金生遺跡は「立春」を観測して、甲斐駒に連なる山稜で日没のカレンダーが見えることから暦が作られていたものと考える。
このことは他の縄文遺跡と比較したときどうなのか、縄文時代のその他の遺跡は暦についてどのようなレベルに有ったものなのか再度考えてみました。
縄文人の暦は金生遺跡の暦まで進化発展してきたと考えることが必要となり、
縄文時代の暦の進化発展の推移との関係を知るため現状を眺めてみた。
天文観測に関係する遺跡は次が知られているようです。
金山巨石 岐阜県の金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)は太陽観測施設
秋田県の大湯環状列石(万座環状列石)などは経度測定施設
広島の宮島や筑波山などの頂上にある巨石群は天球図
このように高度な天文観測をしていたとする遺跡があるようです。
これらの遺跡は、暦との関係はよく分らないので これについては意見留保します。
暦の進化発展が見えると思われる縄文時代の遺跡
ここに掲載するデータは、文献からのものを基本的にはそのまま載せています。
二至が有る遺跡 夏至と冬至を知っていたもの 二至の暦が作れる
冬至と夏至の位置では太陽は、前後十日ほど位置を変えないそうなので、その方向は簡 単に決められると思います。
☆【石倉貝塚】 北海道函館市の後期の環状列石。
中央と南東の立石を結ぶ線の延長線上から冬至に日の出。
また、中央と南西の配石群を結ぶ線の延長線上に冬至の日没。
水野正好 1996(石倉貝塚の報道のコメント):
「縄文人が冬至などを意識していたと立証するには材料が乏しい。この遺跡が偶然一致し ただけで、全国的なものではない。」とある。
しかしこの遺跡では縄文時代の方位を示すと判断される立石があることから、縄文人の意思は明確で有ると思う。
☆【小牧野遺跡】 青森県青森市の後期の環状列石。国史跡。
現在馬頭観音となっている配石と中央とを結ぶ線が夏至の日の出線と一致。
☆【大湯環状列石】 秋田県鹿角市の後期の環状列石。国特別史跡。
万座と野中堂の日時計状特殊組石を結ぶ線が夏至の日没線。
☆【伊勢堂岱遺跡】 秋田県鷹巣町の後期の環状列石。
環状列石C:外環のまとまりが30度づつ区切られており、その区切りが、中心-直列石 のラインを中心に磁北ライン・夏至の日の出ラインなどと重なる。
☆【寺野東遺跡】 栃木県小山市の後期の遺跡。国史跡。
環状盛土の中の円形盛土と中央の石敷台状遺構とを結ぶ線上に冬至の日の入を望む。
☆【チカモリ遺跡】 石川県金沢市の後期の遺跡。国史跡。
ウッドサークルの入口?が、冬至の日の出の方向を向いている。
二至二分暦がある遺跡 日毎に太陽の出る位置は動きが速いので二分の日数91日を知っていたのでしょう
「四立」八節の暦が有る遺跡 冬至から45日の立春を観測していた
☆【金生遺跡】 山梨県北杜市の後期から晩期の配石遺跡と壁立ち建物
冬至の日の出と甲斐駒ヶ岳の峰付近への日没、「立春」に茅が岳の峰から日の出
配石の石棒はそれを指示する
二至については太陽暦からは特別なものとする意味は薄い 祭のためと判断するので、暦を示す遺跡は金生遺跡以外には、今までの所存在していない。
それにもかかわらず縄文時代に列島全域で、縄文時代の農耕の痕跡が存在することは、正確な太陽暦が存在していたことは否定できないと考える。
これ以後はーーーーーーーーーーーー
縄文時代の縄文人による方位を示す工作物の存在が不明なので除外した遺跡
【三内丸山遺跡】 青森県青森市の前期・中期の集落跡。国史跡。
大型木柱遺構の方向と夏至の日の出・冬至の日の入線がほぼ一致。
これについてはその後の検証により関係は否定されている。
【砂押遺跡】 群馬県安中市の中期の環状集落。
環状集落の中央広場からみると、冬至に大桁山に日が沈む。
縄文人による方位を示す遺物の存在は不明。
【野村遺跡】 群馬県安中市の中期の環状列石。
この場所から見ると冬至に妙義山に日が沈む。
縄文人による方位を示す工作物の存在は不明
【田端遺跡】 東京都町田市の後期~晩期の環状積石遺構。都史跡。
冬至には、丹沢の主峰蛭が岳に日が沈む。
縄文人による方位を示す遺物の存在は不明
【大柴遺跡】 山梨県須玉町の中期~後期の環状列石。
夏至には金峰山から日が昇る。
方位を示す遺物は不明
【アチヤ平遺跡】 新潟県朝日村の環状列石を伴う拠点集落。
夏至の日、朝日岳から日が昇る。
方位を示す遺物は不明
【極楽寺遺跡】 富山県上市町の早期~前期の攻玉遺跡。
冬至には大日山(立山連峰の1峰)から日が昇る。
方位工作物の存在は不明
【不動堂遺跡】 富山県朝日町の中期の集落。国史跡。
冬至には朝日岳と前朝日の間(鞍部)から日が昇る。
方位工作物は不明
【樺山遺跡】 岩手県北上市の後期の配石墓群。国史跡
★ 春分・秋分の日、前塚見山に日が沈む。
方位を示す遺物の存在は不明
【天神原遺跡】 群馬県安中市の晩期の環状列石。
