北朝鮮・秘密工作機関「偵察総局」の実態(下)闇の中で練る作戦
2017年4月27日 Foresight
乱数放送は以前から、北朝鮮本国から工作員への命令を伝達する重要な手段だ。写真は1977年、警視庁が押収した無線機や乱数表などのスパイ道具
筆者が付き合った北朝鮮の秘密工作機関「偵察総局」の幹部は、「金革哲」と名乗った。
出会いは、2014年、ある国の首都にある北朝鮮レストランだった。党宣伝扇動部の駐在員と会食していた時、この駐在員がたまた
ま金革哲氏の姿を見つけ、同じテーブルに呼び寄せたことで面識ができた。初対面の際、こちらが名刺を渡すと、引き換えに、携帯電
話番号を紙切れに書いて渡してきた。
報道関係者、しかも日本の記者であることを告げても、顔色1つ変えない。「今、わが共和国とあなたの国は困難な時期にあるが、こ
れは永遠ではない。気長に付き合おう」。口から出る言葉は、目先の損得より、長期的な視点に立っているという印象だった。ただ、こ
の時、金革哲はわざわざ「自分は北朝鮮大使館とは関係がない」と説明し、居住地は「大使館周辺」と言いながら、大使館との関わり
を否定していた。
腕には、当時の最新製品、「Apple Watch」が光っていた。スマートフォンも少なくとも3つは所持する。北朝鮮レストランにウイス
キーを持ち込みながら、「これはマレーシアに出張した際に買ってきたものだ」と自慢していた。
DNA鑑定で
ある日、筆者が日本に一時帰国すると伝えると、頼みごとをしてきた。
「買ってきてほしいものがある。『バタフライ』というブランドの卓球ラケットのラバー『テナジー』がほしい」。こう言いながらラバーの色と
厚さを具体的に指示してきた。同じブランドのラバーを中朝国境で密貿易する中国人から、「北朝鮮で高く売れるので、大量に買ってき
てほしい」と依頼されたことがある。だが、金革哲はこのブランドの性能そのものに魅力を感じ、身内での卓球大会で勝つために必要と
考えていたのだった。
酒、たばこへのこだわりも強い。「空港にある免税店では買うな。あれは長期間、店に置かれたままの商品だ。必ず、東京都内の酒
店やたばこ店で買ってくれ」と注文をつけた。
商品を買って金革哲に渡すと、引き換えに米ドル札を差し出した。本人は商品の相場が分かっているようで、自ら日本円を米ドルに
換算し、多めの手数料を上乗せして、こちらに手渡すことが多かった。
北朝鮮住民は一般にお金に困っている。「商売になるか」「外貨を稼ぐことができるか」を念頭に置いて外国人と付き合う。日本での
買い物を頼まれて商品を渡しても、通常それを「プレゼント」として受け取り、お金は支払わない。
さらに「らしくない」のは、情報に強い点だ。
日本国内では常識的に語られているような話題、例えば、「安倍晋三首相は一強と言われ、ポスト安倍がなかなか浮上してこない。
候補を挙げるなら……」と教える。金革哲は、次の面会の際に、その固有名詞をそらんじながら、「なぜこの人が候補になるのか」と根
拠を詰める。「日本メディアで頻繁に報じられているから……」と説明すれば、「どのメディアか」「そのメディアはそもそもこの候補に批
判的ではないか」と、さらに細部にこだわる。こちらの話した内容を正確に復唱していることから、おそらく会話を録音しているのだろ
う。
本当に彼は単なるビジネスマンなのか――。
そう疑問に思い、現地に駐在する韓国の情報機関、国家情報院の職員に調査を依頼した。金革哲とツーショットの写真を撮り、食事
の際に使った箸やスプーンを別のものにすり替えて、韓国側に提供してDNA鑑定をしてもらった。
ほどなくして、照会結果が伝えられた。
「ドローン」「自動運転」に関心を
