橘 玲(たちばな あきら)氏の著作はおもしろい。もっと若い時に読んでおきたかった本である。(若い時にはこの本はまだないが)
「『苦しまずに自殺する権利』を求める若者たち」から始まる現代日本の考察から、基本的に格差社会の現実と未来の社会がどのように変容していくかを分析したこの本は考えさせられる内容満載であった。
※「自分らしく生きる」という呪い。
「世界を救う」より「自分らしく生きる」、ますますリベラル化する世界と日本。リベラル化とは、「自分の人生は自分で決める」「すべての人が自分らしく生きる社会を目指すべきだ」ということ。豊かになった国々では、物質主義から脱物質主義へと移行し、日本もまた、すべての人が、「自分らしく」生きるべきだという社会に暮らすことになった。 しかし、このリベラルな社会で「自分らしく生きられない」人はどうすればいいのか。
※「夢」の洪水に溺れかけている若者たち。
中学生に教えていた身分としては、この論調はとても面白く、反省させられる部分である。「あなたの夢をきかせてください」「10年後はどうなっていたいですか」大人(教師や面接官)から何度も問われる。「夢をもつことが強制させられている」「夢がないことがそんなにダメなのか」大人による「夢をもたせよう」とするドリームハラスメント(夢による虐待)を若者は感じる。
中学や高校でよりよい学校をすすめる大人から若者へのモチベーションの道具として最適であり、まともな学校に行かず、ニートやフリーターになる若者たちに「自己責任」論を押し付け、夢実現への努力の源として活用する。若者たちは、「夢の洪水」に溺れかけ、「自分らしく生きる」孤独の道をもがくことになる。
「自分さがし」という新たな世界宗教
※ 知能格差社会
1950年代のイギリスは階級社会の残滓が強く残っていてパブリックスクールで学んだ貴族の子弟が社会の上層部を支配していた。戦後、上流階級の特権をなくし、身分にる格差のない平等な社会を実現するために求めたものが「教育」である。これは、明治政府の教育改革、戦後の日本の過熱した受験戦争にも共通したものだろう。しかし、階級社会から、「知能による」格差と変化していく。努力すれば、上流に駆け上ることができる幻想に支配される。それができなかった、できない構造にいる人々は、自分が劣等であるという理由で、自分の地位が低いことを認めなくてはならない。
現代は、暗黙のうちに知能(学力)によって序列化されていることを受け入れている。逆の切り口でいうと「頑張れない」を許さない残酷な社会といえる。
※ 無りゲー社会 経済格差と性愛格差
「無理ゲー社会」の無理ゲーとは、到底クリアできないと思われる難易度の高いゲーム のような現実の社会に生きる絶望を表した言葉だ。ロングテール=恐竜の尻尾のように長く伸びた部分に少数の富裕層が存在し、巨体の部分に貧困層が生きる現在の社会。そこには、性愛格差、つまり、女性と結婚(交際)も不可能にしている過酷な現実がアメリカの白人にも職に就けない若い日本人にも存在する。下級国民として、「自分らしく生きる」ことを強いられて、でも、そう生きられない若者たち。
塾講師として若者たちを導いていたことが、いろいろな視点から考えさせられ、もう一歩踏み込んでおきたかったと思わせる本であった。
では、平等な社会の創出は?アメリカの歴史学者ウォルター・シャイデルによると、「平等な社会」をもたらすものは、
「戦争」、「革命」、「(統治の)崩壊」、「疫病」
とてつもなくひどいこと、第2次世界、ロシア革命、ペストの流行などがおきると、それまでの統治機構が崩れ、権力者や富裕層は、富を失い、社会はリセットされ「平等」が実現するという。
私たちは、その「とてつもなくひどいこと」を待たなければならないのだろうか。
<主夫の作る夕食>
エビ焼いてみました。焼きすぎた!!
<思い出の一枚>
佐賀県忍者村にての一枚