縄文遺跡で作られているストーンサークルは何のために作られたのか
それらの指すものが富士山とか蓼科山とか言われている。
何のためにそのような山を指していたのか分らない
太陽暦をはっきり示すようなものは希なようだ
こうした山は暦を知るためというようなものとはとても見えない
何らか別な目的のために作られているようだ
縄文早期には既に二至二分の暦は作られていたものと思うので
それは祭祀用と考える 4突起口縁の土器から二至二分の暦が出来たことを祝っていたものと思うので、暦はもう縄文人の生活のベースにあって、ストーンサークルは、別な目的の為に作られたものと見て良いと考える。
何らかの祭祀目的だったのだろう
三内丸山遺跡でも6本の大木の柱で高層の建物が作られていたという
これも様々に検討されているが、暦との関係は今ひとつで、矢張り何らかの祭祀目的など他の目的があってのものでは無いだろうか。
写真はお借りしました
引用ーーーーーー
また、・千居遺跡(富士宮市)からは、富士信仰のためのストーンサークル、・阿久遺跡(諏訪郡原村)からもストーンサークルが見つかる。
その他、・里浜貝塚(東松島市)は最大規模の貝塚で、そこの出土品から生業カレンダーが組まれた。