法律・条約による核兵器の制御
2017年4月1日 Foresight
国連本部で核兵器禁止条約制定交渉が始まったが、3月27日、高見沢将林軍縮大使は演説で「交渉不参加」を表明した (c)時事
2016年10月27日、国連総会第1委員会(軍縮)は「核兵器禁止条約の交渉を開始する」としたオーストリア・メキシコ
などが主導の決議を123カ国の賛成多数で採択した。核保有国の米英仏露の他、日本を含む38カ国が反対、中国を
含む16カ国が棄権した。
他方、日本主導の「核兵器廃絶決議」もその同日に167カ国の賛成を得て採択された。同決議は「核拡散防止条約
(NPT)の強化」を求めており、米国は賛成したが、中・露・北朝鮮・シリアの4カ国が反対し、英仏など17カ国が棄権し
た。
「核廃絶」を主導しながら「核禁止条約交渉開始」に反対する日本の態度について日本の識者の意見は割れたが、外交
評論家の岡本行夫氏は「棄権するという方法もあった」とテレビで語っていた。日本のマスコミでこの反対票を評価してい
たのは読売と産経であり、朝日と毎日は疑問を呈していた。
なお、佐野利男軍縮大使(当時)は「実効的に核軍縮を進めるには、核保有国と非核保有国の協力が必要」という理
由を述べている。
平和安保法制審議時に比べるとデモなどもなく、一般国民は静かであった。「日本の反対票」に国民は暗黙の了解を
与えた、ともとれるが、本当に国民は本問題の本質を理解していたのだろうか。
そこで「法律や条約で核兵器をなくせるのか」を考えてみたい。
広島、長崎への原爆投下は国際法違反か?
広島、長崎への原爆投下は国際法違反であるとする判例は、世界に1つだけ存在する。
それは、いわゆる原爆判決(英:Shimoda Case=下田隆一ほか4名対日本国=東京地裁・1963年)である。
原告は、「広島、長崎への原爆投下は国際法に反する戦闘行為であり、かつ、国内法上の不法行為を構成する。にも
かかわらず日本国政府は、連合国に対する原告の請求権を『対日平和条約』において放棄したことにより、国民の権利
を最大限に尊重すべき義務に違反し、かつ政府が原爆投下により生じた損害賠償請求権を平和条約の他の面におい
て利益を得るために放棄したことは、原告の私有財産を公共目的のため一方的に用いたことに相当する。従って政府
は国家賠償法と憲法第29条(財産権)3項に基づき原告(被害者)に補償を行うべきである」と主張した。
これに対し国側は「(1)原爆投下は必ずしも国際法違反であるとは断定できない。(2)原告は国際法上および国内法
上の損害賠償請求権を有しない」などと請求を棄却するよう求めた。
判決は「広島、長崎への原爆投下は無防守都市に対する無差別攻撃とみなされるべきものであり、違法な戦闘手段と
解するのが相当である。さらに、原子爆弾の投下は、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則にも反
している。ただし、原告の請求については、国際法上および国内法上も損害賠償請求権の存在は認め難い」と結論し、
退けた。
この判決は、結果において原告の請求を認めなかったが、広島、長崎への原爆投下について否定的な評価を下したも
のであり、国際的にもShimoda Case として注目を集めた。なお、原告は控訴しなかったため、これが確定判決となっ
た(以上、国際関係法辞典より要約)。
筆者は、法律の素人であり、あらゆる判例にもの申す資格を持たないが、この判決についてだけは、大いなる不満を
持つ者である。この裁判に関わった当時の司法界の人々は国際法、就中戦時国際法を殆ど知らないまま皆で茶番劇を
演じていたのではないか、とまで思う。何故か。
「無防守都市宣言」をしなかった日本
無防守地域・都市(undefended place またはopen cities)というものは攻撃側が設定するものではなく、防御側が
決めるものである。防御側がその地域の住民たちに被害が及ばないようにその地域を無防守と決め、そのかわりその
地域に対する攻撃側の無血占領を認めるものなのである。そして1945年の8月に、帝国陸軍は本土防衛決戦態勢に
あり、日本中どこにも無防守地域・都市を宣言した場所はなかった。広島は明治時代からの軍都であり、小倉・長崎には
有力な軍需産業があることは日米双方ともよく承知の上のことであった。
第2次大戦当初に、大本営は第14戡軍司令官本間中将に対して「マニラを戡(かん)定せよ」という命令を出していた。
約3万5000人の14軍主力がマニラ北方リンガエン湾に上陸した4日後にマニラ市は「無防備都市」を宣言、上陸11日
