金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

北陸の天神山式土器は、三山装飾付き円環突起

・新潟の火焔型土器は、口縁を飾る大きな突起、鶏頭冠突起で

  4突起の口縁土器。


・信州北部から群馬北部の焼町式土器は、大きな円環突起で

  4突起の口縁土器。


・北陸の天神山式土器は、6突起の口縁土器で

  三山装飾付き円環突起

 天神山式土器の旗印三山装飾付き円環突起は、飛騨、石川、富山、糸魚川辺りという。


三山装飾とは何なのか、この地域は海に添う地域で、関東地域の縄文海進による貝塚の多さに比べれば、それほど貝塚が多くは無いとは言うものの、海を常に意識しているはずであり、太陰暦を念頭にしていたものと考える。
三山それは3突起のことに成り、潮の満ち干の影響を常に受け、必ず月の周期を太陽暦に重ねてみていた地域で有ると思う。
この地域の土器をよく見るとそれに様々な変化が出て居るようだ。3、4、6

太陽暦に加えて太陰暦を持っていたことを示していたのだろうと思う。
関東地域では 6突起から 12突起の土器が作られ、その後最後に 3突起の土器が作られるようになっていた。

火焔土器も焼町式土器も内陸地域で作られていたから、太陽暦の二至二分、四立の 4突起は祭祀の中心に置かれていたが、月の暦には関心が薄かったものと考える。
このように天体の支配する神秘数 3と 4がこうした土器には、太陽や月に祈る祭祀の中心事項として置かれていたものと思う。

写真はお借りしました。

引用ーーーーーー

4.土器から見た北陸のクニグニ
 中期中ごろ、中部日本の日本海側それぞれの地域の土器は日本全体から見ると一つの仲間だが、その内部ではそれぞれ地域性を主張する。

・新潟の火焔型土器は、口縁を飾る大きな突起、鶏頭冠突起で。
・信州北部から群馬北部の焼町式土器は、大きな円環突起で。
・北陸の天神山式土器は、三山装飾付き円環突起で。
 天神山式土器の旗印三山装飾付き円環突起は、飛騨、石川、富山、糸魚川辺りまでは「おらっちゃは一つの仲間」と、宣言しているのだ。

 縄文時代の人々がそれぞれの地域で結びつき、時には強くその地域性を主張する裏には何があったのだろうか。興味深い事柄ではあるが、私にはその答えの用意はまだできていない。


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