いじめは、社会のどこに出もある。今回は、学校でのいじめを中心に規制を始めたようだ。
たしかに、「いじめ 」によって、生徒が死んだというニュースが後を絶たない。その親にして居見れば、自分の子供が死ぬ。絶対許せないという気持ちから生まれた物だろう。一方、いじめをする生徒自身は、なかなか変らない。なぜなら、彼の家庭も歪んでいるから。けど、法律で規制することによって、周りの大人(学校・相談員)が事の重大さを感じ、問題にしやすくなった。いじめの立証は、結構難しい。いじめられた居る生徒の話。周りの生徒の話。いじめている側の話を全部そろえ、ひとつひとつ事実を洗い出していく。その途中に、いじめている生徒の圧力もあることだろう。そう言ったことを押しのけ、解決の道へ導く。
学校で起きていることだから、学校で当事者間で解決することが望ましい。
ところが、現実は、学校には、そんな指導能力のない学校も出ているように聞く。
法律で規制することで、指導力もない学校が立ち上がり指導しやすくなった。警察、裁判でいじめを問題にするようになったと言うこと。
何故人は、いじめるのか。
それは、いろいろ理由があるだろうが、競争社会。一人一人が、互いに学力・能力等で競い合い、蹴落とす社会。勝ち組、負け組が生まれる。この社会構造の中でも、生徒は、一人一人を自分の物差しで、判断し、「弱い」ものに狙いを付け、集団でいじめる。
弱い者への理由は、何でも良い。体力がない、太ってる、人より足が遅い、・・・。
様々な理由を付け、いじめる。いじめそのものより、いじめたときの相手の反応が楽しいらしい。人間の残酷さ。人が苦しんでいるのを見て、楽しい。この感覚は、いじめる側特有の「歪んだ性格」。この歪みの元は、その家庭にある。だから、本当は、いじめをする側の家庭の裁判。どうして、こういう歪みが生まれたのか。両親は、どういう価値観で子育てしていたか。そこが確認されないと、なかなかその生徒の人格の歪みは、変らない。
はっきり言って、どの家庭教育にも「歪み」は、ある。私の家にも、ある。子供の教育に放任しすぎ。私ら、子供にとっては、むしろ、それは、有り難かった。勉強という価値観を一度も、言わない。言えない家庭だった。勉強より、働け。この働くという、金
稼げと。そう言う意味では、はっきりしている。なまじ、勉強より、働け。金稼げ。そのことが一番大切だと教えた。ま、時代の差もあると思います。
今回「いじめ防止法」によって、少しでも「いじめ」は、悪、犯罪なんだという意識を植え付け、いじめの無い社会が生まれることを祈る。 いじめは、悪。という法律で規定することで、学校の指導もしやすいようになったように思う。しかし、一歩間違えると、大変な人権問題を含んでいるという事を認識していく必要がある。いじめられた人間の人権、いじめている側の人権。それそれを秤に掛け、うまく扱わないと、学校が訴えられる時代が来ているように思います。先生方、ボランティアのみなさんがんばって、子供の人権を守ってください。
再見。
家族が一緒に生活し、食卓で食事をしながら、ああでもない、こうでもないと自由に言い合う。これがオランダの教育の原風景。
つまり、家族のその日会った出来事を自由に言い合う。ひとりひとりが自分の価値観をぶつけ、みんなで、その価値観が正しいか、確かめ合う。親も子供もその家族である点では、同等。オランダでは、親も子も同等の価値。日本のように、親が偉いという固定概念はない。そして、それぞれの考えの中で、親の考えが優れていると言う時、親を尊敬する。
固定概念がないと言うことは、一つ一つの価値を確認し合い、確かめ合う。
食卓のおかずは、常に家族の発言。誰一人として、話さない、発言しない人は、いない。
その日々の話し合いの中で、自分の価値観を洗い出し、すべて自己決定していく。
自分の人生の夢、目標。それぞれがいつもオープンになり、今何をすべきか、どのように、その自己実現に向かうか、話し合われる。日本の食卓風景とは、全く違う風景がある。
もちろん、オランダは、移民の国。どの家庭も、みんな違う。違うのは、家庭だけでなく、ひとりひとりも。当たり前だが、日本のように、移民の居ない国では、みんな同じが当たり前。その当たり前が、個性を押さえた、集団生活という名の下に「我慢」が強いられ、他の人間との、協調性が大切にされる社会が生まれた。