後に14軍はマニラを無血占領した。
しかし、マッカーサー指揮下の米比軍約15万はマニラ西方のバターン半島(コレヒドール島を含む)に集結し日頃の訓
練演習でなじんだ場所に陣地をつくり待ち構えていた。にもかかわらず南方軍は予定どおり48師団と第5飛行集団の大
部分を蘭印・ビルマ方面に転進させ、14軍のバターン攻撃は一層困難なものとなった。結局、45日で出来ると考えいた
フィリピン攻略は150日もかかってしまい、大本営、南方軍はその責任を14軍に負わせ、本間中将は予備役に追いやら
れてしまった。
逆に、米軍が反撃、リンガエン湾に上陸してマニラに向かった1945年1月以降、第14方面軍司令官山下奉文大将は
マニラ市について無防守都市宣言をする予定であったが、海軍陸戦隊、第4航空軍、大本営の反対で実現しなかった。
3月3日にマニラは陥落したが、それまでの連合軍の激しい無差別砲爆撃によって市街地は廃墟と化し市民の犠牲は
約10万人に上ったと言われている。
したがって、この1945年8月時点における無差別爆撃を犯罪とするならば、それは無防守都市宣言をしなかった防御
側に責任があることになる。
また、原爆投下が東京爆撃などでの一般爆弾・焼夷弾よりも残虐な(不必要な苦痛を与える)ものであるということは
当該時点で日米ともに理解できなかった筈であり、この問題は現時点においても断定できないことである。無差別爆撃
そのものが国際法違反だということになるならばその根源にあったゲルニカ(独→西)、重慶(日→中)、ロンドン(独→
英)、ドレスデン(米→独)、マニラ(米→比)、東京など(米→日)にまで遡って議論されなければならないが、それら全て
を含む公正な裁判はありえない。
終戦直後、石原莞爾将軍は病床で米国人記者マーク・ゲインに「最大の戦争犯罪人は原爆投下を決めた米国のト
ルーマン大統領である」と言ったそうである。筆者はこの石原中将の多くの部分を尊敬する者であるが、この人にして戦
時国際法を誤解させた陸軍将校教育の不十分さを残念に思うものである。
「核兵器の威嚇または使用の合法性」は?
1994年12月に国連総会は、その決議に基づき国際司法裁判所(ICJ)に対し「核兵器による威嚇又はその使用は国
際法の下の如何なる状況においても許されるか」という諮問を行った。
この諮問に対して1995年5月から9月までの間に28カ国が陳述書を、3カ国が他国の陳述書に関する陳述書を提出
した。日本は「核兵器の使用は国際法の基盤にある人道主義の精神に合致しないと考える」とする陳述書を提出した。
これら各国陳述を基に国際司法裁判所は15人(1名死去のため判決時14名)の裁判官が審議し、1996年7月8日に
「国際裁判所勧告的意見」を発表した。その主文要旨は次のとおりである。
(1)意見要請の可否
勧告的意見の要請に応ずることを決定する。(賛成13/反対1→日本人裁判官)
(2)諮問への回答
A.核兵器の威嚇または使用を特段認可する国際慣習法や条約法は存在しない。(全員一致)
B.核兵器の威嚇または使用を包括的かつ普遍的に禁止する国際慣習法や条約法も存在しない。(賛成11/反対3)
C.国連憲章第2条4項に違反し、かつ同第51条の要件を満たさない、核兵器を用いた武力による威嚇・武力の行使は違法である。(全員一致)
D.核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の要件、特に国際人道法上の原則・規則や、明示的に核兵器を取り扱う条約、その他の国際約束の下での義務に適合するものでなければならない。(全員一致)
E.以上のことから、核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の規則、特に国際人道法上の原則・規則に一般的には違反するであろう。しかし、国際法の現状や裁判所が確認した事実に照らすと、国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況における、核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて裁判所は最終的な結論を下すことができない。(賛成7/反対7)
F.厳格かつ実効的な国際管理のもとで、全面的な核軍縮に向けた交渉を誠実に行い、その交渉を完結させる義務がある。(全員一致)
そして裁判所は、
・戦闘員と非戦闘員を区別する原則からして、逆に戦闘員と非戦闘員を区別できない兵器は使用してはならない。(第1原則)
・戦闘員に不必要な苦痛を与える兵器を使用してはならない。(第2原則)
