日本の核武装①
日本核武装の是非とその可能性
2017年4月15日 Foresight
1967年の2度目の訪米で「米国核依存」を、翌年には「非核3原則」を打ち出した佐藤栄作首相(右はジョンソン米大統領)
「非核3原則」と「米国核依存」の両輪
1964年の10月に、中国が初の核実験を実施した。その直後の65年1月、訪米した佐藤栄作首相がジョンソン米大統
領に「中共が核を持つなら日本も持つべきだと考える」と述べたことが、2008年の外交文書公開で明らかになっている。
この会談が、それぞれにどのような影響を与えたのかは良くわからないが、佐藤首相は帰国後、内閣調査室に「日本
核武装の可能性」を検討させる。その検討結果は「核武装は可能であるが、同盟国アメリカを敵にまわすことになり、ま
た国民も大反対するので、実現は極めて困難である」であったらしく、これを踏まえて佐藤首相は1967年の2度目の訪
米で、「わが国に対するあらゆる攻撃、核攻撃に対しても日本を守るという約束を期待する」と言い、ジョンソン大統領も
これを了承したという。
一方、ジョンソン大統領は、その後「核軍縮」に取り組み、1968年7月には「核拡散防止条約」(NPT)を制定、各国にこ
の条約への加入を促すようになる。
日本政府内には、この条約に対し、「これでは日本は米国に依存する属国になってしまう」との不満を持つグループが
居たらしく、このままだと政権維持が困難になると見た佐藤首相は、調印・批准に先んじて、「持たず、作らず、持ち込ま
せず」という非核3原則(「持ち込ませず」については日米密約があったことが後に判明)を1968年1月の施政方針演説
で明らかにした。
ところが、その後になっても政府内の不満派は完全に収まらず、外務省の一部官僚たちが「日独両国で連携して核保
有を目指そう」と、69年に、ドイツに極秘の会談を申し入れたことがあった。このことは2010年10月のNHKスペシャル
『スクープドキュメント・核を求めた日本』の放映で多くの日本人が知ったことであるが、後に外務次官・駐米大使・駐独
大使を務めた村田良平氏(故人)らが箱根の秘密会議でその話をすると、西独外務省のエゴン・バールという人物が「東
西に分かれたドイツと日本とは状況が違う」と言って断り、物別れに終わったとのことである。
日本はNPTを1970年に調印し、76年に漸く批准したのだが、その後の日本政府は「非核3原則と米国核依存」を寸
毫も変えることはなかった。
片岡鉄哉氏(故人・元フーバー研究所上級研究員)の「沖縄返還に関し、ジョンソンの後を継いだニクソン大統領が佐
藤首相に、日本核武装と引き換えに沖縄駐留米軍の撤退を提案したが、佐藤首相はそれに乗らなかった」という文章
が、『ぼくらの核武装論』(西村幸祐編、2007年)に紹介されており、そういうこともあったのかと思うが、何れにせよその
後の日本政府の「非核にして米国核依存」という政策は、自民党単独か各種連立内閣かの如何を問わず不変であっ
た。
10年の時を経て再浮上してきた「核武装論」
農水大臣、経産大臣、財務大臣などを務めた中川昭一氏(故人)は、2006年10月、テレビ番組で「非核3原則は国民
との重い約束だ。しかし、最近の北朝鮮の核兵器の動向を受けて、この約束を見直すべきかどうか議論を尽くすべきだ」
との発言を行った。
農水大臣を離れた直後であり政府の一員としての発言ではなかったが、与党自民党の政調会長としての言葉だった
のでこれが問題になった。中川氏は「あくまでも非核3原則を守ることによって日本が得られる利益について議論しようと
しているだけだ」と釈明したが、「最近は非核3原則に『言わせず』を加えた非核4原則どころか、『考えてもいけない』とい
う非核5原則だ」と、国会において議論すらが封殺されていることへの不満を述べていたという。
中川発言に前後して西部邁氏の『核武装論』や伊藤貫氏の『中国の核が世界を制する』などの著作が出版され、また
日高義樹氏の『ワシントン・リポート』というテレビ番組が、日本核装備論を煽ったが、何れも政府とマスコミが関与しな
かったためか、暫くして沈静化してしまった。
そして、約10年後の今日、米大統領選においてトランプ候補が「日本は核武装したらよい」と言ったことで、このところ
再び「日本核武装論」が復活して来たかに思われる。
