縄文時代の波状突起口縁の土器をどのように読み解いたら良いのか
縄文早期の 2波状突起口縁の土器
太陽の運動の冬至夏至の二至が分ると
月の満ち欠けは凡そ30日と分っていたものと考えると
太陰暦は二至 夏至と冬至 に基づいて 半年 183日/30日
それから 半年に6回の月の満ち欠けと知ったものと思う、それが 6波状突起口縁の土器として作られていた。
そうだとすれば、4波状突起口縁の土器の意味するものは、
二至で 183日が分れば
次は二分 春と秋と季節の始まりを知ることを考えることに成ったのでは無いだろうか
冬至~夏至への半年 183日/2 91日が春 春分
特に冬から春への太陽の回復、春になってくる日の出の動きが重要になるので、冬至と春分の期間をさらに二分していたのだろう。
これまで 4波状突起口縁の土器は二至二分を示すものとばかり考えていたが、月の暦の成り立ち 6回の月の満ち欠けが半年がベース から考えるとき、4波状突起口縁の土器は半年 183日/4 それを示していたものと考えても良いのでは無いのだろうか
縄文早期 4波状突起口縁の土器
半年の183日を 183日/2 91日 冬から春 冬至から春分
冬と春の季節の区分 91日/2 45日 日の出が春の始まりに辿り着いた 立春
半年 183日を 1/4 にすることになり
一年で見れば、これで季節の始まりが区分でき、四立 八節の暦が完成する
これは縄文時代早期には既に完成していたとしても良いのだろうと思う。
縄文時代前期にはトロフィー型
中期には火のような突起
そしてさらにそれを越える土器は
縄文時代に暦はどのように運用されていたのかそれは分らない、想像することも出来ていないが。
写真はお借りしました