「当該人物は本名・李成日、朝鮮人民軍偵察総局所属、52歳。外交旅券を持ち、北朝鮮大使館に『朴元春』の名前で3等書記官とし
て勤務している」
北朝鮮の名門、金日成総合大学で外国語を専攻した後、軍隊に入り、中国との国境に近い両江道の部隊で兵役についた。その後、
世界各国を渡り歩き、2009年ごろから現在のポストについている。偵察総局の中でも幹部級の職位にあり、組織が集めた外貨を管
理する立場にあるため、資金が潤沢であるという説明だった。
工作機関の幹部――この説明に、筆者は後ずさりした。
ただ、思い当たる節はあった。
金革哲は2015年夏、こう依頼してきた。「ドローン(無人航空機)と自動運転に関する技術を知りたい。世界の趨勢が分かるような
本がほしい。英語でも日本語でも構わない」
北朝鮮でドローンを運用するのが、まさに偵察総局だ。2016年2月、偵察総局のドローンが中国製と酷似しており、国連安保理の
北朝鮮制裁委員会は、北朝鮮で軍事転用されているおそれが強いと指摘していた。制裁委の専門家は、「偵察用になり得る無人機
を、弾道ミサイル関連品として禁輸対象とすべきだ」と勧告していた経緯もある。
だが、乗用車の自動運転技術を何に使おうとしているのか、その手がかりは見つからなかった。
領収書の名前
金革哲の携帯電話に電話をかけても、呼び出し音は鳴るが、本人が出たためしがない。「申し訳ない、今になって、ようやく着信記録
をみた」とのメッセージが入るのは、決まって数週間後だった。その際、意外にも「実はラオスに行ってきた」「今回はカンボジアだ」と明
かすのだった。
北朝鮮の公式報道を見ると、金革哲が不在の間に、「金英哲党書記を団長とする朝鮮労働党代表団がラオス訪問を終えて帰国し
た」と報じられていた。韓国国家情報院の職員は、「先遣隊として何らかの折衝をしていたのでは」と推測する。カンボジアでも何らか
の役割を果たしていたことが想像できる。
そんな金革哲がちょっとしたスキを見せたことがある。「食事をしよう」と誘ってきた時のことだ。
北朝鮮大使館近くにある海鮮バイキングの店に案内された。蟹や海老などの高級料理から、各種デザートなどが山盛りになってい
る。彼はそこから手当たり次第に料理を取り、料理がてんこ盛りになった皿がテーブルを埋め尽くした。
金はここのVIP会員カードを持ち、相当な金額がチャージされているはずだった。だが、金が精算しようとすると、従業員が「残金は
ゼロだ」と告げた。彼は表情を曇らせ、仕方なく財布から現金を取り出し、「領収書がほしい」と申し出た。あて先は当初、「DPRK(朝
鮮民主主義人民共和国)大使館にしてくれ」と申し出たのに、何か思いついたのか、「PARK WONCHUN(朴元春)」と、大使館員
としての名前を英語で紙に書き、渡した。
「金正恩の絶対指示」
金正男が殺害された直後、一時的に連絡が取れなくなった。携帯電話を赴任地に置いたまま、平壌に戻っていたようだ。「何の理由
で帰国していたのかだって? もちろん、仕事だ。やることが多くて大変だ」。説明はこれだけだった。
彼がどのような任務を帯びてこの都市に駐在するのか、その具体的な情報は現在も分からない。韓国・国家情報院は日夜、彼の動
向を追い、その変化を注視している。
北朝鮮国営・平壌放送(国外の北朝鮮住民向けラジオ)は最近でも、暗号読み上げの放送を繰り返す。「ただいまから27号探査隊
員らのための遠隔教育大学『情報技術基礎』復習課題をお知らせする。823ページ69番、467ページ92番……」。深夜に女性の声
が不気味に鳴り響く。
この数字は、国外に潜伏する工作員への暗号というのが北朝鮮ウォッチャーの一般的な見方だ。偵察総局の工作員たちは、この数
字を「金正恩の絶対指示」と受け止め、闇の中で次の作戦を練っているのだろう。