政府とマスコミは相変わらず「知らぬふり」を極め込んでいるが、不気味なのは、伊藤貫氏が10年前から紹介していた
ジョン・ミアシャイマー、スティーブン・ウォルト、クリストファー・レインなど、ネオリアリスト学者たちが米国で健在であり、
日高義樹氏が20年近く前からかついでいた今や93歳のオールドリアリスト、キッシンジャー氏が習近平国家主席と北京
で会談するほど元気だということである(参照:第8回「トランプ新大統領と米国軍事戦略の行方」)。
自らの核戦力を更に増強してNPT体制を強化しようとしている現米政府が、日本に核装備を強要することは一般的に
はあり得ない論理だが、かつてニクソンが佐藤に提案したように、「核武装をとるか、米軍基地の全面撤退をとるか、そ
れとも米国から高額通常兵器を買うか」と日本に取引を迫る可能性は十分にある。また、インド核武装にあれだけ反対
していた米国が、いつの間にかインドと核協力するようになった経緯をみると、先のリアリスト学者たちの意見が表に出
てきて、君子豹変した米国が日本核武装を本気で要求することもなしとはしない。それにどう対応すべきかについては
考えておかなければなるまい。
世界秩序を支える核兵器
筆者は2015年春まで、ある大学で大学生たちに「安全保障」を教えていた。その頃、「(1)20世紀前半と(2)20世紀
後半と(3)21世紀初頭の現在、のうち、どの時期が世界にとって一番平和であったか」という質問をよく学生に投げかけ
ていた。
意外なことに、若者たちの答えで一番多かったのは「20世紀前半が一番平和であり、その後、だんだんと平和でなくな
り、今が一番危険な時だ」というものであった。
教師たる筆者の原案は逆に「(1)よりも(2)、(2)よりも(3)とだんだんと平和になってきた」というものだったので正直
困ったが、ともかく次のように説明した。
20世紀前半(1945年まで)には第1次世界大戦と第2次世界大戦という戦争があり、その戦争で5~6000万の人が
亡くなった。それ以降、ソ連が崩壊する1991年までの約45年間は冷戦時代で、米ソの国家間決戦はなかったが、朝
鮮・ベトナム戦争に代表される代理・局地・制限戦が行われ、結局2000万人強の戦死者を出した(中国文化大革命で
の犠牲者数は除く)。
20世紀前半の世界人口は約25億人で後半の人口は約60億人だから、戦死者の比率は前半に比べ後半は約6分の
1に減少したといえる。ということは、前半より後半の方がはるかに平和になったということである。
1991年以降の約25年間にも各種民族紛争が続いたが、人口の多い国同士の国家間決戦は殆どなく、戦死者総数
は前2者に比べあきらかに減っている。たとえば、戦死者数について、朝鮮戦争での米軍3万4000、中国義勇軍90万、
北朝鮮52万、ベトナム戦争での米軍4万6000、韓国5000、ベトナム・ベトコン90万、イラク戦争での米軍など4800、
イラク(民間人を含み)15万~65万(65万は誇張と言われているが)という概略数が報告されている。
朝鮮戦争は3年、ベトナム戦争は20年、イラク戦争は7年、という継戦期間を勘案しても、朝鮮・ベトナム戦争とイラク
戦争の規模の大きさ、激烈さには大きな差のあることがわかる。
戦死者数の少ないことが平和だとすれば、世界は(1)20世紀前半より(2)後半、そして(3)ソ連崩壊以降(すなわち米
国1極体制)と、より平和になって来たといえる。
このような変化をもたらした素因は「核兵器」と「超大国」にある、と本連載第12回「世界秩序と日本の平和」で既述し
た。「共に潰れるような戦争はできない」と各国が悟ったのは「核兵器」のためであり、その悟りを更に強固にしたのは全
てを一連托生(相互依存)と締め付ける「超大国」の存在であった、ということである。
そして、超大国が米ソ2国から米国単独になった時に戦死者数が更に減少したという事実は、「2極よりも1極の方が安
定しており世界秩序(平和)維持に適している」ということを物語っている。
しからば、今後とも「最後のストッパー」としての「核」が世界に残存し、それを保有する数少ない「超大国」が必要だと
いうことになる。
恐ろしい兵器だからこそ平和に資する
特に日本では「核廃絶」を主張する人々が多いが、本当に世界から核がなくなっても世界に平和は訪れないであろう。
なぜなら在来型(通常型)兵器が残るからである。
