三内丸山遺跡の鏃
狩猟の弓矢 鏃の時代変化について
草創期の鏃は
早期の鏃は
小牧野遺跡
としていたところ、地域による違いがある様子が見えました。
三内丸山遺跡では、縄文前期からのようですが、鏃は上のようなものが出ていたようです。
八ヶ岳周辺からの鏃は東北地方には流通していなかったのでしょうか。
縄文時代の土器の模様では、利根川の東西というか、南北というか、
この辺りを境にして、西側は押型文土器文化圏で、東側から北は撚糸文、貝殻文の文化圏となり、二大文化圏となり違いが見えていたようです。
土器の模様
弥生から古墳時代では、関ヶ原辺りを分岐線としていたのとは、縄文時代には様子が大分違うのでしょうか。
図はお借りしました