もちろん、それぞれの国の違い、教育の違いは、会って当たり前。歴史、民族性、国家の求める像、みんな違うのだから。
私は、昔から、「マイホーム主義」というのは、好きでなかった。自分の家族が一番という考えに基づき、家族単位で行動する。どうも、最近、幸せには、家族が重要でその中の充足感こそ、社会や会社に働きかけるエネルギー源。
まったく別の環境にぞたった私には、とても不思議な風景です。私の家では、家族が何か言い合うことは、ありません。おかずの取り合いは、年中でしたが、家族がみんな話すことは、ありません。まして、その日の出来事・・・・。ま、オランダと日本の違いかもしれません。
オランダの一人一人の自律がわかる様な気がしますが、日本人から見ると、「絵に描いた餅」のような気がします。ただ、日本の若者が多く苦しんで、生活してる気がして・・。どうすれば、当てにならない経済政策の回復を待つ意外に方法は、ないのでしょうか。
出口が見つかりにくい。ま、じっくり、安倍さんの経済政策を見守りましょう。
再見。
別に宗教とか関係なく、人間と生まれたからには、務めがあります。
それは、生まれてからずっーと。
遊んでいるときも、授業中も、家族と居るときも、
どんな時でも、場面、時代、。その人なりの務めがあります。人は、生まれてから死ぬまで、その務めを果たすことが最大の仕事のような気がしてきました。
もちろん、その人の成長、年齢、立場、などによってすべて異なります。
その務めには、一つのルールがあります。
1 まず人の話を聞くこと。
2 我慢をすること。
3 集中すること。
この三つのルールを身につけた上に自分の価値を作り上げます。他の人の価値と自分の価値感は、常にぶつかり合います。だから、他の人の話は、聞くのです。聞いてそれを受け入れるかどうかは、自分。
どんなにその人が優れていても、先人達の残した哲学書、文化、映像には、及びません。ただ先人達のものは、知識です。知識というのは、自分の身体をくぐらない限り、単なる「知」に過ぎません。ひとつひとつ知識が身体を通過して、初めて血の通った知識となるのです。
そして、ここにも一ついてはいけないことがあります。それは、親より早く死んではいけない。子供は、親より長生きする。病気、事故さまざまあります。それを乗り越えなくてはいけない。これは、簡単なことのようで居て、結構難しいことです。
人生は、何が起こるかわかりません。それも人生修行と捉えれば、乗り越えられるかもしれません。いつも最悪の結果を想定すれば、・・・。現在が、それよりか何割か良い場合もあるのではないですか。
わたしは、今、台湾で生活しながら、自分の人生が何だったのか、どんな意味があるのか考えさせられます。
そして、一つの結論。
人には、みんな務めがある。
当たり前でしょと言われてしまうかもしれません。当たり前のことを私は、この年に成って、わかりかけてきたのです。
再見。
私が日本から、帰ってきて、私の行く、セブンイレブンの店長が・・・・。どうしたんだろうと思っていたら、・・・。今日彼会って彼が首になったことがわかりました。
何でだろうと思いましたが、女オーナーから見ると、彼の働きが悪い・・・。という話が入り、首。今日いくらかの慰労金・給料をもらいに来たようです。
もちろん、私は、経営者ではないので、経営的観点からは、わかりません。
私から、見るととても良い店長に見えました。アルバイトの都合付かないときは、自分で夜中の勤務もして、朝早くから、夜遅くまで、頑張って、売り上げに協力していたように見えましたが・・・・。ま、私が口だしすることは、無いのですが・・・。
彼の今までの働きを知ってる私とすれば・・・。どこのセブンよりも<常に客が入り、繁盛していたように見えたのですが>店長に代って、女オーナーと彼女の娘がたまに、お店にいます。
五十代半ばにして、首を切られる店長の心中は、如何?
私が、彼だったら、オーナーと喧嘩します。だって、首が納得できません。
もちろん、私は、オーナから話は、聞いていません。正確な判断に掛けると思います。
一方の情報しか無いのですから、的確な判断できません。
私は、リストラという物を知りません。公務員は、だから、今は、人気あるのか?
