金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

12とはどういう数字なのか

               改定 07.24   2021.07.22

1年12月とはどういう数字なのか
●太陽と月の周期 月の周期 1朔望月は 29.530589 日という
太陽と月の満ち欠けの周期は 365/29  365/30  12. 
月は 1年に12回満ち欠けする周期とされた。
これから太陰太陽暦とは、月の満ち欠けの周期である30日(より厳密には、29.53日なので、29日の月も混ぜなければならない)を1月とし、1年を12月とし、毎年11日ほど生じる回帰年とのずれを19年に7回の割合で閏月を挿入することで縮小する暦であるという。
これはシュメールの暦できめられたもののようだ。
それで12は太陽と月という二大天体の関係を規定する非常に大切な数字 神秘数となるので、これを元に、そのほか、1ダースが12個であること、1フィートが12インチであること、星座の黄道十二宮、ギリシャ神話に登場する12柱の神々など、シュメール文明にルーツがあるという。

シュメールの暦では春分の頃の新月の直後を元日とするという、紀元前6世紀までは天文観察に基づいて暦は作られていて、それには春分の時期を正確に予測するため恒星 カペラの動きを観察していたという。
紀元前5世紀の初めより、19年が235ヶ月に等しいものとする周期を採用して暦は作られるようになったというようで、メトン周期の先駆とされる。
春分または秋分が起点、二至二分が元にあると言うことから縄文の暦の発展型と見て良いのだろうと思う。シュメールには春分を最初どのように決めていたのか、カペラ観測までの歴史があるのか、それは今のところ見えてきていない。

シュメール メソポタミアでは春分を待って暦の起点としていたようだから、金生遺跡天文台では二至二分 春分点、秋分点の観測を更に進化させてその1000年以上前から、四立の立春を暦の起点としていた、その上立春を観測するための天文台が今も現存していると考えている。

引用します---
シュメール人はなぜ六十進法を用いたのか…
…十二辰(十二支)の方だが、『説文解字』は、十二支を十二月に割り当て、陰陽五行説に基づいて草木の成長に合わせようとしているため、原義から逸れているものもあるが、原義と接点がないわけではない。
シュメール人はなぜ六十進法を用いたのか https: //www.nagaitoshiya.com/ja/2013/sexagesimal/
シュメール人が六十進法を用いたのは、60 に約数が多いからとか、60 まで両手で数える方法があるからとかいった理由からだけではない。
60 は、両手の指の数である 10 と一年における月の朔望周期の回数である 12 との最小公倍数として意味のある数だからである。そして、この点のおいてメソポタミアの六十進法と六十年周期の中国の干支は同じ構造を持っており、後者は前者の文化的影響で成立したと推定できる。
今日、メソポタミアの六十進法も中国の干支も、木星と土星が同じ黄道上の位置で合接する 60 年の周期で説明されることがあるが、それは占星術が発達した時代に考えられた解釈であり、そうした後世の解釈で本来の意味を見失ってはいけない。

…シュメールの六十進法も、10 を準基としている。以下の図にあるように、縦の楔(V)が 1 を、横の楔(<)が 10 を表していて、59 に達するまでは十進法的に表記されている。実は、シュメール人は、紀元前3500年頃までは十進法を用いており、十進法から進化する形で六十進法に移行したのである。


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