シュメールと縄文人の関係
年表
縄文後期は紀元前3000年頃から
金生遺跡から遺物として出た鬲の関係から仰韶文化の頃になる
シュメール文化の始まり頃になる
縄文中期は紀元前5000年頃から
シュメール以前となる
この時期に縄文人は既に二至二分の暦を開発していたものと考える。
シュメールでは世界初の太陰暦が作られたという。
しかし農耕のために季節を正確に捉えるには、太陽暦に合わせることが必要で、そのために春分時期をカペラにより観測していたという。
この春分を知る手段については、何故カペラなのか、何も言われていない、何故なのか。
それは当時としては、太陽暦に最先端の知識を持つ縄文人によりシュメールに二至二分の暦が伝わったのだろうと考えている、もしそうなら、シュメールから縄文土器は出てこないだろうか。
というのは、バヌアツから出た縄文土器にそっくりな土器があるから。南米からも何カ所かから縄文土器が出ているという。
地図と土器
シュメールの位置図
写真と地図はお借りしました