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神戸洋菓子店が破綻、「地方スイーツ」の落日。 老舗「モンブラン」破綻が意味すること

2018-10-30 19:58:07 | 産業・企業情報

神戸洋菓子店が破綻、「地方スイーツ」の落日

老舗「モンブラン」破綻が意味すること

2018/10/26 6:40  東洋経済


「地方スイーツ」終焉の始まりなのか。「至高のモンブラン」「お・も・て・な・し半熟チーズ」

などの人気商品で知られる神戸の老舗洋菓子チェーンを展開するモンブランが10月22日、

事業停止し、自己破産の申請準備に入ったことがわかった。帝国データバンクによると、

負債額は約3億2800万円に上る。


現在、17店を経営するモンブランは、1963年に兵庫県加古川市で創業。2000年代に入って

多店舗展開を加速させ、2017年以降も神戸市内に3店も出店していた。

帝国データバンクによると、競争激化が加速し、原材料費が高騰する中、積極出店したコストを

吸収しきれなかったようだ。経営判断の誤りと言えるが、背景にある問題はモンブラン1社だけの

ものではないと考えられる。


国内スイーツ市場は縮小傾向

富士経済の予測によると、国内スイーツ市場は近年縮小傾向にあり、今後もマイナスが続く

見込みだ。コンビニ、量販店は拡大するが、チェーン店や個人経営店は縮小していくという。

その1つがモンブランだったというわけだ。

 

モンブラン事業停止の背景には、スイーツシーンの変化と地方都市としての神戸の位置づけ、

2つの要因があると考えられる。


1つは、スイーツシーンの変化だ。昔はお菓子と言えばケーキか和菓子で、ケーキは贈答品、

家族での祝いごとに欠かせないものだった。家族ぐるみの付き合いが多く、家庭を訪問する際の

手土産や中元・歳暮などに洋菓子は使われていた。しかし、人々のライフスタイルが多様化した

ことにより、家庭訪問も、中元・歳暮のやり取りも減ってしまった。


2000年前後にスイーツブームが盛り上がったことで、洋菓子の人気はいったん上昇。

当時は、『料理の鉄人』のヒットでシェフに注目が集まっており、1999年に鉄人に挑戦して

勝った辻口博啓氏がカリスマ的な人気を誇った。同時期に起こったデパ地下ブームも、

スイーツブームを盛り上げる要因となった。

 

しかし、次第にスイーツへの注目度は下がり、2008年に起こったリーマンショック以降は、

パンブームが盛り上がっていく。それは高級化が進んでいた洋菓子に比べ、パンのほうが安く

手軽に楽しめるおやつだったことも大きいと思われる。


洋菓子のライバルも増えた。最近ヒットしたスイーツと言えば、さまざまなトッピングが楽しめる

高級かき氷やポップコーン、パフェ、タピオカドリンク、チョコミントスイーツなどがある。

少し前にはパンケーキやドーナツのブームもあった。これら近年の人気スイーツは、いずれも

いわゆるケーキではない。共通点は、シーンを選ばず食べられるカジュアルさだ。カジュアルさは

菓子パンにもある。

 

「あらたまった」イメージが痛手に?

それに対して洋菓子は、バースデーケーキなどあらたまった席で誰かと一緒に食べる

イメージが強い。特に生ケーキは、パティシエの技が詰まった高級感のあるお菓子だけに、

きちんと皿に置き、落ち着いた環境で食べるものと思われている。

洋菓子のもう1つの柱、焼き菓子も、今後も消費が縮小する可能性が高い。こちらも改まったギフト、

というイメージが強いからだ。


誰か新しくカリスマ的なパティシエが登場する、爆発的に人気のケーキが誕生するなどがあれば、

洋菓子人気が再燃する可能性がないとはいえない。しかし、出てくるかどうかもわからない

スター頼みでは心もとない。


着実に需要を伸ばすには、個人消費を狙い、カジュアルに楽しめるイメージを打ち出す、あるいは

その場面に対応できる新ジャンルを開拓する必要があるのではないだろうか。


もう1つの要因は、神戸という地方都市のポジションにある。洋菓子の町、というイメージが

ある神戸市では、一世帯当たりの消費量は全国トップ。しかし、人口当たりの洋菓子店数も

全国トップ。モンブランが事業停止に至ったのは、厳しい競争に敗れからだ。

 

