縄文時代の遺跡で、これまで見付かったとされている栽培植物をリストアップしてみました。
☆前期の栽培植物
福井県の鳥浜貝塚の、前期の層から、栽培植物(アズキ、エゴマ、ウリ、ヒョウタン、ゴボウ等)が、
早期の層からも、ヒョウタンが検出されています。
大石遺跡 栽培されたとおもわれるエゴマの炭化種子も検出された
福井県の鳥浜貝塚からは、縄文前期の地層から「エゴマ」と大麻(おおあさ)の種実が出土した。
縄文前期には、既に漆塗の技法があり、エゴマの油もウルシ塗りのときに使われていたと考えられる
三内丸山遺跡(青森市)からは、栗栽培、エゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培跡が見出された。
三内丸山遺跡の集落周辺にはクリの木のみの林が形成されていたが、この時期の遺跡にはダイズ、アズキ、エゴマ、シソなどが栽培されていた痕跡のみつかるものがある。
「井戸尻文化」 縄文中期以前の遺跡からはエゴマ・ヒョウタン・リョクトウ・オオムギなどが出ている
縄文時代早期の段階から多数の栽培植物が発見されている。
特にヒエは早期からあらわれ、住居跡(炉の周辺)から多数の種子が発見されていることからみて利用されていたのは確実だが、時代の経過とともに粒が大きくなることから、野性のイヌビエが栽培種(縄文ビエ)に選抜されていったと考えられるという。
また、縄文時代前期に関東から中部にかけてオオムギがあらわれ、ソバも早く、前期に北海道、中期には北陸にひろがる。そして三者とも後期以降は全国的に分布するようになる。エゴマも早期の発見例があり、中期になると関東・中部地方を中心に濃密に分布している。これは、クリ栽培と連動しているのではないか。
蔬菜類(そさいるい)としては、ヒョウタン、ウリ、マメ類、ゴボウ、アブラナが前期からあらわれることは無視できない。最近では、アズキではヤブツルアズキ、ダイズではツルマメという野生種が栽培化された可能性が報告されている。
他に、アサ、ウルシなどの食料ではない栽培植物もある。
農耕具の石器
☆早期の栽培植物
福井県の鳥浜貝塚の早期の層からヒョウタンが検出されている。
縄文早期には、エゴマは既に存在していたと推定されている
ヒエは早期からあらわれている
縄文時代早期から前期の日本の9500-10500年前の複数の貝塚からアサの果実(実)が見つかっており、食用として栽培されたと言われている。
☆草創期の栽培植物
約1万年前の縄文時代草創期の福井県小浜市の鳥浜貝塚から大麻の縄が出土されています。
種子(麻の実)では、千葉県館山市の沖ノ島遺跡から出土しています。これらの出土は考古学において世界最古のものと言われています。
北海道でも千歳市のキウス4遺跡、江別市の江別太遺跡からそれぞれ種子が出土しています。
以上のような情況にあるので、気候も地理も異なる全国各地で、これだけの農耕の遺物があること、各地域へ広がって行く様子が見えることなどから、栗などの樹木は別として一年生の植物では、栽培暦が作られていたことが予想される。
栽培暦は太陽暦の存在無しに作ることは難しいと思うが、供献土器が存在することから、太陽暦は存在したと考える。
図はお借りしました
引用ーーーーーーーーーーーーーー
第29回 縄文時代の農耕(その2)-佐々木高明先生追悼シンポジウムから-2013年11月27日
佐々木高明さん(元国立民族学博物館館長)が縄文農耕焼畑論を提唱したのは『稲作以前』(1971)だった。その説は、国立民族学博物館で行われた特別研究(1978~87)でさらに強化されていった。
縄文時代の農耕については早くから、関東地方の縄文時代中期の遺跡で大量に出土する打製石斧を掘り具とした大山柏のイモ類栽培説、酒詰仲男のクリ栽培説が論じられている。そして、藤森栄一は長野県八ヶ岳山麓の中期の遺跡における華麗な土器文化を支えたのは焼畑農耕であるという説をだしている。また、江坂輝弥、坪井清足なども農耕の可能性を論じている。ところが、決定打となる明確な証拠は見つからなかった。
佐々木さんは栽培植物の証拠は必ず見つかるはずだと闘志を燃やしたようである。それは世界の考古学の動向を鋭く読んでいたからである。
考古学は、1960年代から「人と環境」への関心が高まり、電子顕微鏡をはじめとする新技術が続々と導入された。その影響は日本にもおよび研究者の数も増えていった。現在使われている手法は、水洗いによる種子や籾(もみ)の検出、プラントオパール、花粉、土器の圧痕文(あっこんもん)、DNAの分析がある。
そして、今あるデータからみると、縄文時代後・晩期に西日本に陸稲(りくとう)が集中している。これは佐々木さんの仮説を証明するものだろう。ただし、イモ類についてはまったく手がかりがないのだが。
ところが、北日本には、佐々木さんの予想をはるかにさかのぼる縄文時代早期の段階から多数の栽培植物が発見されている。これは北海道グループによる追跡の成果で、特にヒエは早期からあらわれ、住居跡(炉の周辺)から多数の種子が発見されていることからみて利用されていたのは確実だが、時代の経過とともに粒が大きくなることから、野性のイヌビエが栽培種(縄文ビエ)に選抜されていったと考えられるという。
また、縄文時代前期に関東から中部にかけてオオムギがあらわれ、中期にはその例数が増える。ソバも早く、前期に北海道、中期には北陸にひろがる。そして三者とも後期以降は全国的に分布するようになる。エゴマも早期の発見例があり、中期になると関東・中部地方を中心に濃密に分布している。これは、クリ栽培と連動しているのではないか。
蔬菜類(そさいるい)としては、ヒョウタン、ウリ、マメ類、ゴボウ、アブラナが前期からあらわれることは無視できない。最近では、アズキではヤブツルアズキ、ダイズではツルマメという野生種が栽培化された可能性が報告されている。他に、アサ、ウルシなどの食料ではない栽培植物もある。これらのデータは縄文農耕の開始や拡散が複雑な様相を持つことを伺わせるのである。