は八千学生の雄叫びが挙がった。
青空が眩(マバユ)かった。眠かった。泊まり込んだ前夜は、封鎖に
反対する日共系と全共闘の小競り合いが深夜まで続いた。その上腹も
減っていた。朝から夕方まで食パン2枚だけだった。青春の思い出。
散歩の花たち