神戸が洋菓子の町になったのは、幕末の開国で貿易港となったことが背景にある。江戸時代の

寒村は、日本第三の経済規模まで上り詰め、昭和後期には、洋菓子やファッションの町など、

独自のブランド力で知られるようになっていく。小さいが特徴がある地方都市として、人気を

博していったのである。


洋菓子の町として発展するきっかけは、1923(大正12)年に起こった関東大震災である。

先に開港し、東京に近いことから洋風文化の拠点だった横浜から、大勢の外国人が神戸に移った。


阪神淡路大震災で「潮目」が変わった

ユーハイムを開いたドイツ人、カール・ユーハイムも1922年に横浜で開業したが、関東大震災の

ため神戸に拠点を移している。神戸は1897(明治30)年に開業した神戸風月堂が洋菓子の

町としての基礎を築いており、そこへユーハイム、亡命ロシア人が1931(昭和6)年に開いた

モロゾフなど、町の人に愛される洋菓子店が増えていった。


1980年代、『JJ』などのファッション誌が盛んに神戸を取り上げ、洋菓子も若い女性を中心に

注目を集めるようになる。海外旅行が身近になる直前、西洋文化の入り口としての神戸は、

高く評価されていたのである。


時代が大きく変わったきっかけは、1995(平成7)年に起きた阪神淡路大震災だ。神戸の中心部が

地震で破壊され、稼働を停止せざるをえなかった企業や店は多かった。神戸で1924年に

創業したパン屋で、洋菓子も人気のフロインドリーブは、震災で店が立ち入り禁止となり、

工場もライフラインが止まって、半年間営業できなかった。


平成不況はその後深刻さを増す。関西からは多くの有名企業が、本社機能を東京に移す

動きが続いた。洋菓子も東京に進出する店が増えた。デパ地下にも出店する芦屋の

アンリ・シャルパンティエが、銀座に店を構えたのは2003年である。

 

また、海外旅行をする人も増え続け、神戸の西洋文化発信地としての魅力は薄れた。

少子高齢化も進み、企業は、ビジネスモデルを変えなければならなくなっていく。


現在の神戸市は、神戸市経済観光局が2016年に発表した「神戸経済の現状」から厳しい

状況が続いていることがわかる。そのレポートによると、中心産業のケミカルシューズ、真珠輸出、

清酒のいずれも阪神淡路大震災前後と比べて低迷している。また、洋菓子と密接に関係がある

百貨店についても売上高は下がっている。


東京に出るか、地元で愛されるか

神戸で人気を保っている洋菓子店を眺めると、大手のモロゾフやユーハイムのほか、昔ながらの

人気ケーキがある老舗、元町ケーキや、オーナーパティシエが現代の名工に選ばれるなど、

技術力の高さで定評があるツマガリが目につく。人気店には、地元の人に加えて観光客も訪れる。


モンブランの場合、経営が厳しい中でも、3店を新規出店するという戦略をとった。

しかし、スイーツ需要の低迷に伴う競争激化が進む中、「中途半端」なポジショニングと

なってしまい、出店コストを吸収できなかったのではないか。


帝国データバンクによると、2015年6月には売上高が6億6500万円あったのが、2018年6月期には

5億2100万円に縮んでいることから鑑みても、焦りがあったのかもしれない。


大手のモロゾフやアンリ・シャルパンティエのように、競争はより厳しいが、市場も大きい

東京への進出を目指す店がある一方、着実に技術を磨き、地元の人に愛される小さな洋菓子の

名店を目指すか。その両端しか、市場規模が小さい地方で生き残る道はないのではないだろうか。

 


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