糖質制限の是非を腸の専門家に問う(前篇)
食物繊維で考える腸内環境の整え方
「人間は、ヒトと細菌などからなる複合生物である――」。ノーベル生理学・医学賞受賞者の
ジョシュア・レーダーバーグ博士を端緒とするこの考え方が、世に広まっている。私たちの腸内には
数十兆~100兆個もの細菌たちが「腸内細菌叢(ちょうないさいきんそう)」(腸内フローラ)と
呼ばれるコミュニティを形づくっており、私たちの体にさまざまな影響を与えていることが研究で
解明されつつある。
腸内細菌たちへの気づかいが、自分の体への気づかいになる。細菌たちと上手に付き合えれば
自分も健康になり、軽視すればさまざまな病気につながりうる。こうした気づかいをしている人は、
すでに食事の仕方などに心がけがあるかもしれない。一方で、無意識のうちに腸内環境を悪化させている
食のスタイルも見受けられる。ダイエット法として取り入れる人が増えている糖質制限は、実は腸内
細菌叢のバランスに影響を与えることも指摘されている。
なぜ、健康のために腸内細菌叢のケアが大切なのか。そして、私たちが自分の腸内細菌叢をケアする
ために試せることはどんなことか。こうした疑問を2人の研究者に投げかけてみた。
前篇では「腸内細菌叢はもう一つの臓器」と提唱している起業家研究者に、先端研究から示唆される、
食と腸内細菌叢との関係性について聞いた。腸内細菌のエサとなる「食物繊維」を巡って、興味深い
研究成果が出ているという。また後篇では、糖質制限が食物繊維摂取の減少に拍車をかけているという
問題について、消化器内科の専門家に聞く。
腸内細菌叢は変えられる
「可変であるもう一つの臓器。腸内細菌叢を、私はそう定義しています」
こう話すのは、最先端科学で「病気ゼロ」を目指すメタジェン代表取締役社長CEOの福田真嗣
(ふくだ・しんじ)氏だ。腸内環境制御学や統合オミクス科学を専門とする慶應義塾大学の研究者でもある。
腸内細菌叢が「臓器」だというのは、腸内細菌の働きぶりを知れば理解できる。
腸内細菌が私たちの体に作用する仕組みは次のようなものだ。食事をとった際に、胃や小腸で
消化吸収されなかった未消化物が下部消化管に流れてくる。腸内細菌たちはそれらをエサとして食べ、
その過程で短鎖脂肪酸などの代謝物質をつくりだす。代謝物質の一部は腸管から吸収され、血中に移行して
全身をめぐり、私たちの体の代謝系や免疫系、さらには脳神経系にまで関与し、全身の健康に影響する。
「たとえば、ストレスの感じやすさにも腸内細菌の存在が影響していることが、少なくとも動物実験では
証明されています」
ほかにも、福田氏らが発見した、腸内細菌が産生する酪酸が免疫系に作用して大腸炎を抑える作用や、
逆に腸内細菌がつくる尿毒素が腎臓病の悪化をもたらしうる作用など、良くも悪くもさまざまな作用が
あると分かっている。さらに薬の効き目や、ある種の自閉症の発症などにも腸内細菌叢が関与していると
する研究報告さえある。私たちは、「ヒトと細菌などからなる複合生物」にとどまらず、
“細菌の影響力のもと生かされている生物”とまでいえるのかもしれない。
だが、福田氏は、腸内細菌叢は「可変である」とも述べている。腸内細菌は「属」と呼ばれる分類で
数百種類ほどあるが、どんな「属」がいて、さらにその下層レベルの「種」がどのくらいいて、
それらがどのような腸内細菌叢を構成しているかは、個人差や国民的傾向があることが知られている。
病気をもたらしがちな腸内細菌叢を抱えている人が、健康をもたらしてくれる腸内細菌叢に
変えることもできるわけだ。
医療の現場では、潰瘍性大腸炎などの患者の腸内に、健康な人の腸内細菌叢を移植する
「便細菌叢移植療法」といった方法も試されている。
一方で、現在のところ、多くの人が実践できる腸内細菌叢の改善法としては、食事によるものが
挙げられる。腸内環境には、長期的な食習慣や生活習慣が影響すると言われているのだ。
水溶性食物繊維が与えられないと、腸の粘液バリアが弱まる
福田氏によると、腸内細菌叢の多様性を高めることが、全体的には健全な腸内環境づくりに
つながるという。
では、食事で健全な腸内環境に近づくにはどうすればよいか。
「まず挙げられるのは、食物繊維を含む食品を摂るということです。特に穀物や海藻などに多く含まれる
水溶性の食物繊維は、腸内細菌のエサになりやすいです」