在来型兵器はその使用者に「相手を絶滅させても、自分は生き残れる」という可能性を与える。本連載12回「世界秩
序と日本の平和」で名著『新しい中世』の田中明彦教授の言葉を伝えたが、核兵器に比べ在来兵器には「軍事的相互
脆弱性」がない。となれば各国が再び国家間決戦を始め第1次、第2次大戦の轍を踏むおそれが大きくなる。
そこまで言うと「では在来型兵器もすべてなくせば良い」という声が帰ってくる。
1990年から3年間戦われたルワンダ紛争(内戦)では100万人以上の人々が亡くなったと伝えられているけれども、
その内の少なくとも10万人以上は鉈(なた)や棍棒(こんぼう)で殺戮されたという。更に放火も重要な手段であったとい
う。つまり、彼らの生活用具が武器だったわけである。その生活用具をすべて廃絶することはできない。世界の秩序を
リードする米国国内において小火器の保持規制さえ出来ない現状からして、世界の全ての武器を廃絶することは極めて
非現実的な夢想に過ぎない。
筆者が教えていた学生には、受験勉強を真面目にやった者が少ないようだが、それだけに、素直で鋭い質問をする若
者がいる。
「先生は授業の初めに、『安全保障とは究極的に、国民が心配せず安心して過ごせるようにすることだ』と言われまし
た。先生が子供の時は核兵器がなかったから、核兵器を全く心配しなくても良かったでしょう。だけど、僕たちは子供の
時から核兵器の恐ろしさを教えられてきているので、心配でたまりません。だから、僕たちにとっては現在が一番平和で
ないのです」と言われた。彼らに核兵器の恐ろしさを教えた人たち(多分、平和憲法を謳歌してきた人々)自身は、戦後
日本の70年間を、「平和な時代」「平和でない時代」のどちらとして考えて来たのであろうか。
いずれにせよ、核兵器が恐ろしい兵器であると認識することが、核兵器の「ストッパー」としての意義を高めている。核
兵器が恐ろしい兵器であると喧伝することは、世界秩序(平和)のために良いことである。
とはいえ核保有国の増加は困る
かつて米ソ対立が激しかった1980年代半ばに、米ソ両国はそれぞれ約3万発の核弾頭を持っており、総計6万発に
のぼるその核弾頭を同時に爆発させると、地球上の全人類を6~7回皆殺しに出来る、という出所不明の話を我々は良
く聞いたものである。
米ソ相互核軍縮の話は古くからあったが、この80年代半ばにゴルバチョフ共産党書記長がペレストロイカ(改革)を始
めるようになって両国対話は急速に進み、現在では米露ともに1500発台まで削減することを約束している。しかし、現
実には削減は遅れており、両国共になお6~7000発の核弾頭を残しているという。それらの保管弾薬は陳腐化してい
るので、核実験をしない範囲でリニューアルしようというのが最近のトランプ・プーチン両首脳の「核強化発言」ではない
かと思われる。
これに対して英・仏・中国の核保有は2~300発台と言われ、インド・パキスタン・イスラエルは各100発前後、北朝鮮
は数十発とのことである。
筆者は英国の核は米国核の分散配置に過ぎず、フランス・中国の核はいわゆる「トリガー(引き金)核」だと理解してい
る。「トリガー核」とは「我が国も世界破滅の引き金を引ける」という自己主張であり、「滅多なことでは引き金を引かない」
が故に「我が国も世界秩序(平和)を担う重要国家である」と宣伝しているに過ぎない。決して「中国の核が世界を制す
る」ということではない。
またイスラエルの核は周りのアラブ諸国の攻撃を抑止することが目的であり、イランはこれに対抗して核開発を進めよ
うとしている。イランが核兵器を持つことになると中東に孤立するイスラエルがこれに先制攻撃する可能性が生まれ、極
めて危険である。だから、米・露・中・英・仏・独がイラン合意を昨年まとめたのだが、選挙期間中に本合意を破棄すると
豪語していたトランプ大統領も、流石にここは慎重にことを運んでいるかに見える。
インドとパキスタンの核は、両国間の戦争抑止を目的とし、それなりに成果を上げてはいるが、世界秩序(平和)の維
持にはそれほど関係がないともいえる。
北朝鮮の核弾頭の数は定かではないが、金正恩朝鮮労働党委員長が「ミサイルの目標は在日米軍基地だ」と明言し
たことにより、日本・世界の秩序(平和)破壊に関わるものとなった。
米ロの核が世界秩序(平和)の維持に役立っていることは確かだとしても、このようにイラン・北朝鮮のような国が核開