「もう明日から、来なくて良い。」
自分は、この会社には、必要無いんだ。なんか哀しい。空しい。自分が誇り持って働いて、頑張っても、自分は、社会に無用。ダメ人間になったような冷たいものを感じます。
これが社会の現実。厳しい。
リストラ。確かに期間労働者、派遣社員の方は、これを常に受けているのですね。
リストラする側は、リストラせざる得ない理由があるのだと思います。特に、経営的な立場は、わかりません。
ユーチューブでいすずの派遣方か今日でこの寮を追い出されるという話。そうか仕事を失うことは、住まいまで、失う。今まで、単なる映像と見ていた物が、身近にリストラされた人が現れて、現実味を帯びてきました。
きびしい。派遣社員の方は、常にこれを受けている。文を書きながら、事実の重さに・・・、全部吸い取られ、気力が萎えてきました。気持ちの復活を待ちます。
再見。
以前、日本で残業が百時間を超えて、過労や早期退職に繋がるという話をしました。
もし、その残業が本人が納得していたら、やり遂げられる人も居ると思います。
大切なことは、「本人がどういう意識で仕事に向かっているか ?」一日、十三時間労働。
決して楽ではありせん。けど、結構事業を始めたばかりの自営業、農家、等労働時間がいつからいつまでかわからない仕事の方も、結構多いのでは・・・。この人達は、十三時間労働苦にしません。それは、自律的労働だから。
農家も考え方に寄れば、朝、五時から夕方、六時、七時ぐらいまで、明るい内は、畑、田んぼの世話で・・・。毎日かどうかは、わかりません。
公務員試験を受ける彼女は、朝、九時に図書運に来て、終わる九時まで勉強している。途中一時間位の休憩を挟んで。もう、十年同じ生活をしているようです。もちろん、本人でないと、わからないことが多いと思います。
どんな苦しみも本人の意識で全然違います。私のPTA位の仕事なら、仕事が好きな人なら、簡単にできる事かもしれません。私がパソコン等に精通していなかったから、時間が掛かったのかもしれません。一応、四年間やり、どの時期に何をすればいいか、大体わかった頃終わりました。そんな物です。大体、一年間の流れ、忙しい時期等先が見通せるようになるには、三年、四年かかるのです。
会社勤めは、他律的労働です。過労死や残業百時間など、命を絶つ方は、1年目の方が多かったのでは・・・。物事は、何年かやれば見通せるようになってきます。いや、勘違いしないでください。残業させる会社は、問題あります。ただ、その会社の必要な絶対数がわかりませんが、本来、8人必要なところを6人で回していたとか。そのお店がとても繁盛していてね9人人が必要とか。
デパートでアルバイトした時、売り場にバイトが少なく、異常に忙しい時間帯が出来るときがあります。そうなると、休憩している人間を呼び出し、仕事させれば・・・。その場は、その人数で乗り切る。
物事の手順、流れ等がわかるまでには、相当の時間が必要です。それを急激に実体験でわからせようとすると、無理があります。ゆっくり、時間掛けて教育していく会社が望ましいのですが、今時、社員教育に時間をとる、取っている企業は、少ない。けど、それをしていかないと、仕事と自由時間。残業と自分の生活。残業と休憩。全部がでたらめになり、何が何だか、わからなくなり・・・・。もうこんな生活・・・。
自己を追い詰めてしまう結果になる。確かに、アルバイトとは、違う。正社員なんだから。理屈は、わかるが。意識と行動が空回りしてしまうことも多いのではないでしょうか。
けど、一年ぐらい仕事になじむ時間が必要です。だって、3月まで、学生で、4月から社会人。その一ヶ月で、生活が激変。
いくら覚悟しても、睡眠時間を削ってまでと成ると、頭、身体、が追いつきません。一番は、「こころ」。
この「こころ」の健康こそ大切なのです。
いまの企業は、即戦力を求めているのかもしれません。だからこそ、人をじっくり育てていく会社が良いのです。ゆっくり・じっくり人を育ててこそその企業は、伸びるのです。にほんにそんな会社ないか。
電気関係の会社が日本の技術職の方をリストラしているのを見て、・・・。折角育てた技術者が海外の会社へ。ま、そういう時代がきているということですかね
再見。