胃や小腸では、食物繊維をほとんど消化できない。そのため、食物繊維は腸内細菌の大半が
棲みついている大腸にたどり着き、そこで細菌のエサになる。食物繊維には水に溶ける水溶性食物繊維と
水に溶けない不溶性食物繊維があるが、水溶性食物繊維の中にもさまざまなものがあり、それらが
多種多様な腸内細菌のエサとなる。つまり、さまざまな種類の水溶性食物繊維を摂ることで、腸内細菌叢の
多様性は改善されていくわけだ。
腸内細菌叢と食物繊維との関係をめぐって、福田氏は「興味深い論文も発表されています」と言い、
生命科学誌『Cell(セル)』の記事を示す。
ミシガン大学医学部のエリック・マルテンスらのグループが2016年に発表した「食物繊維が不足すると、
ある種の腸内細菌が腸管の粘液層を分解してしまい、その結果、腸管感染症に対する抵抗性を
弱めてしまう」といった内容の論文だ*1。
要旨には、「規則的な食物繊維の摂取が、腸の粘液バリアの破綻を防ぐのを助けるとともに、
腸管感染症による大腸炎を抑制する」とある。
「この研究では、ヒトの腸内細菌叢を定着させたマウスに、一方は食物繊維なしのエサを、他方は
食物繊維が豊富なエサを食べさせました。すると前者では、腸内細菌が食物繊維を得られないため、
代わりにムチンという粘液性の物質をエサとしてどんどん食べてしまう細菌が増えました。
それにより、腸内の粘液バリアが減少し、腸管感染症への抵抗性が下がってしまったと報告しています」
この研究では、精製して粉状にした食物繊維を摂取させた場合と、食事に含まれる食物繊維をそのまま
摂取させた場合とでは、後者のほうがムチンが減ってしまうダメージを軽減できたとも報告している。
腸内細菌叢に影響を与える水溶性食物繊維
大麦にはβグルカンという水溶性の食物繊維が多く含まれているが、食事で大麦を摂ると、
次の食事(セカンドミール)をとった後に血糖値が上がりにくくなる。このように、最初に摂った
食事が次に摂る食事後の血糖値に影響を与えることを「セカンドミール効果」という。
だが、この効果には個人差がある。
福田氏は、2015年に『Cell Metabolism(セルメタボリズム)』誌に発表された、別の論文を
紹介する*2。
「『プレボテラ属』と呼ばれる細菌が腸内に多くいる人で、大麦摂取によりその割合がさらに増加した
人では、血糖値の上昇を抑制するセカンドミール効果がより顕著に認められました」
このプレボテラ属という細菌は、食物繊維が含まれる炭水化物をよく摂っている人の腸内に多く
いることが知られている。腸内細菌のエサになる水溶性食物繊維は、セカンドミール効果をもたらす
細菌を増やすのにも、その細菌がセカンドミール効果をもたらすのにも、関与していることが
明らかとなった。
逆に、炭水化物よりも脂肪やタンパク質をよく摂っている人の腸内には「プレボテラ属」が少ない
傾向にある。
「最近の研究で同じ食物繊維を摂っても、個人の腸内細菌叢のタイプによって、その効果に
差があることが分かってきました。自分に合う食物繊維を摂るのがベストですが、自分の腸内細菌叢の
タイプが分からない方が現状はほとんどだと思います。自分に合う食物繊維に出会うにはいろいろ
試してみることが大事ですが、大麦など多種類の食物繊維を含む食品は、最初の選択肢としては
有効かもしれません」
さらに福田氏は、こう続ける。
「糖質制限をしている複数の人たちの腸内細菌叢を調べたところ、糖質制限前後でそのバランスが
変化していました。この変化が良いことなのか悪いことなのかは今後の研究課題ですが、
変化するということを理解しておく必要があると思います」
このような近年の研究成果からも、腸内細菌叢をよい状態に保つ上で、水溶性食物繊維の役割の
大切さが分かる。後篇では、水溶性食物繊維を腸管全体に広く届かせられる穀物に着目し、その機能性を
評価する消化器内科の臨床医に話を聞いていきたい。
*2:Petia Kovatcheva-Datchary et al. (2015). Dietary Fiber-Induced Improvement in Glucose Metabolism Is Associated with Increased Abundance of Prevotella. Cell Metabolism 22, 971–982.