★ 中央から3本の立石を結ぶ線の延長線に妙義山(三峰)を望み、春分・秋分には妙義 山に日が沈む。 また、冬至には大桁山に日が沈む。
方位を示す遺物の存在は不明確、観測検証結果はあるのだろうか不明
【水口遺跡】 山梨県都留市の中期の環状列石。
★ 春分の日没が地蔵岳に落ちる。
方位を示す遺物の存在は不明
【牛石遺跡】 山梨県都留市の中期の環状列石。
★ 春分の日没が三つ峠山に落ちる。
方位を示す遺物の存在は不明
以上
図はお借りしました
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2021.06.12
金生遺跡と「八節」の暦
金生遺跡は「立春」を観測して、甲斐駒に連なる山稜で日没のカレンダーが見えることから「八節」暦が作られていたものと考える。このことは他の縄文遺跡との比較でどうなのか、縄文時代のその他の遺跡は暦についてどのようなレベルに有ったものなのか考えました。
縄文人の暦は金生遺跡の八節の暦まで進化発展してきたと考えても良いように思いたい。
これの縄文時代の暦の進化発展との関係を知るため現状を眺めてみた。
天文観測に関係する遺跡は次が知られているようです。
金山巨石 岐阜県の金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)は太陽観測施設
秋田県の大湯環状列石(万座環状列石)などは経度測定施設
広島の宮島や筑波山などの頂上にある巨石群は天球図
暦との関係はよく分らないので これについては意見保留します。
暦の進化発展が見える縄文時代の遺跡
二至が有る遺跡 夏至と冬至を知っていたもの 二至の暦が作れる
冬至と夏至の位置では太陽は、前後十日ほど位置を変えないそうなので、その方向は簡 単に決められると思います。
【石倉貝塚】 北海道函館市の後期の環状列石。
中央と南東の立石を結ぶ線の延長線上から冬至に日の出。
また、中央と南西の配石群を結ぶ線の延長線上に冬至の日没。
水野正好 1996(石倉貝塚の報道のコメント):
「縄文人が冬至などを意識していたと立証するには材料が乏しい。この遺跡が偶然一致し ただけで、全国的なものではない。」とある。
【三内丸山遺跡】 青森県青森市の前期・中期の集落跡。国史跡。
大型木柱遺構の方向と夏至の日の出・冬至の日の入線がほぼ一致。
【小牧野遺跡】 青森県青森市の後期の環状列石。国史跡。
現在馬頭観音となっている配石と中央とを結ぶ線が夏至の日の出線と一致。
【大湯環状列石】 秋田県鹿角市の後期の環状列石。国特別史跡。
万座と野中堂の日時計状特殊組石を結ぶ線が夏至の日没線。
【伊勢堂岱遺跡】 秋田県鷹巣町の後期の環状列石。
環状列石C:外環のまとまりが30度づつ区切られており、その区切りが、中心-直列石 のラインを中心に磁北ライン・夏至の日の出ラインなどと重なる。
【砂押遺跡】 群馬県安中市の中期の環状集落。
環状集落の中央広場からみると、冬至に大桁山に日が沈む。
【野村遺跡】 群馬県安中市の中期の環状列石。
この場所から見ると冬至に妙義山に日が沈む。
【寺野東遺跡】 栃木県小山市の後期の遺跡。国史跡。
環状盛土の中の円形盛土と中央の石敷台状遺構とを結ぶ線上に冬至の日の入を望む。
【田端遺跡】 東京都町田市の後期~晩期の環状積石遺構。都史跡。
冬至には、丹沢の主峰蛭が岳に日が沈む。
【大柴遺跡】 山梨県須玉町の中期~後期の環状列石。
夏至には金峰山から日が昇る。
【アチヤ平遺跡】 新潟県朝日村の環状列石を伴う拠点集落。
夏至の日、朝日岳から日が昇る。
【極楽寺遺跡】 富山県上市町の早期~前期の攻玉遺跡。
冬至には大日山(立山連峰の1峰)から日が昇る。
【不動堂遺跡】 富山県朝日町の中期の集落。国史跡。
冬至には朝日岳と前朝日の間(鞍部)から日が昇る。
【チカモリ遺跡】 石川県金沢市の後期の遺跡。国史跡。
ウッドサークルの入口?が、冬至の日の出の方向を向いている。
二至二分暦がある遺跡 日毎に太陽の出る位置は動きが速いので二分の日数91日を知って いたのでしょう
【樺山遺跡】 岩手県北上市の後期の配石墓群。国史跡
★ 春分・秋分の日、前塚見山に日が沈む。
【天神原遺跡】 群馬県安中市の晩期の環状列石。
★ 中央から3本の立石を結ぶ線の延長線に妙義山(三峰)を望み、春分・秋分には妙義 山に日が沈む。 また、冬至には大桁山に日が沈む。
【水口遺跡】 山梨県都留市の中期の環状列石。
★ 春分の日没が地蔵岳に落ちる。
【牛石遺跡】 山梨県都留市の中期の環状列石。
★ 春分の日没が三つ峠山に落ちる。
「四立」八節の暦が有る遺跡 冬至から45日の立春を観測していた
【金生遺跡】 山梨県北杜市の後期から晩期の配石遺跡と壁立ち建物
冬至の日の出と甲斐駒ヶ岳の峰付近への日没、「立春」に茅が岳の峰から日の出
配石の石棒はそれを指示する
それぞれの遺跡の環状列石などは天文観測のためかどうか分りません、お祭りのためというものならその時期の暦のレベルを示すものでは無いかも知れません。