奈良県桜井市 纏向遺跡にある纏向石塚古墳の三輪山のランドスケープは
三輪山
三輪山
ランドスケープ
図はお借りしました
ここには立春が纏向石塚古墳により示されていただけ
金生遺跡の場合は大配石により立春と立秋が示されていた
大配石と石棒
東側のランドスケープ
立秋 ↑飯盛山 金生遺跡・大配石 立春 ↑茅が岳
縄文時代の暦作りのための太陽観測は立春と立秋だったものから
纏向石塚古墳の時期には観測点は立春に収斂したのだろうか
それからは、縄文時代の立春正月からの暦と立秋正月からの暦二つから
立春正月から一年の暦を作る形式に変わっていたのだろうか
引用ーーーーーーーーーーーーーー
6 纏向石塚古墳
纒向・箸中古墳群
市史跡 桜井市太田
撮影日2009/11/6
纏向石塚古墳全景
墳丘は全体に低くなっていて、前方部はよくわからない。
纏向石塚古墳実測図
纏向石塚古墳は 全長96mの前方後円墳 後円部径64m・前方部幅32m
周馬蹄形の壕あり 埴輪なし 葺石なし 3段築成
埋葬施設は残っていない。
周壕内から
弧紋円盤,朱塗の鶏形木製品 、木製鋤 、木製鍬 、横槌 、水槽、
建築部材等の木製品、土師器 が出土した。
墳丘盛土内から見つかった土器から
3世紀初頭~中頃の築造と推定されている。