発を進めると、世界の核使用の敷居が低下し、全体の秩序が脆弱なものとなるので困る。それ故、これ以上の核拡散を
止めようということになる。
既核保有国の核を保全して、その他の国の新たな核保有を禁じることは確かに不平等な話である。しかし、世界の平
和、即、各国の平和と考えるならば、これはやむを得ないことと考えなければならない。
そこで多くの国々に、核不拡散条約に参加して貰いつつ、既保有国の核軍縮を少しずつ進めて行く、その最終目標とし
て「核廃絶」という遠い先の目標だけは掲げておくというのが現在のNPT体制なのである。
「日本は核武装すべきではない」のだが
NPT加盟国たる日本が核武装することは、できないしすべきではない、というのが筆者の考えである。
これまでにも述べてきたように、軍事は外交の背景として存在するものだから、日本が孤立化し、その外交が成り立た
なくなるような軍事措置をとってはいけない。
しかし、外交が核武装を求める事態になった場合は別である。最大の同盟国たる米国自身が日本核武装を公式に要
求してきたような時には、国際情勢を良く分析し国家戦略を再構築し、それに沿った軍事措置をとらねばならない。
例えば、韓国が核武装した場合などには、諸外国の態度も変わり、国民感情も変わるかも知れない。その時のことは
考えておかなければならない。
日本核武装の可能性
技術的可能性については、筆者は知見を持たないので良くわからない。原子力工学に詳しい自衛隊OBにきくと、それ
は不可能ではないようである。ただ、数カ月以内で出来るというようなものではなく、何年というレベルの時間を要するら
しい。昨年331キログラムとかの研究用プルトニウムを米国に返納し、大学などにあるものも近く返納するということだ
が、ある程度時間をかければ核兵器用のプルトニウムを準備することも可能らしい。
ただ、より大きな問題は、この核兵器をどこで開発し製作するかということだ。厳しい秘密管理と危険管理のできる民
間工場が日本にはないし、国の工廠もないからである。
実験場がないことは当然だが、これはシミュレーションでカバーできるという。
最大の難問は国民の反対が多く残る中で、核兵器装備化へのロードマップを書ける政治家・学者・官僚が全くいない
ことだ。仮に米国が豹変し、日本核武装を押し付けようと各種の米国人たちがやってきたとしても、これに協力できる有
力な日本人が、無論マスコミをも含め殆ど居ないのである。
そうなると核兵器の借用、すなわち「ニュークリアー・シェアリング」はどうか、という話が出てくる。しかし、これはかつて
ソ連の大戦車軍団が欧州を襲う時、核兵器で止めるしかなく、その場合、投射手段が不足し猫の手も借りたい米軍が欧
州各国の航空機などに核弾頭を載せてもらおうという趣旨のものであり、弾薬庫の鍵を米軍が持つこともあり、各国の自
主的な核兵器とはいえない。大戦車軍団の侵攻は現在では考えられず、欧州における「ニュークリアー・シェアリング」は
今や形骸化していると聞く。同様の施策を日本が取ったとして何の意味があるのか、と議論する必要がある。
核武装を決めるのは誰か
50年も前に内閣調査室が佐藤首相に報告したように、「核武装は可能であろうが、世界の国々を敵にまわすことにな
り、また国民も反対するので、実現は極めて困難である」が当面の結論になる。
通常弾頭による敵基地攻撃にも、ミサイル防衛にも期待できないのであれば、今や、諸外国のようにシェルターをつく
ることが先決ではないか。
ただ、世界が激動の時代に入ったかの兆しもある。何かの時に核武装が必要になるかもしれない。その時のために日
頃から勉強し覚悟を決めておくべきなのだが、それは自衛隊員の仕事ではなく、国民自身とそれをリードする政治家・学
者・マスコミの責任だ、と承知して欲しい。
冨澤暉: 元陸将、東洋学園大学理事・名誉教授、財団法人偕行社理事長、日本防衛学会顧問。1938年生まれ。防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊に入隊。米陸軍機甲学校に留学。第1師団長、陸上幕僚副長、北部方面総監を経て、陸上幕僚長を最後に1995年退官。著書に『逆説の軍事論』(バジリコ)、『シンポジウム イラク戦争』(編著、かや書房)、『矛盾だらけの日本の安全保障』(田原総一朗氏との対談、海竜社)