の2つの原則をかかげ、核兵器は一般的にこれらに違反すると判断したらしいが、一般的でない場合とは何であるかが不明確である。
通常兵器の使用の場合でも第1原則は現に守られていないし、威力の小さい通常兵器に近い核兵器ができた場合はどう考えるか、第2原則についても通常兵器との差を計数的に明示できるのか、といった問題が残っている。
また、Eの文章解釈にも各種のものがあり、余りにも不明確であるとの批判がある。
何れにせよ、この意見はあくまでも意見であって、各国を統制できるものではない。
日本の核武装は憲法違反か
これまでの自民党政権は、「攻撃的なものでなければ核兵器も憲法に違反しない」としてきており、これに類するものと
しては1957年の参院内閣委員会での岸信介総理答弁や1978年の福田赳夫総理の国会答弁、2002年の早大講演
におけける安部晋三官房副長官の話などが伝えられているが、これら発言の基準となるものは、歴代内閣法制局長官
たちの一貫した答弁である。その中でもっとも短く分かり易いといわれるものを、さらに要約して紹介する。
「自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持することは、憲法9条2項においても禁止されていない。したがって
右の限度の範囲内にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わずこれを保有することは同項の
禁ずるところではない。したがって、核兵器のすべてが憲法上持てないということではなくて、自衛のため必要最小限度
の範囲内に属する核兵器というものがもしありとすれば、それは持ち得ると。ただし非核3原則というわが国の国是とも
言うべき方針によって一切の核兵器は持たない、こういう政策的な選択をしている。これが正確な政府の見解です。
(参・予算委、1982.4.5,角田法制局長官説明=要約)」
一見分かり易い文章だが、これで「必要最小限度を超えない実力」を明確にイメージできる人は極めて少ないことと思
う。
先に「集団安全保障と憲法第9条」で述べたように、筆者はこの必要最小限度という言葉が全ての混乱の元凶だと信
じている。
国際法上、1837年のカロライン号事件以来確立された「自衛の3要件」の1つ、「必要な限度に止めること(相対性・均
衡性)」を素直に用いれば簡単にわかることなのになぜそうしないのか。
「相手の侵害に応じて必要な限度」とは、一般的にいえば「目には目を」「拳骨には拳骨を」ということであり、軍事的には
「在来型(通常)兵器には在来型(通常)兵器で」「核兵器には核兵器で」ということであって、実に単純な話である。自衛
において大事なことは、過剰防衛をしてはいけない、ということにすぎないのだ。
しかし、核問題に関してはそう単純に済まない場合もあるので厄介だ。
現在、核兵器保有国同士で「ファースト・ストライク」は認められないが、「ファースト・ユース」は認められる、否、それも
認められない、と言った議論がなされている。
「ファースト・ユース」というのは、相手の通常戦力による先制的侵攻があり、それが我よりも圧倒的に大きいものである
場合に、先に核兵器を使用して対抗することであり、「相手の侵害をその原点に戻すまでは、その侵害に応じた反撃だ
から核であっても自衛の3原則の範囲内だ」と米国などはいう。つまり、「ファースト・ストライク(核による先制攻撃)」は認
められないが、「通常兵器による侵害があった場合には核反撃も認められる」ということである。
しかし中国・ロシアなどはこれに反対する。「相手が核攻撃をするまでは核を使うべきではない」というのである。
米国は核兵器を在来型紛争の抑止力としても有効に使用したいのであろうが、局地の在来型紛争には自信を持ちな
がら、米国との核戦争には自信のない中・露はそれを避けようとしているらしい。核兵器を持たない日本は米国の核の
傘に頼っているのだから、当然米国の主張に同意すべきなのだが、他所事とせず、日本国民も真剣にこれを考えるべき
ことだと思う。
核廃絶決議と核拡散防止条約
核廃絶決議は核軍縮の目標として核廃絶を謳っているものの、今直ぐ核をなくすのではなく1970年に発効した核拡散
防止条約(NPT)の下で着実に核軍縮を進めていこう、というものである。
核拡散防止条約(NPT)は
(1)核保有国による核軍縮、(2)非保有国への核不拡散、(3)原子力の平和利用、を3本柱
としている。
(3)の原子力の平和利用については国際原子力機関(IAEA)がしっかり査察を行ってきたことになっているが、これまでイラク、イラン、北朝鮮から査察拒否をうけている。
(1)については、米ソ(ロ)間で一時かなり核軍縮が進んだと認識され、それぞれ1万~2万発はあったといわれる核弾頭を互いに5~6000発に削減し、更に双方2000発とか1500発とかいう削減目標を設けるところまできたという。ところが、このところその削減が足踏み状況となっており、古くなった核弾頭や施設をリニューアルすることにより、米ロ両国ともに核戦力は強化されているのではないかと見られており、非保有国の一部から「これでは全く不平等である」という非難も出ている。
(2)の核不拡散については、北朝鮮がIAEAの査察を拒否し、NPTからも脱退して核実験をしており、これに対して韓国国民の中に韓国核武装論がが盛り上がりつつあるとの情報もある。また妥結したかに見えるイランの核開発事案に対し、イスラエルに近いトランプ米大統領が強硬発言をしていることなど、核保有国・非核保有国双方にとって必ずしも良い環境にない。
包括的核兵器禁止条約(CTBT)とは
1954年3月1日にビキニ環礁での米国水爆実験が行われた時、米国の設定した危険水域外で操業中だった焼津の
マグロ漁船第5福竜丸ほか多くの船が被爆し、第5福竜丸無線長の久保山愛吉さんが亡くなった事件は、われわれ日
本人にとって忘れ難いものであった。
その頃から核拡散を防ぐ目的もあって核実験禁止の動きが盛り上がり、まず、1963年に米・英・ソ3カ国の間で調印さ
れ111カ国が加盟、同年10月に発効したのが部分的核実験禁止条約(PTBT)であった。しかし、この条約に調印しな
かった中国・フランスは勿論、調印した核保有国も含めてPTBTで除外されていた地下核実験を繰り返すありさまで、こ
の条約は無意味なものとなった。
そこで、地下を含むあらゆる空間での核爆発を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)が1996年9月に国連総会に
よって採択され現在、署名国183カ国、批准164カ国となっている。しかし、現在のところ米・印、パキスタンなど、一部
の発効要件国(ジュネーヴ軍縮会議の構成国であってIAEA「世界の動力用原子炉」の表に掲げられている国)の批准
の見通しは立っておらず、条約は未発効となっている。無論、この間北朝鮮が核実験を繰り返しており、当条約自体の
有名無実化が懸念されている。
国是となった「非核3原則」
「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核3原則は法律、条約ではなく、1968年1月の佐藤栄作総理の施
政方針演説で明確にされた政策である。佐藤総理はこの時、この3原則を含めた核政策の4本柱(非核3原則、核廃絶・
核軍縮、米国への核抑止力依存、核エネルギーの平和利用)を表明した。
また1978年、1981年、1982年に「非核3原則を国是として堅持する我が国」という表現をふくむ国会決議がなされて
おり、この政策は一時的なものではないとされている。
なお、「持たず、作らず」については、日米原子力協定、原子力基本法、国際原子力機構加盟、核拡散防止条約加盟
等により法的制約を受けているが、「持ち込ませず」については国際法・条約がないので法的拘束力はないともいわれ
ている。
法律・条約による核兵器の制御は無意味か
核禁止条約に賛成した国は123であり、反対・棄権した国数は54であった。
反対・棄権した国々のうち米・英・仏・中・露・印・パキスタンという核保有国の数は7つだが、その7カ国の人口を合
わせると約35億人となり概ね世界人口の半数となる。核禁止も核廃絶も当面できない訳である。
しかし、これまで見てきた核兵器制御への努力は無意味ではない。その努力の継続によって「核戦争のない世界秩序
(平和)」が維持されていることも事実である。
後は日本周辺を非核地帯とする外交努力を続け、極めて曖昧な米国の核の傘をより確実なものとするために、日米
関係を強化するしかない。
日本の核武装②
冨澤暉: 元陸将、東洋学園大学理事・名誉教授、財団法人偕行社理事長、日本防衛学会顧問。1938年生まれ。防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。米陸軍機甲学校に留学。第1師団長、陸上幕僚副長、北部方面総監を経て、陸上幕僚長を最後に1995年退官。著書に『逆説の軍事論』(バジリコ)、『シンポジウム イラク戦争』(編著、かや書房)、『矛盾だらけの日本の安全保障』(田原総一朗氏との対談、海竜社)